古建築研究会掲示板・・・古建築をおもしろく 

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200ーー大森さんありがとうございます 投稿者:むら  投稿日: 8月30日(月)13時55分40秒
ご意見ありがとうございます。
やはり相当の覚悟が必要だと改めて思いました。
よくよく考えてみます。
199ーー茅葺き情報ネット 投稿者:管理人  投稿日: 8月29日(日)21時19分50秒
 茅葺きの民家については「茅葺き情報ネット」を用意してあります。是非、こちらもご覧下さい。また、「茅葺き情報ネット」の中にも掲示板があります。民家関係の話題がありましたならば「書き込み」をお願いします。
http://www.geocities.jp/matwola/index.html
http://www.geocities.jp/matwola/index.html
198ーー「茅or萱」ありがとうございました 投稿者:花子  投稿日: 8月29日(日)01時12分31秒
「茅、萱」についてありがとうございました。
明確な違いはないのですね。
「茅葺き情報ネット」拝見しました。
充実した内容で、なかなかの見応え。
この情報ネットでは、萱の文字はほとんど使われてなく、
茅になっていますね。
聞き書きでまとめる時も「茅」の文字で統一することになると思います。
(会の中の「歴史部会」が聞き書き作業を行なっていますが、
10名以上のメンバーで取り組んでいますので、一存では決められません)
聞き書きをしている地域には、10年前に葺替えを行なった、
集落ではたった1軒の茅屋根の家があります。
住まわれている方は、冬暖かく、夏涼しいと暮らしやすさを強調されてますが、
維持は大変そう。
里山の文化が次第に失せて行くのは止む終えない部分はあるとは言え、
多くの文化が短期間で失われるのは、大変な損失です。
里山の暮らしの見直しは是非すべきだと様々な試みをしています。
特に人と人のつながりの豊かさは、一般的には煩わしいとか言われるものの、
この地域では今もしっかりとあり、
話を聞いているといつも心地よいものを感じます。
この人間関係は子ども達にもしっかり受け継がれ、
この地域の子ども達が他では見られない優しさを身につけていることを
多くの学校教育のお手伝いをする中で感じています。
里山に暮らす人達の知恵としてある「心の豊かさ」が伝わる作品にできたらと
頑張っています。
これからも時々、このHPをのぞかせて頂きます。
ありがとうございました。
197ーー萱、茅 投稿者:管理人  投稿日: 8月28日(土)20時13分18秒

 今日、図書館の大漢和辞典で調べてきました。
「茅」・・・ち、かや、ぼう
  チガヤのこと、菅(スゲ)のこと。
「萱」・・・けん、かん
  わすれぐさ、かんぞう (邦)かやのこと
 とありました。漢字の世界では別の植物を指していました。
日本国語辞典では
 かや・・・(茅、萱)屋根を葺くのに用いるイネ科、カヤツリグサ科の大形草本の総称。
      ススキ、チガヤ、スゲなど
 また、「木が語る中世・瀬田勝哉著」には室町時代に京都の寺院の所有する茅場で「ススキ」が「茅」になるまで刈ってはいけないという、規制が有ったと書かれていました。個人的な感想ですが使われる物によって材料の名前が変わっていくのかと感じています。お米も、うえる時は苗、植物としては稲、食べる部分も最初は籾、次に玄米、米、ご飯と変わっていきます。今はコンバインのの普及によって使われなくなりましたが米を取った後の部分は藁、稲藁と呼ばれています。使われ方、使われる部分、それに応じて名前が変わるのだと思います。茅葺き屋根も色々な名前で呼ばれています。萱屋根、茅屋根、藁屋根、草屋根、地域によって使われる材料が変わっても同じように呼ばれています。
 漢字が日本に入って来た時には本字は「茅」であったと思われますが何時の時代から「萱」が使われ始めたかは興味のあるところです。是非、調べてみて下さい。
 また、「かや」の解説のあるページ
ヒロシさんの「茅葺き屋根」のぺーじ
http://village.infoweb.ne.jp/%7Efwix3205/kayabuki.htm
茅葺き促進委員会の「語彙・用語解説」のページ
http://www.bl-net.com/kayabuki/kaisetu.htm
また、茅葺きの情報は「茅葺き情報ネット」で
http://www.geocities.jp/matwola/index.html

196ーー教えて下さい 投稿者:花子  投稿日: 8月28日(土)00時32分12秒

私たちは聞き書きによって地域の見直しを行なっています。
1999年「聞き書き、里山の暮らし」を出版しましたが、
それは茨城県中学校推薦図書に選ばれました。
更に聞き書きを続け、この度続編を出版すべく準備をしています。
前回も話題になったのですが、萱、茅の文字の使い方についてどう考えたものが困っています。
茅場、萱場、茅屋根、萱屋根。萱、茅共にススキ、チガヤの意味があると言うことですが、違いはどこにあるのでしょうか。
尚、私たちが扱っている場所のカヤ屋根はススキやアシではなく、
シマガヤを使っています。
恐れ入りますが、ご教授下さい。

195ーー実物を見て下さい。 投稿者:管理人  投稿日: 8月27日(金)22時00分43秒
 「土台をはずして礎石との連結方法」・・・・。実物を見れば判ると思いますが土台を廻した場合でも柱は礎石のあるところにあります。これは神社建築で見ると判ると思いますが神社建築には2種類あります。「礎石の上に柱が立つ」ものと、「礎石の上にに土台を廻してその上に柱を立てる」ものです。後者は実物を見ると判りますが、ほとんど「お神輿」です。土台を持ち上げると何処にでも移築出来ます。それに比べて、礎石の上に柱が立っている場合には、足場を確実に固めないと移築出来ません。
 ここから先は現代建築と古代の日本人が思っていた建築の差を考えると個人的なイメージですが「住まい」の部分は暖かく、快適なものを求め、社寺建築などの「象徴的」なものは丈夫さを求めた、と思われます。日本の住宅建築で「文化財」に指定されているもので一番古いものでも江戸時代よりは前のものがありません。何時の時代でも生活する為には住居を必要とします。古代人も住居で生活していたことは間違いありません。発掘遺跡から考えると、「生活する住居」はほとんどが「堀立柱」であったと思われます。「堀立柱」は穴を掘り、柱を立てて、土で埋め戻して突き固める。地震にも強いし、台風にも耐えられる。欠点は土と接する部分が腐りやすいことです。その為、20〜30年で建替えなければなりません。伊勢神宮ももともとは「堀立柱」の建築の関係で式年造替をしなければならなかった。古代、中国の仏教文化を取り入れた時に礎石建ての建築が日本に入って来たました。この建築は礎石の上に柱が立っている為に木部が土に接していません。雨の影響さえ受けなければ、柱が腐ることは無いのです。木部が腐る場所はほとんどが土と接する部分なので寺院建築では木部が土に接する部分がありません。神社建築では最初は自然崇拝のため、石、山、神木などを崇拝していましたが、「依りしろ(神霊が現れるときに宿ると考えられているもの。樹木・岩石・御幣(ごへい)・動物など種類が多く、神霊に代わってまつられる。)」を必要となり、建築が建てられるようになったと云われています。伊勢神宮のようにそこにいて動かないものと、神様を仮に来て貰うものと分かれました。「仮に来てもらう」ものには「お神輿」があります。建物が祀る為に移ってきます。伊勢神宮のように動かないものは「堀立柱」で、移せるものは土台を廻したと思われます。
 民家においては「暖かく、快適なもの」を求めます。日本全国に復元されいる竪穴式住居はそれなりに生活しやすいものと思われます。廻りを土で高く盛り上げて、風を入りにくくして、中で火を焚けば冬でも暖かく過ごせます。柱も堀立柱で頑丈で、細工も必要が無い。それが江戸時代の初期に礎石建ての民家が造られるようになったには、それ相応の理由が有ったと思われます。
194ーー重ねてありがとうございます。 投稿者:はたの  投稿日: 8月27日(金)16時06分34秒
 私の住まう地方の建築もリストにあり、中には知らなかったものもありました。見に行ってみようと思います。
 もしも、実見と合わせて参考となるような書籍などご存知でらっしゃらないでしょうか。実物相手ですと、掘って石の高さを確かめたり、土台をはずして礎石との連結方法をたしかめたり、というわけにもいきませんので・・・
 仕口については解説図つきの文献をよく見かけますが、基礎では、非ブロック・非コンクリのものがなかなか探せないでおります。
193ーー是非、実物を 投稿者:管理人  投稿日: 8月26日(木)19時49分54秒
 法隆寺では写真で見る限りにおいては礎石の上に横材があり、その上が壁になっています。江戸時代の民家では土間廻りは礎石の上に土台(木の横材)を廻して、その上に柱を立てています。はたのさんの住んでいる近くにも見学出来る民家があると思います。是非、実物を見学してみて下さい。「百聞は一見にしかず」です。古建築研究会の「日本の建築」にデータがありますので参考にして下さい。
http://www.kasumigaura.net/kokentik/
 また、民家に関しては「茅葺き情報ネット」の中に「見学出来る茅葺き民家」が有ります。
http://www.geocities.jp/matwola/index.html
 日本全国の見学出来る民家を網羅してあります。参考にして下さい。
192ーーありがとうございます 投稿者:はたの  投稿日: 8月26日(木)18時40分43秒
 版築についてのご教示、ありがとうごさいます。
 が、しかし、書き方が不十分でした、知りたいのは、
>その上に礎石を置き、柱を立てていました。
 のほうでして。
 柱の下以外の、「木の壁の最下部の水平方向の木材」の下には何がくるのか、というところなのです。それも、上古の立派なものというよりは、近世の、ただしブロック以前の、広い土間のある農家であったり、馬屋などの場合に・・・ということなのです。
 重ねて恐縮ですが、お教えいただければ幸いです。
191ーーむらさんへ 投稿者:大森 健司  投稿日: 8月26日(木)14時41分42秒
 宮大工にすぐになれると思っていませんか。かっこいいと思っているでしょう。
修業は苦しいのです。頭でその苦しさを乗り越えられると思っていませんか。
小僧は仕事できないから、掃除や片付け、材料運びと、まず肉体的な仕事から
入るんですよ。毎日、毎日単調な仕事の繰り返しです。設計図から正寸場での
正寸図を書かせてもられるようになるのには、10年位かかります。正寸図など
これはと思うことしか教えません。
 好きなら何とかなると思って・・・・も。  なりません。
 
私の私塾の門をたたく人がいますが、半年から1年でやめていきます。
レベルの高いことを教えているので、ついてこれないのです。仕事との両立です
から。
 皆貴方のように言ってきます。現在ではほとんどとりません。アホらしくなる
ことさえあります。
 続いている生徒はすごいですよ。3年間で入母屋の鐘楼堂の設計図から正寸図
まで書いています。鎌倉時代の軒規矩図をマスターしました。相当努力してい
ます。寝る時間を惜しんでいます。
私のホームページには、宮大工の定義をのせていますので、一度ご覧ください。
 奈良西ノ京薬師寺の流れを受く宮大工
   大森健司  一級建築士http://www2.tba.t-com.ne.jp/oomori-kida/
190ーー(無題) 投稿者:むら  投稿日: 8月25日(水)13時52分19秒
 みなさんが専門的な話をしているところで大変恐縮なのですがご意見をいただけたらと思います。私は31歳のOLで、夜間の大学で日本史学を勉強しています。それがきっかけで古建築に大変興味を持ちました。大学卒業まであと2年あるのですが、卒業したら宮大工になりたいという思いが日増しに強くなってきました。年齢・性別の問題。また建築とはまったく無縁な世界で今まで過ごしてきたことなど問題はあると思います。甘くないのはわかっているつもりです。でも好きならなんとかなるものなら飛び込みたいです。
いかがなものでしょうか?ご意見をお聞かせください。
188ーー版築 投稿者:管理人  投稿日: 8月25日(水)11時00分15秒
はんちく【版築】
 中国の基壇や土壁の施行方法。玉石を敷いた上に粘土を棒で突き固めて重ねていく方法などがある。日本へは飛鳥時代に仏教建築とともに伝来。
 三省堂提供「大辞林 第二版」より
版築手法(現在の型枠に相当する板枠に、数種類の土や砂利を交互に水を混ぜながら突き固め、最後に板枠をはずして土塁の斜面を覆土し固める工法)
 日本でも古い時代(平安中期以前)は寺院建築を建てる場合、ほとんどが基壇(平地より1〜2m高くする)を版築(はんちく、または ばんちく という)で築き、その上に礎石を置き、柱を立てていました。また、建物の中は磚(せん、敷き瓦)または石敷であったそうです。寺院の建築に床が張られるようになったのは平安時代中期以降のようです。版築については古い時代は基壇を造る場所を1〜2m掘り、そこから版築工法で基礎を作るそうです。版築の基礎はコンクリートのように頑丈な基礎で不同沈下が起こらないため建物が丈夫になるそうです。しかし、版築は細い棒で突き固めていくので手間、暇がかかる為に次第に使われなくなっていきました。最初は基壇全部を版築で、次ぎに柱の周りだけを、その次には柱の下だけを突き固めて礎石を据えるようになりました。
 今、解体修理をしている唐招提寺は版築で築いた基壇の上に建っているそうです。機会がありましたならば見学してみて下さい。
188ーー床を張らない建物の基礎 投稿者:はたの  投稿日: 8月25日(水)01時36分5秒
 はじめまして。イキナリ質問で申しわけありませんが、みなさまのお知恵を拝借できれば幸いです。名称が判れば自分で調べもつくのでしょうが・・・
 古い日本の建物で、床を張らない場合の基礎についてお教えください。
 柱については、下に石を置いたのが沓石となったのでしょうが、壁の下部、地面と接するあたりはどのようになっていたものでしょうか。具体的には、広いたたきがあるような場合や馬小屋、鳥小屋などです。
 木材が地面と接すれば傷むでしょうし、ネズミなどが穴を掘って侵入するでしょう。直方体の石を並べて現在の布基礎のようにしていたのではないかと想像しているのですが、その認識で正しいでしょうか?
187ーーありがとうございます 投稿者:大三  投稿日: 8月24日(火)22時55分3秒
 大森健司さん、管理人さん、良いアドバイスありがとうございます。僕自身、職人というものはうちの親方や兄弟子みたいな人ばかりなんだろうかと正直、不安になっていました。しかし、そうじゃないことが分かり大変うれしく思います。今の仕事をつずけながら、いろいろ宮大工さんをまわって、宮大工への道が開けるまで会社の人に何を言われようともめげずにがんばろうと思ってます。負けん気の強さだけが自分のとりえですから・・・。本当にありがとうございました。何か変化があればまた書き込みます。それではまた。
186ーー目標はまだ先にある。 投稿者:管理人  投稿日: 8月21日(土)21時01分37秒
大三さんへ
 良い建築を作ることは、良い建築を沢山見ることだといいます。これは建築ばかりでなく、美術品、骨董品でも同じです。多くの良いものを見れば、良いものと悪いものとの見分けができるようになります。見分けが出来るようになれば、良いものが作れるようになります。大森さんが指摘しているように、今、良い環境にいます。沢山の古建築を見て下さい。
 また、良いものを作る為には勉強も必要です。「貴方は二級建築士を持っているのですから、努力して一級建築士も取ってください。」にも検討してみて下さい。これからいろいろと、悩みは出てくると思いますが、目標はまだ先にあります。これからの活躍を期待しています。
185ーー大三さんへ 投稿者:大森 健司  投稿日: 8月21日(土)11時59分58秒

大三さんへ私が昭和41年高校を卒業して宮大工の小僧に行った時は、よく「あんちゃんは高卒だから、俺らに教わることはない」とか、自分の知っていることを得意になって話していました。又、私がわからないことがあると、「そんな子のがわからないのか」とよく言われました。親方は「わからないのが当たり前だ。そんなことを言う職人のことなどほっと置け。」と言ってくれても、落ち込んだものです。
貴方は二級建築士を持っているのですから、努力して一級建築士も取ってください。
建築士すら持っていない大工は大工以下です。建築士など最低の資格なのですから。
奈良にいるうちに、休日には片っ端から国宝、重要文化財の建物を見て、記録を取ってみたら、・・・
私も薬師寺で仕事をしている時、恩師 浅野清博士が調査の指導をしてくださり、休日には片っ端から調査に行きました。ある休日、お金を下ろすのを忘れてしまい、机の中をかき回して交通費を得て、調査に行ったことを思い出しました。努力が何物にも勝ります。
私も48歳すぎた頃、社寺建築の入り口に立てたような気になりました。
設計図は縮尺 1:20、1:10、1:2、1:1まで建物全体に書きます。浅野先生は建物を造るにあたり、後で後悔する様な事だけはするなと言われておられましたが、やっとこの年で、先生の足元にたてたような気がします。浅野先生は、薬師寺金堂、西塔、中門の設計者です。奈良時代建築の研究の第一人者でした。先生は亡くなりましたが、私の心の中に強く刻まれています。
良き指導者にめぐりあえることを願っております。
西の京 薬師寺の流れを受く宮大工
大森 健司  一級建築士
ホームページも見てください。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/oomori-kida/
http://www2.tba.t-com.ne.jp/oomori-kida/

184ーーはじめまして 投稿者:大三  投稿日: 8月19日(木)23時17分22秒
 はじめまして。自分は今年の四月から一般住宅の大工見習いとして仕事をしています。中学生の頃から宮大工の職につくことを目標に高校を卒業して建築の専門学校に通い2級建築士の資格も取得していろいろな宮大工さんのもとへ、訪ねてみたのですが、どこも弟子入りの許可はしていただけませんでした。しかし、まだ以前からの夢であった、宮大工の職に就く事をあきらめられず、宮大工の多い奈良で一般住宅の大工として修行をしながら、宮大工になるチャンスをうかがっている状態です。修行を始めて気が付いたのですが自分の場合2級建築士の資格を持っていることで会社の職人によくねたみっぽい事をいわれます。そのことが原因のせいか、会社でも少し浮いた状態になってしまっています。なにくそ精神でがんばってきましたが、正直つかれてます。今の仕事をやめてしまっては宮大工の職に就く夢もあきらめる事なってしまうのでがんばるしかないと思ってます。職人の修行は一人前になるまで厳しいものになることを肝に銘じてきましたが、一体、修行というのは何なのでしょうか?最近少しわからなくなってきました。親方や兄弟子からのいやみやねたみに耐える事なのでしょうか?教えてください。
183ーー感謝 投稿者:tappe  投稿日: 7月26日(月)17時39分24秒
 ありがとうございます。色々と参考になりました。今度は専門家の書いている本を見て研究してみようと思います。ありがとうございました。
182ーー民家の変遷 投稿者:管理人  投稿日: 7月25日(日)23時14分20秒
tappe さん
 この文章は専門家としての意見では有りません。私も古建築を勉強している身として感じた事です。特に民家に着いては判らない事が多く、参考意見(マイナーな特異の意見)として下さい。
 1・千利休はどうして茶室を草庵化したのか?
 喫茶の風習が何時頃から始まったか。これについては禅宗の普及とともに鎌倉時代から始まったと云われています。特に、室町時代初期には闘茶が行われるようになります。婆娑羅大名と云われる佐々木道誉(鎌倉時代(1280頃)の末期に生まれ、室町三代将軍の時代(1370頃)に没する)の闘茶が有名です。この時代から江戸時代の初期までは喫茶の風習は上流階級のみの特権でした。勿論、お茶を栽培する人、製作する人がいるので一部の庶民も喫茶をしていたことは事実であります。
 その後、(道誉の時代から100年後の足利義政の時代)喫茶の風習は寄合(宴会、パーティ)の重要な慣習となり、茶会のおりに床の間(床の間が現れるのはこの時代からと云われている)に飾る絵や、生け花、陶器、茶器が鑑賞されるようになり、また、その作品の品評がされるようになりました。(ドナルド・キーン著による)
 千利休の生まれる以前より、このような茶会に供される道具類が珍重され、高価に取り引きされるようになりました。あの有名な松永久秀が信長に茶器「九十九茄子」を献上することにより、大和国(奈良県)一国の安堵を得ることが出来ました。また、信長の配下の武将にとっても一国の知行を得ることより、信長の所有している茶器を褒美に貰うことに同等の価値を持っていたことが知られています。
 数年前にNHKテレビで放映された堺屋太一さんの原作の「太閤記」では秀吉の弟「秀長」が利休と組んで、茶道具の販売により、裏で軍資金を作っていたとなっています。
 千利休がどうして茶室を草庵化することに至った理由は、私もうがった見方で云えば「価値のないもの」を「価値のある」ように見せて大金を得ることに生き甲斐を見つけたのではないでしょうか。「ルソンの壷」や「高麗茶わん」などは、その国においては普通の家庭で使われていた陶器だと云われています。「価値のないもの」を「価値のある」ように見せることを「侘び」、「寂び」と云うのではないのでしょうか。
 2・近世の農家住宅におけるヒロマ系空間とザシキ系空間の特徴は?
 「大工・田中文男」(普請研究会発行)によると、民家の使われ方の変遷によると書かれています。古い時代(江戸時代初期)は農家も衣食住に余裕がなく、冠婚葬祭も使える場所を普通に使っていた。時代も下がり、生活に余裕も出来、大きな農家や庄屋、名主の家では公的な集まりをする機会が増える。また、貧しかった農家でも余裕ができれば自分の家を庄屋、名主の家のように立派にしたい思うようになったのではないかと云っています。ヒロマ系空間では年に数回しかない特定の行事のためには部屋を用意出来ず、ヒロマを利用した。時代が下がって、家が大きくなると特定の行事のために部屋を作るようになり、そこに玄関を設けるようになったと有ります。斜め読みしたので作者の本意を伝えていませんが以上のように理解しました。
 他にも民家の変遷に着いて書いた文章が有ると思いますが、この本以外は読んだことがないのでこの位のことしか書けません。申し訳有りません。
 3・町家はどのような点で町並みをつくる住まいとなっていったのか?
 秀吉の時代から江戸時代の初期にかけて、兵農分離、農商の分離を行われたことが知られています。特に農村に散在していた商業を主にする人達が城下に集められたことが知られています。そして、農村地域で商売をすることを禁止されました。
町並みを構成する形式は京都の町屋に関係するのではないでしょうか。特に、間口税は全国的に普及し、店の間口の大きさによって納税の多寡が決まりました。税金を少なくするために間口が狭く、奥行きの深い、「ウナギの寝床」のような町並みが形成されたのではないでしょうか。
 以上、私の考えを書いてみましたが、上記のことを専門に研究されている方の本も出ていると思いますので、色々と調べてみて下さい。
181ーー(無題) 投稿者:tappe  投稿日: 7月25日(日)08時56分21秒
始めまして。茨城県笠間市出身です。今大学で建築史を履修しています。わからない事があります。教えてくれませんか?
1、千利休はどうして茶室を草庵化したのか?
2、近世の農家住宅におけるヒロマ系空間とザシキ系空間の特徴は?
3、町家はどのような点で町並みをつくる住まいとなっていったのか?
分かる範囲で教えてください。お願いします。
180ーー希望を持って 投稿者:管理人  投稿日: 7月21日(水)20時28分30秒
 ゆきさん 仕事に頑張っているみたいですね。
 古建築の世界は本当に楽しい世界です。しかし、楽しい仕事を収入の有る仕事にしている人は数少ないと思います。中には好きではないがこの世界に入ったため仕方なく、古建築の調査をしている人もいるかも知れません(笑い)。
 しかし、自分のライフワーク(生涯の仕事)を持っている人は少ないものです。その数少ない人の中に「ゆきさん」がいます。今の仕事(現場監督)でも古建築に触れる機会は多いと思います。仕事場の行き帰りにも社寺建築は数多く有ると思います。余裕のある時にじっくり見学してみて下さい。数多く見れば、建立年代や作風の違いなどが見えてくると思います。
 何事も、最初は資料作りです。始めは1つですが集め始めると月に二件でも、一年で二十四件、5年も経てば120件になります。30歳も過ぎて良い年になれば資料も多くなると思います。
 また、建築技術の発展も理解出来るようになると思います。今は電動工具で断裁もカンナかけも出来ますが、今から30年前までは普通に大工さんがカンナをかけ、鋸で切っていました。しかし、30年前は普通でしたが300年前は普通では有りませんでした。今から20年前は大工さんの中では電動工具を使うのは邪道でした。電動工具を使わないのが本物の大工と思われていました。同じように300年前、やっと台鉋が普及始めました。民家を造る大工さんの中で台鉋を持っている人は少なかったのです。一般の民家の中では利用されているものは少なかったのです。それから20年後、享保の頃には台鉋を使うのは普通になっていました。
 今、普通に使われている技術も遡れば、最初に使った人の苦労がしのばれます。ゆきさんも最初に古建築を勉強しようと思った時の志を忘れないようにして下さい。あなたを待っている社寺建築は沢山有ります。社寺建築を見ている時に相談を受けるかもしれません。その時のために勉強を続けて下さい。
179ーー現在の仕事 投稿者:ゆき  投稿日: 7月16日(金)22時56分1秒
 ご無沙汰しております。以前文化財の修復の仕事に関わりたく就職活動をしていると投稿しました。
現在は木造新築住宅の工務店の工事部で現場監督見習いとして頑張っております。はじめはやりたいことと違うとやめることも考えていましたが今は毎日が新しい発見で楽しく頑張っています。確かに今まで勉強してきたこととは違います。でも古いものから学びたいという今までの考えとは逆に現在の技術や機械の発達を知ってから古い建築を見たらきっと今までとは違う新しい見方ができるのではと思っています。いずれは文化財の世界へ行きたいと思っていますが。でも今現場監督として色んな現場に行ったとき職人には沢山のことを教えて頂いています。宮大工でなくても本当に努力をして修行を積んだ大工さんはきちんとした技術を知っています。私は今沢山の方から学んでいます。遠回りをしているようで案外近道なのかも知れません。現在も色んな人とのつながりは大切にしています。
178ーー無量寿寺の建立年代 投稿者:管理人  投稿日: 6月26日(土)22時24分57秒
 古建築研究会の定例会で6月の始めに見学してきました。その時はまだ足場が残っていました。現場にいた人から、墨書があったこと聞きました。早速、尋ねましたところ本堂の建立年代が判りました。一色先生が調査したおり、建立年代はほぼ元禄時代前後との判定でしたがズバリ元禄の終わり、宝永の始め1706(宝永3年)と書かれていたそうです。元禄時代の将軍は犬公方と云われる徳川綱吉ですがこの3年後1709(宝永6年)に亡くなっています。元禄時代の光芒はまだ残っており、時代の雰囲気が変わったのは八代将軍吉宗を迎えてからでした。社寺建築を見て歩くと自然に建立年の時代の雰囲気が判るようになると思います。是非、多くの人が神社仏閣に見学することをお薦めいたします。
177ーー無量寿寺 投稿者:沼澤  投稿日: 6月25日(金)18時08分47秒

つい先日、たまたま鉾田町の古刹、無量寿寺(親鸞聖人が3年ほど滞在した)を見る機会がありました。この名刹の本堂は数年前から解体修理中でしたが、いよいよ8月に落慶、お披露目だそうです。すでに工事用の天蓋や足場ははずされ、見事な茅葺き屋根が再現されていました。こんなに立派な茅葺き屋根は、現代の近郷近在では、他にはないのでは。一見の価値があります。
 ところで8月21日に、この無量寿寺(住職の説明が予定されています)と勘十郎堀(江戸時代の運河跡)の見学を組み込んだ巴川探検隊が行われます。興味ある方は、鉾田町役場生活環境課の巴川探検隊係へ、お問い合わせを。
176ーー古建築装飾書籍 投稿者:杏杏  投稿日: 6月25日(金)15時31分29秒
 日本庭園の装飾について、学びたいと思っている者ですが、なかなかこれという書籍が探し出せないでいます。サイトでもあれこれ探すうち、こちらのサイトにたどりつき、興味深く拝見しました。もしご存知であればお教示いただければ幸いです<(_"_)>
175ーー頑張って 投稿者:管理人  投稿日: 6月15日(火)22時33分30秒
 勝さんへ
宮大工や社寺建築に携わりたいと思っている人は沢山います。このページを見ている人の中にも勝さんの行く末を期待している人がいると思っています。「ドリームズ カム トゥルー」夢を諦めずに頑張ってください。
174ーー地元の山の木で家を創る勉強会 投稿者:管理人  投稿日: 6月15日(火)06時39分39秒

 茨城県大子町の「木の文化塾」が地元の山の木で家を創る勉強会を開催します。
大子町の冥賀の里にある茅葺き民家が、たくさんの方々の協力で葺き替えが行われ、伝統的な姿を取り戻すことが出来ました。現在は木の文化塾が定期的に開いている講演会(いろりばなし)や子供たちの田舎暮らし体験、木工教室などに有効利用され、里山景観に溶け込んだ温かみのある茅葺き民家のすばらしさを再認識していただいております。
 しかし、会員はもとより、利用された方々から「厨房があったら・・・・、トイレの位置をどうにか・・・・」と云う声もあります。
そこで、里山の景観に合った建物が出来ないか、もっと地元の山の木をたくさんの方に知ってもらい利用出来ないかと、昨年一年間「地元の山の木を生かし、冥賀の里に何ができるのか」と云う勉強会を開催いたしました。計9回の勉強会、延べ176人の方々の参加がありました。その中で貴重な意見とすばらしい構想の提案をいただきました。
◎申し込み・問い合わせ先  茨城県久慈郡下野宮1478-3    
              菊池ヒトシ建築事務所 02957-2-2446
    
http://www.geocities.jp/matwola/woodculture/benkyoukai.html

173ーー講演会のご案内 投稿者:大森健司  投稿日: 6月 7日(月)21時38分25秒
● 地震に強い家の講演会
NPO法人木造建築総合文化センター主催の建築セミナーでは
6月16日(水)に宮大工 大森 健司が『地震に強い家』と
題して講演します。
場所:キャリアカレッジ飯田橋
   〒112-0004 東京都文京区後楽1-9-5
   TEL 03-5800-3420
日時:6月16日(水)午後6時から8時
交通:JR中央線、総武線
   地下鉄 東西線、有楽町線、南北線 飯田橋駅下車 徒歩5分
   地下鉄 大江戸線 飯田橋駅下車 徒歩0分
定員:50名
会費:学生 500円、会員 1000円、一般1500円
詳しくは大森健司にお問合せください。会場への地図をメールにて
配布します。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/oomori-kida/
なお、当日ご出席の方には、6月20日都内で開催される講演会
『木造伝統技術』の御案内を差し上げます。是非、ご参加ください。

http://www2.tba.t-com.ne.jp/oomori-kida/

172ーーこれから???? 投稿者:勝  投稿日: 6月 6日(日)17時36分49秒 お久しぶりです。
私は、高校/大学と建築学を専攻してきました。卒研で以前から興味のあった日本建築史の中でも文化財や社寺建築についての論文を書きました。
そのことをきっかけとして、古い建物の修復.修繕をしていく宮大工をはじめさまざまな職人と関わりながら昔の知恵や技術を学びそれを後世に伝えていくことのできる仕事をしたいって思うようになりました。
具体的に、大学を出て、寺院建築、文化財とは無縁の、大工職人として半年あまり働いてきました。その中で、体力(肉体)的に限界を一番、最初に感じました。また、動作的にもすばやく動けないし、学問が選考しているせいか、頭で考えてしまうことがあって、このままやっていくことの難しさを感じています。
今後の方向性は、まだ決まってませんが報告まで。
171ーー建築のつくり手の資格について 投稿者:大森健司  投稿日: 5月11日(火)21時02分4秒

木造住宅をユーザーは何千万円という大金を出して手に入れるわけですが、国が決めた建築士という資格がなく家を造っている大工(小工)がいること自体、不思議なことです。
多分マイスター制度が確立している国の大工(本物)がこの状態をみたら、大変驚くと考えます。
わが国では一級・二級建築士があるところに木造建築士という制度が後からできたのです。より現場の大工(小工)に取得してほしいと国が考えた資格なのです。
私はなぜ資格にこだわるかというと国が決めた資格を取得して、それから我々大工は、こういう技術を持っているから、それも加味して建築確認など、優遇すべきだと主張すべきです。
残念ながら、まだまだ大きな山を越えなければ無理でしょうが、後に続く若い者に希望をもたせたいと考えます。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/oomori-kida/

170ーー飛鳥方面にある岡寺 投稿者:ちゃこ婆ちゃん  投稿日: 5月10日(月)10時48分32秒

 なんとかなりませんか。。。
 よそはみんな豪華絢爛なのに
 岡寺 山奥すぎるのか
 
 よそのお寺がカノウシマイ風なら
 岡寺はセトウチジャクチョウ風みたいに
 感じました。静かで風情のあるお寺でした。

169ーー先ほどの訂正 投稿者:大森健司  投稿日: 5月10日(月)07時31分20秒
先ほどの大工についての投稿者名は大森健司です。失礼しました。
168ーー大工 投稿者:大森 健司  投稿日: 5月10日(月)07時28分52秒
大工
大工という職業を多くの人が間違った考え方をしています。
 秩父の宮大工棟梁、坂本盛太郎のことを話しましょう。棟梁は19歳で秩父神社の水屋を設計して造り、大正3年には秩父夜祭の下郷笠鉾の屋型を設計して造りました。設計図から施工図まで書いております。その弟子の話では夜には、かえる股や虹梁の絵様や斗組の正寸図を書かされたと聞いております。
 更に天理教秩父大教会教祖殿の工事では基礎から壁下地、仕上、屋根瓦まで検査して完成させました。後年、屋根を葺いた職人は坂本棟梁が材料を一枚一枚カナヅチで音を聞き、屋根を葺いてもダメが出され、何度も手直しをしたこと、又、仕事を投げ出したくなった。しかし、そのことで後々大変役立ったと言って来たと現棟梁の坂本才一郎氏が話されています。なお、坂本才一郎氏は秩父夜祭に曳き出される笠鉾や屋台6台を修復しております。
 坂本盛太郎氏が活躍する時代には建築士という制度はありませんでしたが、本当の棟梁でした。現棟梁の坂本才一郎は秩父で最初の一級建築士を取得した人です。
以上先輩達の姿を見ますと、大工とは設計図から施工図まで書いて建物を造り、その建物にかかわる職方の仕事もわかり、指導できる人のことです。
 
 現在の大工(私は本当の大工がいないので、小工といっています。)をみると地盤のことはわからず、基礎の形状や鉄筋の加工や配筋もわからず、木の検査もできず、更に大事な屋根の葺き方も指導できない。又、建築士も取得せず、自分の技術力が優秀だから役所はもっと大工の話を聞いてくれないと言っても、役所側から考えれば、資格を持たない人の話など聞く耳も持たずです。
ドイツのマイスターは多くの人に尊敬されるが、そのマイスターになるには大変だと聞いています。自分の技術だけでなく他の職方の技術もわかっていなければならないのです。若い技術者はマイスターを殺せということわざ(技術を向上すべき)があるそうです。そうしないと自分がマイスターの地位につけないのです。
 私は本当の大工棟梁を生み出したく私塾「木造伝統技術伝承教室」を作ったのです。マイスターを生み出し、マイスターがたくさん出てくれれば、世間の人も見直してくれると考えます。教室は今まで、門を広く開いておりましたが、半年から1年でやめていく人がいました。*仕事をしながら通ってきて、きちっと図面を書かかなくてはいけないし、レベルの高いことをしているのも現状です。現在は大学の建築か土木を卒業した人しか入塾資格がなくなりました。それは、先に入っていた大工の人たちが規則を守らず、やめたので、その門を狭くしてしまったわけです。教室は6年間でマイスターになりますが、一級建築士の資格は必要条件と考えます。
 
 今年の9月から大工道場を開くことになりまオたが、3年間で卒業です。
、私がダメと判断した者は卒業させません。大工道場の優秀な者のみ、木造伝統技術伝承教室に入ることができるとうたっております。
 私が大工の定義といっていますが、そのようになれば、もう少し世の中から見直され、認められると考えます。
167ーー訂正 投稿者:沼澤  投稿日: 4月 9日(金)18時43分12秒
すみません。昨日の投稿で間違いがありました。
京都・太秦の広隆寺が正しいです。美しい弥勒菩薩があるお寺です。中宮寺は奈良・斑鳩にあるお寺ですね。かん違いです。失礼しました。
166ーー古都をゆっくり見学したい。 投稿者:管理人  投稿日: 4月 8日(木)23時18分31秒
 春の奈良・西の京、薬師寺と唐招提寺は良かったでしょうね。ゆっくりと古都を見学したいと何時も思っています。関東地方には無い、奈良、平安、鎌倉時代の建築は見ていても大変楽しいし、当時の日本の中心では時代の最先端の建築が建てられていたのが感じられます。
 古建築研究会でも来年の春に奈良、京都を見学する予定でいます。その予定はホームページで公開する予定でいますので、もし興味の有る方は注意して見ていてください。
165ーー一春の奈良・西の京 投稿者:沼澤  投稿日: 4月 8日(木)11時16分55秒
 奈良・西の京、薬師寺と唐招提寺を観てきました。ウン十年前の高校の修学旅行以来です。薬師寺は西塔が再建され、金堂も新しくなっていました。西塔と金堂は、色彩が鮮やかでしたが、風雨に晒されて、古い建物と調和するには、100年くらいかかると思いました。冷たい雨の日にもかかわらず、参詣の人が相変わらず多いのには、感心しました。
 唐招提寺は、あいにく金堂が解体修理中でしたが、講堂と僧坊は、そのままで、こちらはひと気が少なく、寂然としてよかったです。境内の桜が盛りでした。金堂の落慶は2009年頃の予定だそうです。
 小生は、古建築そのものには、ずぶのしろうとですが、古都の春の雰囲気を楽しんできました。数年前の夏には、京都・太秦の中宮寺や仁和寺を見ましたが、こちらもよかったですね。
164ーー社寺建築を目指す人へ 投稿者:大森 健司  投稿日: 3月 1日(月)15時28分25秒
インターネットで社寺建築を造っている建設会社、工務店の仕事を目にすることができるが、これが社寺建築かと考え込んでしまうものがたくさんあり、ただただ残念のきわみである。
わが国にはお手本となる優秀な建物がたくさんあり、それを学んで生かすことが、昭和・平成と生きている技術者の使命と考える。
飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、江戸時代と各時代を生きた職人たちが、どんな食べ物を食べ、どんな服装だったかを想像すると、たぶん私達よりもまずいものを食べ、粗末な服装で、貧しい生活であったことであろう。そのような職人が国宝・重要文化財となる建物を造ってきたことは畏敬の念を抱かずにはいられない。一方現在の技術者が設計図は平面図、立面図、矩計図しか書かずに社寺建築を造っていることが、大きな勘違いである。
私が学んだ薬師寺では、図面というと縮尺1:20,1:10を多数書き、1:1の正寸図や木工図、瓦納まり図、金具図まで作成した。設計図をはしょる(省略する)ことは厳禁であった。
恩師 工学博士浅野 清先生は造ってから、「ああだ、こうだ」と言う前に設計図から正寸図まで精査して建物を造るようにと指導された。
社寺建築を建てている技術者諸君、先人の技術を学び、努力して永く残る建物を造っていこうではありませんか。
『建築知識』04年1月号に木造住宅について執筆しました。是非ご一読ください。

西ノ京 薬師寺の流れを受く宮大工
大森 健司  一級建築士
163ーートークセッション 投稿者:たえのは  投稿日: 2月27日(金)16時24分21秒
パルテノン多摩(東京都多摩市)でドキュメンタリー映画『ニュータウン物語』
をロードショー公開しています。会場案内はhttp://www.parthenon.or.jp
毎夜。最終上映の後に、ゲストと監督のトークセッションがあります。
20:45〜21:30
トークのみの入場も可能です。(チケット代必要:一般1200円)

2月27日(金)のゲストはPHスタジオ。
「<棲む>こととアートをめぐって」というテーマでトークです。

建築関係にご興味あるかた、聞きにきませんか。

PHスタジオ
美術家と写真家と建築家からなるユニット。発足は1984年。「家具」「家」「都市」といった既成の枠組みを「棲む」というキイワードでそれらの解体と再読を試みようとしている。活動は、美術館やギャラリーでの展覧会、野外でのプロジェクト、建築設計等、多岐にわたっている。
http://www4.ocn.ne.jp/~phstudio/

2月28日(土)のゲストは竹内昌義氏(建築家fromみかんぐみ)
「「団地再生計画」ビフォーアフター」
http://www.mikan.co.jp/
http://taenoha.com/
162ーー一武家屋敷 投稿者:佐藤義勇  投稿日: 2月12日(木)01時30分49秒
武家屋敷を探していてたどり着いてしまった。
参考にさしていただきますね。
「お城と武家屋敷」ホームページ
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/7396/
見に来てくださいね。http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/7396/
161ーー茅刈り応援団を募集しています 投稿者:管理人  投稿日: 2月 4日(水)00時02分24秒
茨城県久慈郡大子町の「木の文化塾」が茅刈り応援団を募集しています。
興味の有る方は是非参加して下さい。

茅刈り応援団 募集
         主催 NPO法人 ふるさと元気塾
         共催       木の文化塾
         茅の刈り取りをお手伝いいただける応援団を広く募集しています。
         急ぎのお願いでは有りますが、御協力お願い申し上げます。
          なお、刈り取りに毎回参加して下さった方には樹齢30年前後
         (立ち木)の杉1本が旅澤家より贈られるそうです。
         茅刈りの場所と期日
         ◎期日      第1回 平成16年2月 8日(日曜日)
         ◎        第2回 平成16年2月15日(日曜日)
         ◎        第3回 平成16年2月22日(日曜日)
         ◎時間      午前 9時より          
                  大子町の方は午前7時、宮川グランド発
         ◎場所      ひたちなか市 ジョイフル本田周辺 http://www.geocities.jp/matwola/woodculture/index.html
160ーー茨城茅舎の会がフォーラムを開催します。 投稿者:管理人  投稿日: 1月31日(土)22時38分7秒
下記の通り、茨城茅舎の会が茨城県立図書館で「茅葺き民家の生活」と云うタイトルでフォーラムを開催します。是非参加をお願いします。
 ・・・・・・・・・・
 みんなで考えよう 心と自然の原風景
         茅葺き民家の生活
         茨城茅舎の会フォーラム
         日時 平成16年2月14日(土)13〜16時
          会場 茨城県立図書館 ホール・・・入場無料 
          題名 「茅葺き民家の生活」        
          基調講演 民家修理の昨今・・・講師 日塔和彦
                        (文化財建造物保存協会)
         パネルディスカッション          
          今瀬分也・・・茨城民俗学会代表理事        
          一色文彦、飯島いく、山本信三郎、小林勝洋、川島佐知子  
    主催 茨城茅舎の会、茨城県立図書館
    後援 日本ナショナルトラスト、茨木建築士事務所協会
       茅葺きサミット準備会、茨城民俗学会、郷土文化顕彰会  
159ーーこんにちは 投稿者:近藤 祐也  投稿日: 1月13日(火)23時34分52秒
突然のメールすいません。

僕は愛知県で大工を3年やっている 近藤 祐也 (こんどう ゆうや)
23歳 です。
大工の仕事に携わっていくうちに、 宮大工の修行がしたいと思うようになりました。
福島社寺建設さんで求人はしているのですか?
すごくやる気があります。教えてください。
待っています!
yu_ya_kondo@hotmail.co.jp
158ーー明けましてお目出度うございます。 投稿者:管理人  投稿日: 1月 5日(月)19時59分46秒
 歴史散歩 様、まつなが 様 
新年のご挨拶有り難うございます。
今年は古建築研究会は茨城県八郷町の社寺建築の調査のお手伝いをします。
調査報告などを掲載出来れば良いなと思っています。今後とも研究会のホームページをご利用していただければ有り難いと思っています。
 また、私が訪れた古社寺の掲載をしたいと思っています。下記のページで掲載する予定です。
古社寺遍路
http://www32.ocn.ne.jp/〜kokentik/
 もう一つ、茅葺きの情報もご利用下さい。
茅葺き情報ネット
http://www.geocities.jp/matwola/index.html

 古建築研究会 事務局 松浦正夫
157ーー明けまして 投稿者:歴史散歩  投稿日: 1月 1日(木)20時51分43秒
管理人さま
明けましておめでとうございます。ご無沙汰しておりますが、お変わりございませんか?
貴サイトの益々のご発展を祈念申し上げております。今年も宜しくお願い申し上げます。
歴史散歩−「富田林・寺内町(じないまち)フ探訪」管理人
http://www5d.biglobe.ne.jp/~heritage/
156ーー謹賀新年 投稿者:まつなが  投稿日: 1月 1日(木)09時30分59秒
一色さんご無沙汰しています。
ともあれ新年あけましておめでとうございます。
年末新治村の小町の里を訪れ、そのたたずまいの美しさに感動して、
インターネットで検索したところこのサイトにたどり着きました。
あそこは確かに平安期族の夢のような場所に思われました。
連載楽しみにしています。
2004 (平成16年)
155ーー何故、新月伐採なのか 投稿者:管理人  投稿日:12月18日(木)21時07分59秒
 かず さんへ
何故、新月伐採が気になるのかを書いていただければ色々な所から話が出て来るのではないでしょうか。
管理人としても新月伐採について気になります。何か利点が有るのか、民俗学的に謂れが有るのかなど、是非教えて貰いたいと思います。
154ーー新月伐採 投稿者:かず  投稿日:12月14日(日)11時15分37秒
新月に伐採したと思われる木をお使いの宮大工さん及び神社、仏閣の関係者の方、その木についてお話をうかがいたいのですがいらっしゃいましたらお教え下さい。
153ーー一発引寄せ君 投稿者:西部九広  投稿日:11月28日(金)15時38分46秒
大工さんが開発した、現場の経験から生まれた全く新しい建築用接合具「一発引寄せ君」。S マーク認定で、引き寄せて固定する新型込み栓です。簡単な施行、工期の短縮,コストダウン、強力な耐震性と、今の在来工法に求められる条件をすべてクリアする機能をもっています。http://www.ippatsu.jp/
152ーー近代建築探検家クラブさん 投稿者:管理人  投稿日:11月23日(日)19時41分40秒
近代建築探検家クラブ関西本部の開設お目出度うございます。是非、ホームページも開設して下さい。どんな建物を見て廻ったのか、見てみたいです。社寺建築も紹介して下さい。関西には文化財に指定されていなくても貴重な社寺建築が多いと思います。特に関西は古い建築が多いので江戸時代の建築が文化財に指定されていないものが多いです。
ご健闘をお祈りします。
151ーー近代建築及び古建築を見て歩こう 投稿者:びから たいしょう  投稿日:11月23日(日)17時03分02秒
『 エキサイトサークル 』というコミュニティサイトで、
「近代建築探検家クラブ関西本部」というサークルを作りました。
都合の良い方のサークルによかったら遊びに来ていただけませんか?

エキサイトサークル           会員数   20名
ご近所さんを探せ サークル     会員数    5名
インフォシークサークル         会員数    5名

   「近代建築探検家クラブ関西本部」はこんなサークルです。
───────────────────────────
     毎月、第二土曜日の午後、現地に集まり、関西の
    近代建築物 ( 駅舎、喫茶店、大学、学校、和風建築、
    寺院、寺社、産業遺跡、教会、 銭湯、醤油醸造会社、
    酒造会社を含む )を中心に、古建築、水琴窟、 町屋、
   寺内町、 史跡、資料館、美術館、博物館、企業博物館、 
      橋、戦争遺跡、廃墟、廃線跡、B級グルメ巡りをし、
      その後飲み会を 行っています。 見学、ROM も
   歓迎しています。
   入会金、年会費は無料です。

    近代建築探検家クラブ関西本部
  
   びから たいしょう
    bikara_2@hotmail .com
    http://circle.excite.co.jp/club.asp?cid=i2600449 
 
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