栃木県

栃木県南東部

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鑁阿寺本堂 鑁阿寺中御堂(不動堂) 鑁阿寺 旧濱田庄司家母屋
足利市家富町2220 足利市家富町2220 足利市家富町2220 芳賀郡益子町大字益子3021
竣工/正安元年(1299/鎌倉末期) 江戸中期 竣工/応永14年(1407/室町中期) 竣工/江戸後期
★国宝 ★市指定文化財 ★国指定重要文化財 ★町指定文化財
鑁阿寺の敷地は、元々は足利氏の館であり、現在でも、四方に門を設け、土塁と堀がめぐらされており、平安時代後期の武士の館の面影が残されている。この本堂は室町幕府初代将軍足利尊氏の父・貞氏が正安元年(1299)に再建したもので、鎌倉時代に禅宗とともに中国から伝わった当時最新の寺院建築様式の禅宗様をいち早く取り入れ、外来の新技術の受容のあり方をよく示している。東日本を代表する密教本堂。 鑁阿寺を開いた足利義兼により建久7年(1196)に建てられ、その後、文禄元年(1592)に足利基氏の末裔で喜連川氏初代である喜連川国朝により再建された。一山十二坊図には護摩堂と書かれていて、本堂と屋根つきの廊下で結ばれていたことがわかる。現在の建物は組みものや彫刻のつくりから江戸時代中期以降の建造物と思わる。なお内部には平安時代作といわれる不動明王像が置かれている。
応永14年(1407)に関東管領足利満兼により再建、宝永5年(1708)に屋根の修理がされている。外観は方5間堂だが、中心部の3間四方が主屋でそこから廻りの1間は裳階という。内部にはに八角輪蔵があり一切経二千余巻を蔵する。




芳賀郡市貝町市塙にあった民家を濱田が気に入り昭和5年に移築した。平成元年から益子陶芸美術館・陶芸メッセ益子内に移築、保存された。






 

高勝寺仁王門 高勝寺鐘楼堂 村檜神社本殿 嘉右衛門町
栃木市岩舟町静3 栃木市岩舟町静3 栃木市岩舟町小野寺4697 栃木市
竣工/享保2年(1742/江戸中期) 竣工/18世紀中頃 竣工/天文22年(1553/室町後期)  
★県指定文化財 ★県指定文化財 ★伝統的建造物群保存地区
宝亀8年(775年)に弘誓坊明源によって開基された。弘誓坊明源は伯耆国大山寺の僧で、地蔵菩薩の霊夢を見て岩船山に訪れ、生身地蔵と謁見することが出来たため開基した伝えられている。岩船山は死者の魂や霊魂が集まる場所だと伝えられている。棟札により享保2年に再建されたことがわかる。
モダンな感じのデザインで魅力的な建築である。三重塔の軸部の構造、斗杜の形状が類似しているところより見て18世紀中頃の建築と推定される。
●三重塔 竣工/寛延4年(1751)方三間、高さ19m。高欄のない縁を廻らし、脇間に中国古事の彫刻、中備えは十二支の彫刻が入る蟇股。大工は地元の大山兵六。
記録では飛騨の匠・甚五郎とされている。本殿の西南側の柱に左甚五郎作といわれる「うり」が刻まれている。三間社春日造、檜皮葺屋根で県内では当神社にのみ確認される建築様式。室町時代特有の華麗な絵柄も他府県にあまり例を見ないものである。


重伝建地区は嘉右衛門町及び泉町の旧日光例幣使街道沿いの町並みだが、その範囲から外れた入船町、倭町、万町辺りが古い建物が多く残っている蔵の町で良い。特にに巴波川沿いの風景は、舟運で栄えた往時を偲ばせる素晴らしい景観が見られる。また近代洋風建築の宝庫でもある。

 

旧横山家店舗・住宅 旧横山家店舗・住宅 入野家住宅主屋 入野家住宅長屋門 
栃木市入船町2-16 栃木市入船町2-16 芳賀郡市貝町大字赤羽2877 芳賀郡市貝町大字赤羽2877
竣工/明治42年(1909) 竣工/明治42年(1909) 竣工/天保12年(1853/江戸後期) 竣工/天保12年(1853/江戸後期)
★国指定登録文化財 ★国指定登録文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
横山家は麻問屋で富を築き、のちに金融業で隆盛を極めた商家である。初代・横山定助は明治5年に荒物屋を開店、その後は、野州麻を取り扱う麻問屋で財を成した。正面をつし二階風にし、内部は和洋折衷。





元は武士の出で、江戸初期から代々名主を勤めた豪農である。天保7年から12年までの5年を費やし、飢饉の折の村民救済事業として建設されたという。母屋は桁行10間半、梁間4間半に桁行7間半、梁間2間半の座敷部が食い違いに配されている。棟は前後に平行し、その間を短い棟で繋いでいる。面積は246㎡。
長屋門は桁行9間半、梁間2間半、中央に扉口、東側に「くら」、西側に「なや」を配している。





 

朝日堂・夕日堂 旧羽石家住宅 能持院惣門 専修寺
芳賀郡茂木町小貫 芳賀郡茂木町牧野1170 芳賀郡茂木町塩田227 真岡市高田
天文24年(1555/室町末期)? 竣工/元禄2年(1689/江戸前期) 竣工/文明年間 竣工/江戸前期
★国指定重要文化財 ★県指定文化財 ★国指定重要文化財
茨城県との境の山峠下にある小堂である。朝日に向かってたっつのが朝日堂で対峙して夕日に向かってたっつ夕日堂がある。堂は磯四郎左衛門と一人娘お仙の伝説にまつわる堂で四郎左衛門の菩提を弔うために建立され十一面観音を安置する。夕日堂は屋根が鉄板葺にかわっている。建物については説明がなく、堂が当時のままか否かはさだかではない。芳賀坂東二十八番札所。 一般農家建築である。間取りは土間と3室から成る。梁組は低く、二重梁が多く土間に独立柱がある。棟札があり、年代の確かな民家として、当地方の民家を知るのに、貴重な建造物である。桁行16.4m、梁間7.9m、寄棟造、茅葺屋根。



茂木11代城主・知持の建立と伝わる。切妻造、茅葺屋根の四脚門。柱は欅の丸柱で基盤をつけ、扉は藁座に立つようにこしらえている。西明寺(益子)の楼門と共通した室町時代の特徴を持つ。左右に袖壁を連ねて簡素だが美しい門である。



親鸞が嘉禄2年(1225)に開いた寺院である。浄土真宗高田派の本山であったが現在、本山は三重県の一身田に移った。如来堂(阿弥陀堂)を東向きに置き、これつ矩折りに御影堂を南向きに配した伽藍は他の真宗寺院では例がなく阿弥陀堂重視の古式と考えられる。茅葺の総門はじめ多くの建築群を有する大寺である。

 

桜町陣屋跡(二宮尊徳旧居) 大前神社本殿 大前神社拝殿 

海潮寺山門

真岡市物井2013-2 真岡市東郷937 真岡市東郷937  真岡市田町2317 
竣工/明治28年(1895) 竣工/宝永4年(1707/江戸中期) 竣工/宝永4年(1707/江戸中期)  竣工/文化3年(1806/江戸後期)
★国指定史跡 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★県指定文化財 
小田原城主・大久保家から分家して野州桜町4000石を知行し、宇津家を再興して、 元禄12年にこの地に陣屋を創設した。文政6年、領内が疲弊したため、藩主大久保忠真の命を受けて、二宮金次郎が桜町復興のために赴任し、以来26年間在陣執務して、桜町復興に成功し、名声をあげた。その後明治維新に陣屋は廃止となり、現在は茅葺屋根の陣屋の建物が残っている。 本殿は文禄2年の再建といわれるが宝永4年に大改修され、大工棟梁桜井瀬佐衛門安信の下で藤田孫平治藤原常信が中心となって本殿を、彫物は名人といわれた島村円鉄(無関円鉄)によって造営された。本殿にある龍の尾棰は桜井瀬瀬佐衛門と円鉄が関わった建物に多くみられる。


拝殿は幣殿と一体化しているが本殿とは別れている。神社の記録では元禄年間に建立され宝暦4年(1754)に改修とある。また「庫内日記」には天和2年(1684/江戸前期)に大前権現拝殿建立の記述がある。彫工の中心は嶋村円哲であり、拝殿の様式も本殿と似て同時期の建立か?。


海潮寺は芳賀氏の菩提寺として保護を受けていたが、慶長2年(1597)豊臣秀吉に芳賀氏の所領が没収され、その保護を失った。慶安元年(1646)将軍家光より、朱印寺として20石の寺領を認められ、また寛文11年(1671)には稲葉正則(老中)からも寺領4石を免税地として認められている。屋根は大谷石を瓦状に削って葺いた珍しいもの。入母屋造、楼門形式。

 

岡部記念館・金鈴荘 岡部記念館・金鈴荘 円通寺表門 

円通寺一切経塔

真岡市荒町2096 真岡市荒町2096 芳賀郡益子町大沢1770 芳賀郡益子町大沢1770 
竣工/明治中期 竣工/明治中期 竣工/応永9年(1402) 竣工/1806(文化6年)
★県指定文化財 ★県指定文化財 ★国指定重要文化財 ★県指定文化財 
岡部呉服店二代目・岡部久四郎が建てた岡部家の別荘で、昭和27年まで関係者の接待や呉服の展示会に使われた。内部に展示されている書画骨董類は、この地方にゆかりの深い作者のものである。




その後は割烹料理店「金鈴荘」として昭和63年まで使われた。木造二階建、防火土蔵造。昭和63年6月まで割烹料理店「金鈴荘」として利用されていたが、市が借り受け、真岡市近世百年の歴史・文化遺産として後世に引き継ぐため、岡部記念館「金鈴荘」として保存することになった。


浄土宗名越派本山として専称寺(福島県いわき市)とともに北関東から東北地方に展開し、中心となって末寺の統括と子弟の養成を行った。唐様の四脚門で切妻造、銅板葺屋根(元は茅葺)。主柱と控柱は丸柱である。桁行3m余、総高6m余。



金沢文庫や足利学校と並び、日本三大学府として名を馳せた大沢文庫の貴重な書籍や経典を有し、38棟の学生寮が存在した。その面影を伝える「一切経塔」は江戸時代に再興されたもの。方三間二階建、下層正面および両側に桟唐戸を設け左右に花頭窓を開ける。上層は正面に一間に唐板戸を設けて左右の丸窓を配す。宝形造、銅板葺屋根。

 

地蔵院本堂 地蔵院観音堂 綱神社本殿 

綱神社摂社大倉神社本殿

芳賀郡益子町上大羽945-1 芳賀郡益子町上大羽945-1 芳賀郡益子町大沢1770 芳賀郡益子町大沢1770 
竣工/1542(天文11年) 竣工/室町初 竣工/室町中期 竣工/大永7年(1527)/室町後期
★国指定重要文化財 ★町指定文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 
宇都宮氏歴代の菩提寺。本尊は延命地蔵菩薩。本堂は阿弥陀式の平面を持つ。室町中期に尾羽寺阿弥陀堂として建立し、天文11年(1542)に現在地に移築されたもの。桁行5間、梁間4間、入母屋造、銅板葺屋根。
方三間の小堂。栗材を用い、面取角柱である。飾気のない建築手法であるが茅負に年代の古さを見ることができる。昭和58年度に解体修理、寄棟造、銅板葺屋根(元茅葺)。 

宇都宮朝綱が土佐の賀茂神明を勧請した古社。地蔵院本堂とほぼ同時期の建立と推定される。三間社流造、桁行3間、梁間1間、外壁は真壁造素木板張り。


綱神社に隣接する。一間社流造、方一間、一間向拝付、茅葺屋根。これほどシンプルな姿と環境が整った美しい建築は稀有であろう。


 

西明寺楼門・三重塔 益子参考館(旧農家長屋門) 益子参考館旧濱田庄司邸離れ 

益子参考館

芳賀郡益子町益子446 芳賀郡益子町益子3388 芳賀郡益子町益子3388 芳賀郡益子町益子3388 
竣工/明応元年(1492/室町後期) 竣工/江戸期 竣工/江戸末期 竣工/大永7年(1527)/室町後期
★国指定重要文化財 ★県指定文化財 ★県指定文化財
禅宗様の三間一戸の楼門。入母屋造。禅宗様とは日本の中世寺院建築様式の一つ。
●三重塔  竣工/天文7年(1538/室町後期) 諸相は和様、二層は和様と禅宗様の折衷様式、三層は禅宗様と建築様式が異なる珍しい塔。屋根は銅板葺で、段葺している
昭和5年に近在の農家から買い受けた門。 





益子町小宅にあった高野邸母屋を移築した大型民家。桁行14間、梁間7間、寄棟造、茅葺屋根、正面に入母屋造の式台を持つ。



 


 

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