秋田県

秋田県南部

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妙応山金剛院 両関酒造本館 三輪神社 三輪神社・本殿
湯沢市相川字外ノ目21 湯沢市前森4-3-18 雄勝郡羽後町杉宮字宮林 雄勝郡羽後町杉宮字宮林
竣工/天保10年(1839/江戸後期) 竣工/大正12年(1923) 竣工/室町後期 竣工/室町後期
★市指定文化財 ★国登録文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
元は妙応山普徳寺という天台宗の寺院で、戦国時代は鮎川(相川)城主・小笠原能登守の祈願所だった。のちに小笠原家の家臣・高橋源吾が出家して、修験に改宗して金剛院とした。建物は同地の大工・初五郎によって建てられた。基礎は石積で、腰回りを板張りとし、外壁は真壁である。寄棟造、茅葺屋根。修験道場と住居部分から成る。 創業は明治7年(1874)。本館は伝統的な町屋形式の意匠で、大屋根の妻入部分が事務所で、平入部分が住居である。繊細な格子窓と妻部分の和小屋の梁の重なりが美しい建築である。1〜4号の酒蔵は全て土蔵造、漆喰仕上げ、和小屋で明治25年〜大正5年に建てられたもので、棟梁は高久三太郎で全て国登録文化財である。

社殿が三つ平行に並んでいて、境内には鐘楼あるという不思議な神社である。境内も広くはなく、古社にしては樹木も細く小さい。当時の支配者の変遷などから多岐な運命をたどったのか等と思いを巡らす神社である。



本殿の造りは、滋賀県内の室町時代の遺構に多くみられるなど地域的に限定される形式で、関東、東北ではここが唯一の遺構である。形式の採用や伝播経路は不明である。




 

三輪神社・須賀神社本殿 鈴木家住宅 草薙家住宅 古四王神社
雄勝郡羽後町杉宮字宮林 雄勝郡羽後町飯沢字先達沢52 仙北市田沢湖生保内字下堂田18 大仙市大曲字古四王際
竣工/室町後期 竣工/17世紀後半 竣工/天保2年(1831年) 竣工/元亀元年(1570/室町後期)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財  ★国指定重要文化財
 
曲り家に見えるが、曲り家の突出部は馬屋で出入り口は無い。鈴木家の場合は日本海側などに多く見られる「中門造り」である。中門造りは出入口があり、馬屋、作業場、トイレなどがあり冬でも内部で作業ができる造りになっている。鈴木家は県内最古の住宅建築といわれる。古い民家というと太い梁や柱を想像するが三百年以上前の家にはそれはない。
曲り家形式の天保2年(1831)の建築といわれる上層農家の大型民家。仙北地方は曲り家が多いが、草彅家は厩部分が大きい。厩部分も母屋なみに建築しているため全体に上質な建築となっている。




飛騨の名工・古川甚兵衛の作とされる様式に捉われない組み合わせの建築と彫刻の作品。軒下の組物は和様だが唐様、天竺様も取り入れている。建築家・伊東忠太は「奇中の奇、珍中の珍」ち表し、京大教授・天沼俊一は「建築様式にこだわらない天下一品の作品」と評している。一間社入母屋造、唐破風造向拝一間、こけら葺。

 

水板倉 水板倉 角館の町並み 角館の町並み
大仙市大神成 大仙市大神成 大仙市角館町 大仙市角館町
竣工・明治42年(1909) 竣工・明治42年(1909)    
★市指定文化財 ★市指定文化財 重要伝統的建造物群保存地区 重要伝統的建造物群保存地区
全国的にも珍しい倉であろう。深さ1mの池の中に造られた美しい倉は、大仙市の山里の農家の裏手の田園にある。入口の橋は普段は外して(母屋で管理)ある。米泥棒や穀物を狙う小動物を防ぎ、火災の時は衣類などを入れたという。水と木材の長所を巧みに活かした水板倉は、長い農家の生活の中から生まれた籾米などの貯蔵用に造られた高床式の倉である。 竣工は明治42年(1909)で現役であることが素晴しい。夏は敷板を何枚か外して涼風を取り入れ、室温の調節をする。何よりもその魅力は、緑野にたつ美しい姿である。お宅を訪ねると、二匹の犬に吠えられたが、それが呼び鈴の役目をしているようで家の人が見えた。倉を見たい旨を告げると通してくれた。必ず挨拶して許可を得て見ることが条件である。 現在の角館は江戸時代に秋田に入封した佐竹氏の領内支藩としてとして、家臣・芦名義勝の城下町として整備されたもの。芦名氏以後は佐竹氏の一門である佐竹北家の陣屋町として発展した。武家屋敷が残り、春には角館北家二代目・佐竹義明の妻が嫁入り道具の一つとそて持ってきたといわれるしだれ桜四百本が町並みを飾り観光客が溢れる。
秋田の小京都と呼ばれる東北地方有数の大観光町。城下の縄張り(都市計画)として、南北に延びる町の中央に土塁を築いて「火除け地」を設け、武家居住区の「内町」と町人居住区「外町」とに分けたことである。武家屋敷は生活の場所であると同時に、町場の火事から武家地を保護した。


 

樅峰苑(旧小山田家住宅) 羽後長野の町並み 羽後長野の町並み 羽後長野の町並み
大仙市強首・強首温泉 大仙市長野 大仙市長野 大仙市長野
竣工/大正6年(1917)      
★国登録文化財      
豪農・小山田家住宅を転用した高級温泉旅館。小山田家は代々地主、政治家を勤めた家柄。棟梁は井上喜代松。「強首地震」の教訓から当主は井上を1年間派遣し、耐震技術を習得させた耐震性の高い家を造らせたという。

観光化の匂いは薄く、大仙市のHPには古い町並みについての案内などもない。町並みの連続性はないが、個々には見栄えのある家が点在し、人も少なく角館にはない良さである。佐竹家が角館に入る前に居た町で、羽後街道の脇街道と角館街道が交わるために繁栄を見せた。 二日町には江戸時代から続く「秀よし」で知られる鈴木醸造店が、今も風格のある構えを見せている。見るべきはこの酒蔵の界隈だが、長野やここから近い六郷の町並みは、黒板塀が連なり、どことなく角館に似ている。

二日町は玉川から雄物川を経て日本海に通じる水運の町でもあり、荷揚港としても栄えた所で、「川港町」とも呼ばれた。新町には清酒「高清水」で知られる中仙蔵があり、古い昔町の顔を残している。長野の酒蔵は明治末期には九軒もあり、石高二千を越えたという。

 

六郷の町並み 増田の町並み 増田の町並み  
仙北郡美郷町六郷 横手市増田町 横手市増田町  
       
  重要伝統的建造物群保存地区 重要伝統的建造物群保存地区  
六郷は扇状地にあり、町のあちこちに清水が湧く湧水の町である。その数は70以上といわれる。中世、六郷氏によって城下町の基礎ができ、羽州街道の宿場町、商業地として栄えた。現在の町並みは、酒蔵を軸にわずかに古い家が残る程度だが、長野や増田に似た雰囲気の昔町である。


江戸時代以降は商業活動が盛んになり、葉煙草や繭は秋田県内最大の産地となるなど、物資の集散地として繁栄した。明治期には、増田銀行(現・北都銀行の前身)の創立、増田水力電気会社などもでき、吉乃鉱山の採掘量の増加などと相まって大正期にかけて急速な発展を見せた。この中心地が現在の中七日町通りである。

この通りには伝統的な家屋が並んでいる。家は切妻造りで妻入りである。母屋の裏蔵を建て、鞘で覆ったものを内蔵という。その裏に資材用の外蔵を建てて、これを「トリオ」と呼ばれる土間で結ぶこの地方独特の商家造り。ほとんどが明治から昭和前期の竣工で、間口5〜7間に対して奥行きは50間〜100間もある極端な短冊形である。昔からの朝市は今も開かれている。

 

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