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大雄寺総門 大雄寺廻廊 那須神社本殿 那須神社楼門
大田原市黒羽田町450 大田原市黒羽田町450 大田原市南金丸1628 大田原市南金丸1628
江戸末期 江戸末期 寛永18年(1641/江戸前期) 寛永19年(1642/江戸前期)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
大雄寺(だいおうじ)は曹洞宗の寺院。総門の両側の廻廊が延び、奥にある本堂を中心に北に庫裏、南に禅堂、が対峙し廻廊内に鐘楼があり、廻廊外には経蔵がある。殆どが茅葺であり、その姿と維持に感動する伽藍である。とくに各建物を結ぶ長い廻廊は見応えがある。全国的にも稀有で貴重な寺院建築である。●本堂 竣工/17世紀後半 桁行25.5m 梁間16.3m
●庫裏    嘉永1~4年(1848-1851)桁行26.9m 梁間10.5m
●禅堂 江戸中期
●鐘楼 江戸中期 方一間 入母屋造
●経蔵 江戸末期 正面5.3m 側面6.3m 向拝付 宝形造、銅板葺屋根
●総門 江戸末期 桁行1間 梁間1間 切妻造
●廻廊 江戸末期 北東廻廊23間 南東廻廊12間 南西廻廊13間
那須神社は、古くから金丸八幡宮として武家の崇敬を集めた。那須与一が戦勝祈願を行ったとも伝わる。中世末期からは黒羽城主大関氏の庇護を受けた。本殿は三間社流造、向拝付。棟梁は高宮次右衛門、高宮市兵衛。拝殿は寄棟造、桁行5間、梁間2間。元禄2年81689)には芭蕉もここを訪れている。


楼門(随神門)は三間一戸、桁行3間、梁間2間の八脚楼門。正面に八幡宮の扁額を掲げる。楼門は禅宗様で全体を彩色や絵画で装飾されており、その意匠は独創的で質が高い。本殿、楼門の形式、細部技法は当地域の中世からの技法で作られ、全体を近世の装飾技法で飾るなど中世と近世の特徴を併せ持つ。


 

雲巖寺山門 法輪寺勅額門 旧塩原御用邸御座所 木幡神社楼門
大田原市雲岩寺27 大田原市佐良土1401 那須塩原市「天皇の間記念公園」 矢板市木幡1194-1
竣工/江戸前期 竣工/江戸中期 明治38年(1905) 竣工/室町中期
★県指定文化財 ★市指定文化財 ★国指定重要文化財
開山当時は筑前の聖福寺、越前の永平寺、紀州の興国寺と共に日本の禅宗四大道場と呼ばれた。山門は江戸時代の竣工、入母屋造、銅板葺の楼門。全て丸柱で組物以外に目立った装飾はなく簡素である。全体に唐様で統一されている。二階には須弥壇が造られて多くの仏像が安置されている。


当寺は寛元3年(1245/鎌倉中期)後嵯峨天皇勅願所として宣下があり、山・院・寺号の三つの額を賜ったというが現存はしていなし。現在山門の額は江戸湯島にあった霊雲寺四世・法明和尚が書いたものという。山門は茅葺で逆門建造という時な形態である。一門一戸。鐘楼も茅葺だが詳細不明。

塩原御用邸は、時の県令三島通庸が塩原街道を開発し、ここに建築した別荘を前身としている。三島はこの別荘を皇室に献上した。新御座所は、明治38年(1905)、大正天皇が皇太子時代に御用邸内に造営した。建物は木造平屋(間口8間、奥行7間)の入母屋で本格的な数奇屋造りで建築されている。明治建築史を飾る貴重な文化財である。
木幡神社は、桓武天皇の時代(781~806)に坂上田村麿が蝦夷征伐の時に戦勝を祈願したといわれ、江戸時代には将軍家から御栄印を賜るなど由緒ある神社である。境内の本殿や楼門は国の重要文化財に指定されている。一間一戸、四脚楼門、入母屋造、上部高欄付。本殿も国重文で三間社流造。

 

三森家住宅主屋 三森家住宅長屋門 寺山観音寺楼門(仁王門) 荒井家住宅主屋・長屋門
那須郡那須町伊王野 那須郡那須町伊王野 矢板市長井1875 矢板市足立192
竣工/享保18年(1733/江戸中期) 竣工/明治35年(1902) 竣工/天和4年(1684) 延宝4年後(1676/江戸前期)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
白河関方面に続く旧東山街道沿いにある。三森家は天領伊王野の交代名主及び問屋を勤めていでた。寄棟造、茅葺屋根。間口22m、奥行10m。梁は松材をちょうな削りで木材を自然のまま巧みに組み合わせている。柱は栗材と杉を使用している。間取りは中央より左右に土間の部分と座敷より成る。土間には「いろり」と「うまや」がある。

主屋の前面に長屋門があり、竣工は明治35年(1902)。切妻造、桁行11.9m、梁間3.9m。







寺山観音寺は当初、法相宗の寺院で法楽寺と号し高原山剣ヶ峰山頂近くにあったという。延暦22年(803)に落雷により焼失、坂上田村麻呂が徳一上人を招き現在地へ移し、七堂伽藍が整備された。楼門は三間一戸の八脚楼門。入母屋造、銅板葺屋根、木部朱塗、上層部高欄付。寺宝には木造千手観音、十二神神将等多くの国指定の仏像がある。

代々庄屋などを勤めた家柄である。母屋は延宝4年の火災後に再建された。構造は、上手に下屋を取り込んでいる。正面は幅1尺(30cm)程度しか取り込んでいないため軒が高く、梁は比較的細い、二重梁とせず古式な手法を用いている。小屋は、扠首組に小屋束を併用している」。仕上げは、桁行12間、梁間5間半、寄棟造、茅葺屋根の農家建築。長屋門は明治30年(1897)竣工。

 

日光東照宮陽明門 日光東照宮五重塔 輪王寺・大猷院仁王門 岡本家住宅・長屋門
日光市山内2301 日光市山内2301 日光市山内2300 宇都宮市岡本町1624
寛永13年(1636) 文政元年(1818) 承応2年(1653) 竣工/江戸中期
★国宝 ★国指定重要文化財 ★国宝 ★国指定重要文化財
元和3年(1617)徳川初代将軍徳川家康公を御祭神にお祀りした神社。家康公は、元和2年4月17日駿府城で75歳の生涯を終えられ、直ちに久能山に神葬された。御遺言により、一年後の元和3年4月15日、久能山より現在の地に移され、二代将軍秀忠公をはじめ公武参列のもと、東照社として鎮座。現在のおもな社殿群は、三代将軍家光公によって、寛永13年(1636)に造替された。陽明門は東照宮は我が国の社寺建築を代表する建物で、空間を埋め尽くすかのように施された、おびただしい数の彫刻にある。 慶安3年(1650)若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝公によって奉納されたが文化12年火災にあい、文政元年(1818)に同藩主酒井忠進公によって再建された。初層軒下には富田宿の名工 後藤正秀が手がけた十二支の彫刻がある。初層内部にも漆塗り・彩色・漆箔がきらびやかに施されている。塔を貫く心柱は事例の少ない懸垂式で、四重から吊り下げられて浮いている。時を経て重みで塔身が縮んだ際にも、心柱が五重の屋根と相輪の間に隙間が出来ないよう、江戸時代に考え出された工法である。 大猷院とは祖父徳川家康を崇敬していた三代将軍家光の霊廟。家康公(東照宮)を凌いではならないという遺言により、金と黒を使用し重厚で落ち着いた造りになっている。大猷院の建築様式は神仏混交の東照宮に比べると仁王門から二天門、夜叉門から唐門、拝殿 本殿から皇嘉門をへて家光が眠る大猷院廟奥院にいたる配置は仏教の世界観を表しているといわれる。




庄屋格組頭を勤めた旧家。表門は入母屋造の長屋門。主屋が南に面して建ち、中央に玄関、東側に客間座敷を配し、その西北に寝室や馬屋・勝手・風呂場を設け、正面の玄関奥と裏の寝室が屋根続きとなっている。この建物の特徴は、茅葺き屋根の2棟が並んだ形で、小屋梁は細かい曲材を用いている。玄関・客間・座敷等建てられた時のままでよく保存されている。実邸の為内部非公開で長屋門が外からの望観のみ。



 

旧篠原家住宅 医王寺 医王寺 

医王寺

宇都宮市今泉1-4-33 鹿沼市北半田1250 鹿沼市北半田1250  鹿沼市北半田1250 
竣工/明治28年(1895) 竣工/元禄11年(1698/江戸前期) 宝暦3年(1753/江戸中期)  貞享3年(1686/江戸前期) 
★国指定重要文化財 ★県指定文化財 ★県指定文化財 ★県指定文化財 
篠原家は江戸末期から醤油醸造業をした商家で、明治期には肥料業なども営み兼愛有数の豪商となった。家はjr宇都宮駅近くの街道に面してある。桁行8間、梁間6間、正面に下屋庇をつけ外壁を黒漆喰塗にして1階両側面に地元産の大谷石を貼って防火的な処理を施している。関東でも有数の規模を誇る店舗平癒住宅である。 「東高野山」と呼ばれる弘法大師所縁の寺院である。三万坪の境内には茅葺の壮大ななど見事な建物が並ぶ。観光色のない好ましい雰囲気の寺で、ここを訪ねるだけで鹿沼に行く価値があるだろう。
●金堂  方五間堂 正面に1間向拝を設けた寄棟造。軒裏の彩色邪鬼も楽しい。 

●唐門     入母屋造の入母屋造の四脚門で正面に唐破風が有る向唐門。細部は日光東照宮陽明門と同様に地紋彫など華麗な彫刻に彩られる。




●弘法大師堂  方三間堂 入母屋造。妻入りの建物で、内部には、弘法大師を祀る厨子を安置し、正・側面の舞良戸の内側に大らかな松・桜の大樹が描かれ、天井は格天井に花鳥を描くなど、さまざまな彩色が施された優美荘重な建造物。


 

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