近代建築図鑑

福島県 中通り(福島市・二本松市・郡山市他)

福島市民家園 福島市民家園 福島市民家園 なかむらや旅館 旅館ほりえや
旧広瀬座 旧広瀬座 全景 旧寛家宿店 明治館 主屋
福島市上名倉字大石前 福島市上名倉字大石前 福島市上名倉字大石前 福島市飯坂町字湯沢18 福島市飯坂町字湯沢
1887(明治20年) 撮影 05-12 1887(明治20年) 撮影 22-07 1877(明治10年) 撮影 22-07 明治初期 撮影 09-09 1882(明治15年) 撮影 09-09
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★市指定文化財 ★国登録文化財
size 1869 X 2718 size 5472 X 3648 size 5472 X 3648 size 4268 X 2798 size 3000 X 2196
07-0001-01 07-0001-02 07-0001-03 07-0001-04 07-0001-05
旧広瀬座は、伊達郡梁川町(現伊達市)にあった芝居小屋である。明治20年に梁川町の町民有志によって、大衆娯楽施設の芝居小屋として建設された。解体修理を行う際に福島市民家園に移された。重要文化財に指定される。   江戸末期から明治10年代に、建てられた商人宿を兼ねた店舗である。旧会津街道と旧米沢街道の分岐点にあり繁盛していたが、鉄道利用の発展で、客の減少により廃業したという。一階が店舗で二階が宿泊用になっていた。 写真の右側の建物が江戸時代末期の創業時の建築と伝える本館で,外壁を土蔵造とする。左の土蔵も同時期のものと伝える。土蔵の奥が明治時代に建てられた新館である。本館も新館も土蔵造3階で本館は3階部分が少し小さい。
旅館ほりえやは、日本最古の木造建築共同浴場の鯖湖湯の脇に有る。鯖湖湯は老朽化により平成5年に元の形で再建された。ほりえやも明治15年の創業時代のままに木造3階建てで一部昭和の改造も有るが現在も営業してる。

 

花の写真館 日本基督教団 日本聖公会 旧す枡屋 福島交通
逓信省電気試験所福島出張所 新町教会堂 福島聖ステパノ教会 店舗 曽根田駅
福島市森合町11-36 福島市新町8-6 福島市置賜町8-29 福島市柳町 福島市曽根田町3-37
1922(大正11年) 撮影 08-06 1927(昭和2年) 撮影 98-08 1905(明治38年) 撮影 98-08 1863(文久3年) 撮影 08-06 1942(昭和17年) 撮影 08-06
size 3000 X 1973 size 1383 X 902 size 2124 X 3140 size 3000 X 2259 size 3000 X 2176
07-0001-06 07-0001-07 07-0001-08 07-0001-09 07-0001-10
大正11年に、逓信省が東北・北海道・樺太地域を管轄する目的で開設した、電気試験所福島試験所の建物である。その後、日本電気計器検定所福島試験所として使われたが、移転により平成12年に福島市に移譲された。
福島新町教会は昭和2年に建てられた洋風建築。ヴォーリズの初期の作品としても貴重な存在である。木造平屋一部3階建て、寄棟、瓦葺き、入口は3階の鐘楼で、玄関庇は半円形に膨らませた櫛形破風風で正面性を強調している。 福島聖ステパノ教会は繁華街中にある。教会の創建は明治24年という。現在の建物は米国出身の建築家・宣教師ジェームズ・ガーディナーの設計で明治38年の完成である。ガーディナーは立教学校(現・立教大)校長を務めた。 柳町・荒町は江戸時代から続く、城下町の入口にある繁華街であった。す枡屋も奥州街道沿いの老舗の代表格であり、徳川末期から続いている。近郊の農村向けの雑貨を販売していた。この建物の建立年代は文久3年である。
福島交通飯坂線の曽根田駅は大正13年に福島駅 - 飯坂駅間を開業した時に曽根田駅も開設された。昭和17年に経路変更により現駅舎が完成した。令和4年に改装工事にて、外観・内装ともに昭和17年当時の建築に再現された。

 

            
●・安斎ビル ●・東北電力 ●・竹屋旅館 ●・日本基督教団 ●福島県パン組合事務所
旧福島電灯 福島支店 主屋 福島教会堂 福島県農工銀行
福島市大町3 福島市大町2-35 福島市大町2-28/td> 福島市宮下町1-6 福島市柳町1-11
昭和初期 撮影 08-06 1927(昭和2年) 撮影 08-06 1902(明治35年) 撮影 08-06 1909(明治42年) 撮影 08-06 1933(昭和8年) 撮影 08-06
★ 取毀 ★ 取毀 ★ 取毀 ★ 取毀 ★ 取毀
size 3000 X 2402 size 3000 X 2331 size 3000 X 2091 size ・・・3点 size 2275 X 3000
07-0001-11 07-0001-12 07-0001-13 07-0001-14 07-0001-15

  【朝日新聞福島版(2012/5/24)】の記事によると建物の登記されたのは明治35年のこと、また土蔵は明治27年に建築された。「竹屋旅館」は大正時代に「西屋」という旅館に改造され、昭和22年竹屋旅館として開業。
福島教会はヴォーリズが手がけた最初の宗教建築。明治38年に来日したヴォーリズが4年後に福島に来て設計した。正方形平面の礼拝部、南に集会室、入口に鐘楼が付く。煉瓦・木造平屋建て。施工は棟梁・斉藤信吉が担当。
 

 

●・石井歯科 保原総合公園 JR伊達駅 旧五十沢郵便局 二本松城
主屋 旧亀岡家住宅 駅舎 局舎 箕輪門
福島市上町3-10 伊達市保原町大泉字宮脇 伊達市細谷 伊達市五十沢 二本松市廓内
昭和初期 撮影 98-08 1904(明治37年) 撮影 05-12 1929(昭和4年) 撮影 93-08 1935(昭和10年) 撮影 93-08 1982(昭和57年) 撮影 10-05
★ 取毀 ★国指定重要文化財 ★ 
size 946 X 1667 size 3000 X 2113 size 3186 X 2034 size 2068 X 3000 size ・・・5点
07-0001-16 07-0010-01 07-0010-02 07-0010-03 07-0012-01

亀岡が県議時代に交流があったという、福島県会議事堂の設計技師と云われる県技術職員江川三郎八に設計頼んだという。地元の大工小笠原国太郎が施工した。桑折町伊達崎にあったが、旧保原町に寄贈後、平成7年に復元される。 鉄道が開業した頃、ここの地名である長岡村から長岡駅と称していた。全国の鉄道が国有鉄道として整備される時に新潟県の長岡駅と混同されるために大正3年に改称された。外観は同時期に造営された霊山神社に合わせたという。
慶応4年の戊辰戦争において、新政府軍の戦いで、わずか1日の戦闘で落城した。この戦いで城の多くの建物が焼失した。菊祭で有名な城跡は県立霞ヶ城公園として整備され、昭和57年に箕輪門および二階櫓、多門櫓が再建された。

 

洗心亭 御菓子師玉嶋屋 日夏 智恵子記念館 智恵子記念館
茶室 主屋 店舗 智恵子の生家 智恵子の生家
二本松市廓内 二本松市本町1-88 二本松市本町1-203 二本松市油井字漆原町36 二本松市油井字漆原町36
1907(明治40年) 撮影 10-05 1919(大正8年) 撮影 10-05 大正期     撮影 10-05 1883(明治16年) 撮影 05-12 1883(明治16年) 撮影 05-12
★  ★国登録文化財 ★ 
size ・・・4点 size ・・・4点 size 3000 X 1836 size 2980 X 1983 size 2071 X 3240
07-0012-02 07-0012-03 07-0012-04 07-0012-05 07-0012-06
霞ヶ城址内の中腹に東面して建つ。木造茅葺き、寄棟平屋の茶室。城内にあった茶亭のひとつ「墨絵の御茶屋」が阿武隈川畔に移築され、明治40年に城内の現在地に再移築された。再度の移築によって差し替えられた部材も多い。  
智恵子の生家のある油井は安達郡の油井村、渋川村、上川崎村が合併して、安達町になり、現在は二本松市と合併した。生家は造り酒屋で明治16年頃に建てられたという商家である。入口に新酒の醸成を伝える杉玉が下がる。

 

● 二本松の洋館 本宮市立歴史民俗資料館 阿部写真館 ● 佐原商店肥料部 開成館・旧開拓結社
旧古川産婦人科医院 旧本宮電気株式会社 店舗 店舗 事務所
二本松市本町 本宮市本宮南町裡130 本宮市本宮南町裡86 本宮市九縄 郡山市開成3-3-10
昭和初期    撮影 10-05 1924(大正13年) 撮影 93-08 昭和初期    撮影 93-08 昭和初期    撮影 93-08 1874(明治7年) 撮影 01-10
★ 取毀 ★ 取毀 ★県指定文化財
size 3264 X 2127 size 2085 X 3032 size 2402 X 1953 size 2096 X 2989 size 3303 X 2119
07-0012-07 07-0014-01 07-0014-02 07-0014-03 07-0020-01
  大正13年に本宮電気株式会社の社屋として建築された建物である。鉄筋コンクリート造、一部レンガ仕上、本宮市内の古い洋風建築物。本宮電気株式会社は、その後東北電力になり、昭和55年に歴史民俗資料館として利用される。

明治7年に郡役所の前身である区会所として建築された。安積開拓の核となる「福島県開拓掛」の事務所として使われた。郡役所・県立農学校・桑野村役場としても使われ、昭和35年に県指定の文化財、昭和41年に修理、復元された。

 

安積歴史博物館 郡山市公会堂 日本基督教団 金透記念館 福島県郡山合同庁舎
安積高校旧本館 本館 郡山細沼教会礼拝堂 郡山尋常小学校 旧市役所庁舎
郡山市開成5-25-63 郡山市麓山1-8 郡山市細沼町8-12 郡山市堂前町5 郡山市麓山1-8
1889(明治22年) 撮影 90-08 1924(大正13年) 撮影 01-10 1929(昭和4年) 撮影 06-04 1875(明治8年) 撮影 00-06 1930(昭和5年) 撮影 01-10
★国指定重要文化財  ★国登録文化財 ★ 取毀 ★ 
size 2779 X 1868 size 1985 X 3000 size 3000 X 2025 size 2692 X 1932 size 3000 X 1753
07-0020-02 07-0020-03 07-0020-04 07-0020-05 07-0020-06
旧本館は、県立尋常中学校一県一校原則の時代の遺構で、木造、総二階建、平面は中廊下式で、二階に講堂を設ける。正面に玄関ポーチが付き、二階はベランダになっておる。昭和52年に重要文化財に指定され、修復保存された。 公会堂は郡山市の市制施行を記念して建てられた。設計は国会議事堂の設計に中心的に関わった矢橋賢吉である。しかし、多忙であったため、実際の設計は部下の萩原貞雄が行ったという。オランダ・ハーグの平和宮がモデルに。 この礼拝堂は郡山市中心部の官庁街近くにる。木造2階建、スレート葺で、縦長、通り角地に面して3階建塔屋を配した礼拝堂。令和3年の福島県沖の地震により被害を受け、改修を断念し、解体することになったという。
旧郡山尋常小学校は明治8年に建てれた木造2階建、擬洋風建築の建築である。「金透学校」の銘名は明治天皇東北御巡幸に随行した木戸孝允による。前面のファサードのみ、昭和53年に移築保存され金透記念館となっている。 昭和5年に旧郡山市役所として建てられた。左右対称のシンメトリーな構成で鉄筋コンクリート造2階建て、陸屋根、中央に玄関ポーチがあり、塔屋が付く。設計は宮田荘七郎、施行は増子組が担当している。昭和43年まで市役所。

 

郡山市美術館 郡山市美術館 日本聖公会 吉田薬局 丹治医院
本館 外観 本館 内部 聖ペトロ聖パウロ教会 店舗 主屋
郡山市安原町字大谷地 130-2 郡山市安原町字大谷地 130-2 郡山市麓山2-9 郡山市本町1-2 郡山市本町2-7
1901(明治34年) 撮影 07-06 明治初期 撮影 07-06 明治初期 撮影 07-06 大正初期 撮影 07-06 1935(昭和10年) 撮影 92-08
★国登録文化財
size 3000 X 1877 size 1895 X 3000 size 2884 X 1976 size 2344 X 3000 size 2000 X 3000
07-0020-07 07-0020-08 07-0020-09 07-0020-10 07-0020-11
郡山市にある美術館で、ターナーなどのイギリス美術、岸田劉生などの日本の近代美術、および、郡山にゆかりのある美術家の絵画や彫刻のコレクションがある。建物の設計は柳澤孝彦+TAK建築・都市計画研究所である。   郡山市麓山にあり、昭和6年に当時のビンステッド主教の指導の下で建てられた。教会堂は鉄筋コンクリート造平屋建て、切妻、鉄板葺きの建物で、3階建ての塔屋が付属する。設計は東京の上林設計事務所、施工も上林敬吉。

 

 

東邦銀行郡山中町支店 はくすい写真館 郡山医師会事務所 安積疎水事務所 本町2丁目の石倉
郡山商業銀行 店舗 郡山産婆婦看護学校 旧館 倉庫
郡山市中町 郡山市堂前町 郡山市清水台 郡山市開成3-3-7 郡山市本町2丁目
1938(昭和13年) 撮影 06-04 1932(昭和7年) 撮影 00-06 1937(昭和12年) 撮影 06-04 1937(昭和12年) 撮影 91-08 昭和初期    撮影 06-04
★ 取毀 ★ 取毀 ★ 取毀 ★ 取毀
size 3000 X 2015 size 2072 X 1917 size 3000 X 2000 size 3000 X 1912 size 3000 X 1881
07-0020-12 07-0020-13 07-0020-14 07-0020-15 07-0020-16
旧郡山商業銀行として昭和13年に建てられた。昭和16年に郡山商業銀行、会津銀行、白河瀬谷銀行の3行を合併して東邦銀行となった。コンクリート2階建て、陸屋根、左右がタイル貼の建物。平成26年に修復復元される。
 
安積疎水は明治時代に不毛の大地だった郡山の安積原野に猪苗代湖から取水した事業から安積疎水と言われ、事務所も当地の開発の拠点の一つとして大きな役割を担った。設計は渡辺恒雄、東日本大震災で大破して、解体された。  

 

岩瀬牧場(2棟) ●・笠原工業 ●・牧野小学校 ●・吉田建工所 白河ハリストス
玉蜀黍貯蔵所 旧繭倉庫 校舎 旧七郷郵便局 正教会聖堂
須賀川市前田川字草池 須賀川市上人坦161 田村市大越町大字牧野 田村市船引町 白河市愛宕町
1880(明治13年) 撮影 10-04 1917(大正6年) 撮影 92-09 1954(昭和29年) 撮影 93-06 1933(昭和8年) 撮影 93-06 1915(大正4年) 撮影 08-06
★市指定文化財 ★ 取毀 ★ 取毀 ★ 取毀 ★県指定文化財
size ・・・5点 size 2979 X 1872 size 3196 X 2135 size 2908 X 2100 size 2712 X 3228
07-0022-01 07-0022-02 07-0024-01 07-0024-02 07-0026-01
茅葺のとうもろこし倉・明治初期に宮内省御料局の開墾地として岩瀬郡鏡田村から前田川村の六軒原が開墾され、牧畜用農具や乳牛をオランダから輸入して欧州式大農経営が行われた。この時建てられた玉蜀黍貯蔵用の倉庫である。  

平面は西側に玄関があり、上部は鐘塔になっている。東に至聖所があり、全体は十字型平面である。設計は豊橋聖堂や函館聖堂を担当した、当時副輔祭であった河村伊蔵である。画家・山下りんの描いたイコン(聖画像)がある。

 

明治記念館 JR東日本・白河駅 JR東日本・白河駅 旧伊達郡役所 JR東日本
旧西白河郡役所 駅舎 駅舎 庁舎 桑折駅舎
白河市五郎窪40 白河市郭内 白河市郭内 伊達郡桑折町陣屋 伊達郡桑折町南半田
1883(明治16年) 撮影 05-11 1921(大正10年) 撮影 08-06 1921(大正10年) 撮影 08-06 1883(明治16年) 撮影 93-08 1940(昭和15年) 撮影 93-08
★国指定重要文化財
size ・・・5点 size 2979 X 1872 size 3196 X 2135 size 2908 X 2100 size 2712 X 3228
07-0026-02 07-0026-03 07-0026-04 07-0100-01 07-0100-02
旧西白河郡役所は洋風木造2階建て、寄棟、金属板瓦棒葺き、下見板張り、上げ下げ窓、明治16年の建立。明治初期の郡役所の遺構である。南湖公園の湖畔に移築保存された。藤田記念博物館と明治記念館となっている。  
伊達郡役所は保原町に明治12年に設置された。桑折町の誘致運動で明治16年に改めて桑折町に新築された。山形県令などを務めた三島通庸による擬洋風庁舎である。施工は地元大工の山内幸之助・銀作の手によるものである。
 

 

●・三春の町並み 三春文化伝承館 旧遠藤医院 ●・遊郭 しまむら 中里(宿)
蔵の町 旧吉田邸 主屋 遊郭跡 古民家の宿
田村郡三春町 田村郡三春町大町82 田村郡三春町字南町地内 田村郡三春町庚申坂 田村郡小野町
町並み     撮影 06-02 1895(明治28年) 撮影 00-06 1923(大正12年) 撮影 01-10 大正期     撮影 18-10 明治時代    撮影 08-06
★ 取毀 ★県指定文化財 ★ 取毀
size ・・・8点 size ・・・3点 size 3352 X 2071 size ・・・16点 size ・・・7点
07-0120-01 07-0120-02 07-0120-03 07-0120-04 07-0122-01
三春町は江戸初期に秋田氏が入り、城下町として整備した。三春町は四方に街道が延びる交通の要所で商人町も発達し、多くの土蔵の蔵が有ったが東日本大地震後、取り壊された。写真の蔵も取り壊され、現在は無くなっている。 明治時代の地元出身の豪商であった旧吉田邸を修理して公開したものである。主屋は数寄屋造りの2階建で高級材を使った内部仕上げである。敷地は300坪の広さで、主屋のほかに蔵、高台に紫雲閣と呼ばれる蔵座敷がある。
三春町の遊郭は江戸後期に作られ、庚申坂遊郭として有名であったという。明治二十八年に弓町に移転した。移転後も「新庚申坂・弓町新地」と云って営業をしていた。その頃の建物が4軒有ったがすべて取り壊されたという。
 

 

●・三春の町並み 三春文化伝承館 旧遠藤医院 ●・遊郭 しまむら 中里(宿)
蔵の町 旧吉田邸 主屋 遊郭跡 古民家の宿
田村郡三春町 田村郡三春町大町82 田村郡三春町字南町地内 田村郡三春町庚申坂 田村郡小野町
町並み     撮影 06-02 1895(明治28年) 撮影 00-06 1923(大正12年) 撮影 01-10 大正期     撮影 18-10 明治時代    撮影 08-06
★ 取毀 ★県指定文化財 ★ 取毀
size ・・・8点 size ・・・3点 size 3352 X 2071 size ・・・16点 size ・・・7点
07-0120-01 07-0120-02 07-0120-03 07-0120-04 07-0122-01
三春町は江戸初期に秋田氏が入り、城下町として整備した。三春町は四方に街道が延びる交通の要所で商人町も発達し、多くの土蔵の蔵が有ったが東日本大地震後、取り壊された。写真の蔵も取り壊され、現在は無くなっている。 明治時代の地元出身の豪商であった旧吉田邸を修理して公開したものである。主屋は数寄屋造りの2階建で高級材を使った内部仕上げである。敷地は300坪の広さで、主屋のほかに蔵、高台に紫雲閣と呼ばれる蔵座敷がある。
三春町の遊郭は江戸後期に作られ、庚申坂遊郭として有名であったという。明治二十八年に弓町に移転した。移転後も「新庚申坂・弓町新地」と云って営業をしていた。その頃の建物が4軒有ったがすべて取り壊されたという。
 

 

石川中央病院 旧矢吹医院 坂路酒店 ●旧アリスクリーニング ●・佐川商事倉庫
主屋 主屋 店舗 店舗 石蔵
石川郡石川町新町55 石川郡石川町下泉 石川郡石川町下泉 石川郡石川町下泉 石川郡石川町双里字双里
昭和初期    撮影 06-02 昭和初期    撮影 00-06 昭和初期    撮影 01-10 昭和初期    撮影 18-10 昭和初期    撮影 08-06
★ 取毀 ★ 取毀
size 4152 X 2774 size 2597 X 3246 size 4088 X 2790 size 4368 X 2912 size 2118 X 2612
07-0130-01 07-0130-02 07-0130-03 07-0130-04 07-0130-05
   

 

 

大正ロマンの館 大木代吉商店 大木代吉商店 実践堂 西郷村民俗資料館
旧尾形医院 店舗 店舗 旧東邦銀行矢吹支店 旧軍馬補充部白河支部事務所
西白河郡矢吹町 西白河郡矢吹町本町9 西白河郡矢吹町本町9 西白河郡矢吹町本町4 西白河郡西郷村小田倉463
1920(大正9年) 撮影 06-04 明治初期    撮影 06-04 明治初期    撮影 06-04 1927(昭和2年) 撮影 06-04 1935(昭和10年) 撮影 05-11
★  ★村指定文化財
size 3720 X 2774 size 4206 X 2912 size 4206 X 2600 size 3924 X 2816 size 3160 X 2017
07-0140-01 07-0140-02 07-0140-03 07-0140-04 07-0142-01
大正ロマンの館は大正9年に屋形医院の病院建築として建てられた。木造2階建、金属板葺きで、下見板張り、縦長の上げ下げ窓などの洋風建築。東日本大震災では壁が崩れるなどの被害を受けた。約2年間の修復工事を経て復元。  

陸軍によって設置された、軍馬補充部は軍馬の育成牧場など、全国に支部が置かれた。建物は昭和10年に軍馬補充部白河支部事務所として建設された。戦後、各種の団体のに使われ、現在、西郷村歴史民俗資料館として利用される。

 

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2022-02-10開始  修正 2022.10.17up