大人の修学旅行・京都奈良の国宝建造物(2)

奈良公園1 奈良公園2 京都市内1 京都市内2 法隆寺・奈良

大仏殿、南大門、般若寺を巡り、
宇治平等院に向かう。般若寺は初めて。

東大寺中門・回廊 東大寺大仏殿 東大寺大仏殿 東大寺大仏殿
奈良市雑司町406-1 奈良市雑司町406-1 奈良市雑司町406-1 奈良市雑司町406-1
竣工/1709(宝永6年) 竣工/1709(宝永6年) 竣工/1709(宝永6年) 竣工/1709(宝永6年)
db4★国指定重要文化財 db5★国宝 db6★国宝 db7★国宝
東大寺は大きい。二月堂から降りてきて、大仏殿の回廊の前に出て、中門の所に入口があると思ったら、一番奥の回廊の角にあった。拝観券を購入してから中に入った。 回廊を中門の所まで行って、全景を撮る。さすがに大仏殿は大きい。しかし、創建の奈良時代、鎌倉時代再建時の大仏殿はもっと大きかったようだ。左右を切り詰められた。 大仏殿を支える柱は江戸時代になると全国的に調達出来ず、ほとんどの柱が金輪締めの集成材、寄せ木作りの合成柱である。中心の柱の廻りに捌木12本を巻き金輪で締める。 大仏殿の軒下から上を見上げるとかなり高い。組物は南大門と同じ大仏様の組物である。柱から挿し肘木が伸びて、そこに枡が乗り、先端まで一段ごとに枡が増えて行く。

東大寺大仏殿

東大寺・虚空蔵菩薩像 東大寺大仏殿 東大寺大仏殿 東大寺・盧遮那仏
奈良市雑司町406-1 奈良市雑司町406-1 奈良市雑司町406-1 奈良市雑司町406-1
竣工/1752(宝暦2年) 竣工/1709(宝永6年) 竣工/1709(宝永6年) 竣工/752(天平勝宝4年)
di14★国指定重要文化財 di2★国宝 di3★国宝 di4★国宝
朝早くから歩いたため、疲れて堂内のベンチに座って休憩。正面に虚空蔵菩薩がみえる。大仏殿は宝永に完成したが脇侍が完成したのはそれから43年後。 大仏殿の内部、大仏様で作られているが小野の浄土寺のように豪快な感じがしない。鎌倉時代の重源が作った内部の構造はどのようなものであったか。 大仏の廻りを支える柱は外側の柱と同じ、ほとんどの柱が金輪締めの集成材である。奈良時代の大仏殿は伊藤ていじさんの本によると風が吹くとギシギシ音がしたそうだ 752(天平勝宝4年)に開眼供養会がされた。しかし、平安末期、戦国時代に火事こくぞうぼさつがで壊れ、大部分が修補され、当初の部分はごく一部である。

東大寺南大門

東大寺南大門 東大寺南大門 東大寺南大門 東大寺南大門
奈良市雑司町406-1 奈良市雑司町406-1 奈良市雑司町406-1 奈良市雑司町406-1
竣工/1199(正治元年) 竣工/1199(正治元年) 竣工/1199(正治元年) 竣工/1199(正治元年)
nd1★国宝 nd2★国宝 nd3★国宝 nd4★国宝
鎌倉時代の勇姿を見せるのはこの南大門である。大仏殿も鎌倉時代の大仏様の洋式で建てられているが構造がどのくらい違うのだろうか。想像するだけでも楽しい。 南大門の仁王像。阿形像は大仏師運慶と快慶が小仏師13人を率いて造立した。全体を分割して造形し、寄せ木を集め、繋ぎ合わせて造形したもの、その構想力が凄い。 同じく、吽形像は大仏師定覚および湛慶が小仏師12人を率いて造立したものであることも判明している。この大きな仁王像を二ヶ月という、短期間で作ったという。 南大門の構造は見上げると化粧屋根裏まで見える簡素な構造である。 解説によると工業製品のように大量に同じ部品を作り、組み立てたとものと云われる。

般若寺

般若寺楼門 般若寺本堂 般若寺経蔵 般若寺鐘楼
奈良市般若寺町221 奈良市般若寺町221 奈良市般若寺町221 奈良市般若寺町221
竣工/鎌倉中期 竣工/1667(寛文7年) 竣工/鎌倉時代 竣工/1694(元禄7年)
hn1★国宝 hn2★県指定文化財 hn3★国指定重要文化財 hn4★
南大門を出てバス停に向かう。奈良公園バスターミナルという建物があるので、そこに停留所があると思ったら、無い。結局、近鉄奈良駅の近くに有り、そこまで歩く。 般若寺方面に行くバスに乗る。途中、行く予定の転害門の前を通り、般若寺のバス停で降りて、本堂を拝観して、国宝の楼門を拝観。敷地内側から見る。 境内は。花の季節は大勢の人が来る。混み合っても人が流れるように順路が整備されている。経蔵を見てから、本堂の裏側に廻る。こちら側寺の駐車場がある。
本堂の脇に鐘楼がある。元禄の建立であるが土地を整備する時に石室が出て、忍性が埋設した宝珠が出たという。宝珠は失われたがその時の納入箱は今もあるという。

 

般若寺楼門 般若寺楼門 東大寺転害門 東大寺転害門
奈良市般若寺町221 奈良市般若寺町221 奈良市雑司町406-1 奈良市雑司町406-1
竣工/鎌倉中期 竣工/鎌倉中期 竣工/奈良時代 竣工/奈良時代
hn5★国宝 hn6★国宝 ks8★国宝 ks9★国宝
国宝の般若寺楼門は内側から見た時は今一の感じだったが外に出て、本来の京都から奈良に入る街道沿いから見る楼門は美しかった。 旧街道には古い町並みが残っている。歩いていて楽しい町並みであった。所々通りの透き間から洋風の奈良刑務所の建物が見える。 転害門は東大寺の境内にはあるが大仏殿からは離れた所にあるので観光に訪れる人は少ない。鹿が一匹寂しそうに草を食んでいた。 奈良文化財研究所が転害門の模型を作るに当たっての調査がネットに出ていた。現在の形は鎌倉時代の大改造があると書かれていた。

宇治平等院

平等院観音堂 平等院鳳凰堂 平等院鳳凰堂 宇治川
宇治市宇治蓮華116 宇治市宇治蓮華116 宇治市宇治蓮華116 宇治市宇治山田
竣工/鎌倉前期 竣工/1053(天喜元年) 竣工/1053(天喜元年) 竣工/
bd1★国指定重要文化財 bd2★国宝 bd3★国宝 bd5★
奈良駅の近くで昼食をとり、JR奈良駅より宇治の平等院に向かう。午後なので参道には人が多かった。観音堂はもう一つの文化財。 拝観料を払って中に入る。以前のようでは無いがそれなりに人が入っている。以前より人が少ないので撮影は楽。側面より撮影。 正面に廻るが少し、逆光ぎみ。前に出て撮影する人がいるので少し待ってから撮影する。人が多い時は撮影を諦めるのだが待てば撮れる。 平等院の裏口からで宇治川の堤防沿いから対岸の宇治上神社に向かう。橋を二つ渡る。国宝の宇治上神社に向かう人は少ない。

宇治神社・宇治上神社

宇治川 宇治神社本殿 宇治上神社拝殿  宇治上神社本殿
宇治市宇治山田 宇治市宇治山田1 宇治市宇治山田59 宇治市宇治山田59 
竣工/ 竣工/鎌倉後期 竣工/鎌倉時代 竣工/平安後期
uj1★ uj2★国指定重要文化財 uj3★国宝 uj4★国宝 
上から見る宇治川の流れは早い。橋を渡れば目の前に宇治神社の鳥居がある。通りから角を曲がると宇治神社。
宇治神社本殿の前にテントの例拝所。写真を撮るのに目障り、結局外に出てから全景を撮影した。
宇治上神社はすぐ側にある。住宅風の拝殿も国宝になっている。以前に来た時は閉まっていたので殺風景だった。 本殿は国宝建造物。今回は宮司さんもいるようで狭い境内であるが人が来ていた。それなりに賑やかであった。

 

宇治上神社春日社本殿 宇治上神社春日社本殿 宇治上神社春日社本殿  宇治上神社桐原水の建屋
宇治市宇治山田59 宇治市宇治山田59 宇治市宇治山田59 宇治市宇治山田59 
竣工/鎌倉後期 竣工/鎌倉後期 竣工/鎌倉後期 竣工/
uj5★国指定重要文化財 uj6★国指定重要文化財 uj7★国指定重要文化財 uj8★ 
摂社の春日神社、来た時に神主さんがバケツに水、雑巾で綺麗にしていました。掃除が終わるのを待って撮影。
鎌倉時代の蟇股は美しいですね。本殿の身舎の蟇股近寄って見る。彫物は左右対称で際し気がしてあるもの。
こちらは向拝の蟇股、身舎と同じように左右対称であるが彩色は無くて、刳り貫いてある。どちらも美しい 「桐原水」と称される湧き水で、「宇治七名水」のうちでは唯一現存する。 帰りに本場の宇治茶を飲み駅に向かう。

 

2020-10-09

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