山形県

山形県南部

 北部はこちらから

旧松應寺観音堂 立石寺中堂(根本中堂) 上山の町並み 上山の町並み
山形市蔵王半郷字松尾山 山形市大字山寺4456-1 上山市鶴脛町 上山市鶴脛町
室町末期 室町中期 竣工/江戸末期 竣工/江戸末期
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財    
和銅元年(708)に行基が三仏を彫って安置したことが始まりとされる古刹。堂は方三間、一間子向拝付、素木板張壁、宝形造茅葺屋根。境内は古そうな石仏もありやや鄙びた感じである。 桁行5間、梁間5間、入母屋造銅板葺屋根。慈覚大師作と伝わる木造薬師如来坐像を本尊として安置する。


武家と町人が隣り合わせて住んでいた珍しい集落。武家屋敷は「森本家」「三輪家」「山田家」「旧曽我家」は連なって現存している。

当時の武士の生活を忍ばせる貴重な遺産となっている。三輪家と旧曽我部家葉内部を見学できる。旧曽我家は上山市指定文化材。他は外観のみ

 

旧尾形家住宅 熊野神社社殿 丸大扇屋(旧長沼家) 丸大扇屋(旧長沼家)
上山市下生居170 南陽市宮内3476-1 長井市十日町 長井市十日町
竣工/17世紀中頃 竣工/天明7年(1787/江戸中期) 明治23年(1789) 江戸中期
★国指定重要文化財 ★県指定文化財 ★県指定文化財 ★県指定文化財
代々庄屋を勤めた上層農家。土間と居間が広くここだけで普通の家の二軒分ある。この部分に丸柱が林立する姿は古い大型民家ならではのものである。「釘なし工法」の住宅建築。中門造り、桁行13間、梁間5間、寄棟、茅葺屋根。 





和歌山の熊野三社、軽井沢の熊野皇大神社(長野と群馬の県境)と並び日本三熊野と称される神社である。唐破風、千鳥破風を茅葺で造ることは山形独自の建築文化で、当神社の拝殿はその中でも最古のものである。





この家は、およそ350年前から長井の十日町で続いた商家だった。最小は荒物商を営み、後に呉服商となった。彫刻家・長沼孝三の生家でもある。店は嘉永元年(1848)の棟札があるが、文政元年(1818)の火災で前の建物が全焼したため、その後再建されたか何処かの建物を移築したかは定かでない。店に向かって左にある店蔵は同じ嘉永元年の棟札がある。
 列島古建築紀行に掲載

主屋は大きな茅葺で明治22年(1889)の竣工である。囲炉裏のある居間は建設当初は土間だったという。上段の間の欄間なども凝ったものである。内蔵は幕末竣工と思われる。新蔵は明治31年(1898)味噌蔵は天保3年(1832)の棟札がある。ここの蔵で最も古いものであるが、移築されたものと考えられている。新座敷は大正2年(1913)の竣工で、一つの山の木を吟味して材料を集めたといわれ、床下も高く、空気の流れの良い設計である。

 

観音寺観音堂 安久津八幡神社三重塔 安久津八幡神社本殿 安久津八幡神社舞楽殿
西置賜郡白鷹町深山3072 東置賜郡高畠町 東置賜郡高畠町 東置賜郡高畠町
竣工/室町後期

寛政9年(1797/江戸中期)

宝暦5年(1755) 室町末期
★国指定重要文化財 ★県指定文化財 ★県指定文化財 ★県指定文化財
茅葺の観音堂は、町の中心部からかなり離れた山裾に静かに佇ずむ。ここ深山地区は、会津仏教と神仏習合の羽黒修験との交流する交通の要衝であった。観音堂は、元は阿弥陀堂として建立されたもので、後に千手観音を安置して観音堂となった。昭和29年~31年の解体修理時の調査で、虹梁や貫などから室町後期の竣工と推定された。建物の規模は、方三間、棟高35尺(10.46m)、宝形造茅葺屋根、外壁は真壁造、素木板張り、阿弥陀堂形式の建築。

元は寺院であったことから三重塔などが見られる。三島池にたつ三重塔は方三間で置賜地方唯一の層塔である。最初の塔は寛政2年(1790)に烈風で倒壊したため、現在の塔は二代目である。竣工は寛政9年(1797/江戸中期)で棟梁は伊達郡鳥取村の山口右源次義高。





阿久津神社は貞観2年(平安中期)に慈覚大師の発願により阿弥陀堂が建立され、その後、源頼朝が鎌倉の八幡宮を勧請したといわれるが確証はない。当時の神仏習合の考えから阿弥陀信仰が八幡信仰に変わっいったと考えられる。本殿も再三火災に遭い、現在のものは宝暦5年(1755)の再建。三間社流造り、茅葺、軒組は和洋平三斗。大棟にいる魔除けの鬼面が良い。神社は街道沿い「道の駅」の向かいに位置するが境内の雰囲気も良く、みちのくの隠れた名所といえよう。 参道をふさぐように東向きにたっている方一間の宝形造、茅葺で西側に小さなおろし下げがあり、屋頂には石造の露盤と宝珠が置かれている。竣工は室町末期のものと考えられている。阿久津神社内の建築では一番美しく感じる建築である。舞楽殿では春の例大祭で田植舞(倭(やまと) 舞)、秋の例大祭では延年の舞がそれぞれ舞われる。




 

河北の火番小屋 羽黒神社社殿 羽黒神社社殿 笹野観音堂
西村山郡河北町 米沢市大字関根字坊住上 米沢市大字関根字坊住上 米沢市笹野本町5686-5
宝永7年(1710) 竣工/慶長3年(1598/安土桃山) 竣工/慶長3年(1598/安土桃山) 竣工/天保14年(1843/江戸後期)
★国登録文化財 ★国指定史跡 ★国指定史跡 ★市指定文化財
街道沿いにある安部家を囲む板塀に隅にたっている。安部家は宝暦7年(1757)頃に村内八兵衛家から分家独立し、四代・権内(ごんない)長秀の文化年間頃(1810頃)から頭角を現し、明治中期頃に最盛期を迎えた豪農である。主屋の竣工は安政元年(1854/江戸末期)である。したがって火番小屋も同時期と考えられる。火番小屋は人の出入り等を見る見張り小屋を兼ねる方一間程のものだが、現存遺構が少なく甚だ貴重なものである。 創建は大同元年(806)に出羽三山の羽黒山から羽黒神の分霊を勧請したのが始まりとされ、古くから神仏習合し当初は羽黒堂と称した。元亀元年(1570)の横壇原の合戦により社殿を焼失したが、米沢城主・直江兼続が再建したものが現在の社殿である。方三間、正面三間向拝付、入母屋造、正面千鳥破風茅葺屋根。同じ市内にある「笹野観音堂」より彫刻などの装飾は少ないが、その分シンプルな美しさと力強さが感じられる。 列島古建築紀行に掲載
笹野観音堂より知名度も低いため、静かな佇まいを味わる。茅葺の神門も同時代のものであろう。神主住居も茅葺だが、こちらはやや傷みがあった。普門院に含む地域が国指定史跡となっている。羽黒神社社殿は全国的に見て知られざる名建築の一つといえよう。




弘法大師の弟子・徳一上人の開基と伝えられる。観音堂(本堂)は天保4年の火災後の再建である。姿としては羽黒神社に似る。棟梁は渋谷嘉蔵、彫刻は後藤藤吉、政吉。延べ労働人口は七千人を要した。方三間、正面三間唐破風付向拝、入母屋造、茅葺




 

普門院 普門院 西屋 

西屋

米沢市大字関根字坊住上 米沢市大字関根字坊住上 米沢市大字関1527(白布温泉) 米沢市大字関1527(白布温泉)
寛政8年(1796/江戸後期) 寛政8年(1796/江戸後期) 竣工/文化3年頃(1806/江戸後期) 竣工/文化3年頃(1806/江戸後期)
★国指定史跡 ★国指定史跡 ★国登録文化財  ★国登録文化財 
仁寿3年(853)に英慶法印が創建、現在地に建立されたのは約450年前である。その建物は焼失して、山門は切妻造、茅葺の一間一、四脚門。
現在のものは寛政8年の再建で本堂は桁行9間、入母屋造、茅葺屋根。庫裏は入母屋造、茅葺屋根、正面千鳥破風。

かつては東屋・中屋・西屋の三軒の茅葺屋根の旅館が並んでいたが、平成12年の火事で東屋と中屋が全焼して西屋だけが残った。
建物は江戸、大正、昭和の三時代のものがある。登録文化財は江戸と大正時代のものである。客室などは比較的シンプルなもので凝った装飾などは見られない。

置賜地域の建築 最上・荘内地域の建築 村山地域の建築

古建築図鑑 トップ

古建築研究会 トップ

列島古建築紀行