近代建築図鑑

山形県 南部(村山南部・置賜)

山形市郷土館 山形市郷土館 山形県郷土館-文翔館 山形県郷土館-文翔館 教育資料館
旧済生会本館 旧済生会本館 旧山形県庁舎 旧山形県会議事堂 旧山形師範学校本館
山形市霞城町1-1 山形市霞城町1-1 山形市霞城町3-4 山形市霞城町3-4 山形市緑町2-2-7
1879(明治12年) 撮影 91-07 1879(明治12年) 撮影 91-07 1914(大正3年) 撮影 18-07 1914(大正3年) 撮影 18-07 1901(明治34年) 撮影 91-07
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
size 1770 X 2541 size 3256 X 2080 size 4675 X 2933 size ・・・11点 size 2853 X 1989
05-0001-01 05-0001-02 05-0001-03 05-0001-04 05-0001-05
山形県令三島通庸の山形の近代化を図るという政策で、明治11年に山形県立病院として建築された。「済生館」の名前は当時の太政大臣・三条実美の命名による。オーストリア人医師ローレツを金沢医学校から招聘した。 建物は、当時横浜にあったイギリス海軍病院を参考にしたと言う。正面の塔屋は三層構造にし、病室を円形に配置した。建設は原口祐之を棟梁とし、山形の宮大工と300人の職人たちの手によって僅か7ヶ月で完成した。 三島通庸により、初代の県庁舎が、明治10年、県会議事堂は明治16建設された。しかし明治44年の山形大火によって両棟とも焼失した。大正3年にイギリス・ルネッサンス様式を基調として県庁舎とた県会議事堂に同時に建設された。 設計は、田原新之助が担当し、米沢市出身の中條精一郎が顧問を勤めた。田原新之助はジョサイア・コンドルの内弟子として明治23年に15才で入門した。明治41年までコンドルの仕事を手伝っている。その後、曽禰事務所にいた。
旧山形師範学校本館の建物は明治34年に建てられた。木造2階建て、切妻、瓦葺、外壁は竪瓦型煉瓦下地モルタル仕上の建物で、縦長の上げ下げ窓、玄関上部の2階はバルコニーの名残が見られる。棟の中央には塔屋を設ける。

 

教育資料館 山形北高講堂 千歳館 山形まなび館 吉池小児科医院
旧山形師範学校門衛所 旧山形師範音楽練習室 主屋 市立第一小学校旧校舎 主屋
山形市緑町2-2-7 山形市緑町2-2-7 山形市七日町4-9-2 山形市本町1-5-19 山形市十日町2-4
1884(明治17年) 撮影 91-07 1884(明治17年) 撮影 91-07 1915(大正4年) 撮影 99-11 1927(昭和2年) 撮影 99-11 1912(大正元年) 撮影 99-11
★国指定重要文化財 ★県指定文化財 ★国登録文化財 ★国登録文化財
size 1974 X 2722 size 2784 X 1879 size 3063 X 2079 size 3359 X 2119 size 1031 X 1372
05-0001-06 05-0001-07 05-0001-08 05-0001-09 05-0001-10
旧山形師範学校本館と共に門衛所(木造平屋建、切妻、鉄板葺、妻入、外壁は下見板張、ペンキ仕上げ、軒下の持ち送、下屋庇の軒先にはバージーボード)、正門(石造)なども近代洋風校舎の遺構として重要文化財に指定される。
山形尋常師範学校の付属小学校の音楽練習教室として建てられた。何度か移転を繰り返し現在は山形北高等学校講堂として利用されていた。明治時代に建てられた洋風教育施設の遺構として県指定文化財になっている。 市中心部の老舗料亭「千歳館」は玄関中央を洋風のポーチを設け、西側を洋風,東側を和風とする和洋の折衷様式の建築である。山形市は「千歳館」の敷地を買い取り、「花小路公園」(仮称)として整備すると予定という。 山形県初の鉄筋コンクリート造3階建の校舎として建てられる。その後、勧業博覧会の会場などと利用された。コの字型の左右対称の平面で正面中央に塔屋を設け、近代建築のアールデコの細部を付けた校舎であった。
吉池小児科医院は山形県庁舎の設計顧問を務めた、地元米沢出身の建築家・中條精一郎が設計した。曾禰中條建築事務所を設立して、慶應義塾大学図書館などの設計をした。曾禰達蔵は工部大学校造家学科の第一期生である。

 

            
市島銃砲火薬店 七日町二郵便局 日本基督教団 やまがたレトロ館 山寺風雅の国(廃館)
病院 旧丁字屋用品店 山形六日町教会 旧山寺ホテル 旧村山家住宅
山形市十日町2-4 山形市七日町5-10-53 山形市七日町 山形市山寺 山形市山寺4224
1926(大正15年) 撮影 99-11 1925(大正14年) 撮影 99-11 1914(大正3年) 撮影 99-11 明治初期頃 撮影 99-11 不明 撮影 99-11
★国登録文化財 ★国登録文化財
size 2088 X 2979 size 1705 X 2548 size 2763 X 2012 size 3227 X 2080 size 3288 X 2128
05-0001-11 05-0001-12 05-0001-13 05-0001-14 05-0001-15
江戸時代より火薬を扱っていた商家である。鉄筋コンクリート造2階建、切妻、鉄板葺、妻入、建築面積45㎡、外壁はモルタル洗い出し仕上げ。敷地内奥に配された市島家住宅蔵は明治43年の建築で登録文化財になっている。
丁字屋洋品店として大正14年に建てられた。戦後は洋品店としての営業を続けながら、2階をダンスホールとビリヤード場などに使われた。RC造の耐火耐震設計の店舗建築として古いもの。設計は伊藤設計事務所の伊藤高蔵である。 明治44年の山形大火により教会堂が焼失し、大正3年六日町に再建移転する。旧県庁舎(大正5年築)の裏手にあり、正面右側に入口が有り、その奥が塔屋になっている。左側が礼拝堂で道路側に大きな尖閣アーチ窓が有る。
現在、山寺ホテルは「やまがたレトロ館」として無料公開されている、立石寺門前の川岸に建ち、中央の本館、西の居住部、東の新館と、二階建三棟を複合する。仙山線開業頃に山寺駅側に唐破風造の玄関を設けた。
 

 

● 山形第六小学校 上山の武家屋敷群 旧東村山郡役所 旧東村山郡役所 JR奥羽本線
旧校舎 町並み 旧庁舎 旧庁舎(修理前) 神町駅舎
山形市鉄砲町 上山市鶴脛町 天童市甲4103-5 天童市甲4103-5 東根市神町中央
1934(昭和9年) 撮影 85-07 江戸中期〜後期 撮影 07-06 1879(明治12年) 撮影 91-07 1879(明治12年) 撮影 83-01 1947(昭和22年) 撮影 11-09
★ 取毀 ★一部・市指定文化財 ★県指定文化財 ★県指定文化財 ★ 
size ・・・20点 size ・・・11点 size ・・・9点 size size 4416 X 2581
05-0001-16 05-0010-01 05-0012-01 05-0012-02 05-0014-01
昭和9年にRC造3階建て建築、山形市第七尋常高等小学校として開校。太平洋戦争終結により山形市に駐留した占領軍により2年間に渡り校舎の接収を受けた。旧校舎は、内部の老朽化により、新校舎は平成8年に新築完成(wiki)
上山藩は江戸初期に最上家が改易され、藩主が数代替わったが、元禄に藤井松平家が明治まで続いた。上山城下の仲丁通り(武家屋敷通り)沿いに中級武家住宅群現存する。三輪家、旧曽我部家が建物内部を見学出来る。 明治11年に郡制が布かれたことに伴い、東村山郡の郡役所として創建されたもので、明治12年10月に落成し、11月16日に開庁した。3階に塔屋をもつ瓦葺漆喰白壁の洋風建築で、山形県に残るものでは最も古い時期のものである。
旧東村山郡役所は、明治32年以前には2階建に改装されていた。昭和60年(1985)山形県指定による解体復元工事が行われ、白亜の漆喰塗り3階建の創建当時の姿が蘇った。写真は修理前のものである。設計や施工は共に不詳である。
太平洋戦争前は近くに神町海軍航空隊があり、JR奥羽本線の神町駅に終戦後は米軍キャンプが進駐し、神町駅にRTO(連合軍鉄道運輸司令部)が置かれた。この駅舎は連合軍によって占領下の昭和22年に建て替えられた。

 

旧西村山郡役所 旧西村山郡役所 旧米沢工業学校 旧米沢工業学校 ホテル音羽屋
庁舎 議事堂 本館 本館 本館
寒河江市寒河江2707 寒河江市寒河江2707 米沢市城南4-3-16 米沢市城南4-3-16 米沢市駅前2-1-40
1878(明治11年) 撮影 03-10 1886(明治19年) 撮影 03-10 1910(明治43年) 撮影 91-07 1910(明治43年) 撮影 91-07 1937(昭和12年) 撮影 91-07
★県指定文化財 ★県指定文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国登録文化財
size 3084 X 2001 size 2876 X 1991 size 3178 X 1929 size 2072 X 2949 size 2796 X 1978
05-0016-01 05-0016-02 05-0020-01 05-0020-02 05-0020-03
明治11年の太政官布告によって寒河江村南町に西村山郡役所が建てられた。旧西村山郡役所は、木造2階建、玄関には洋風の建築柱やバルコニーを設けてある。施工は地元寒河江の棟梁富樫伊久助が中心になって建築された。 旧西村山郡会議事堂は、明治19年に建てられた、木造2階建ての洋風建築である。西村山郡の議事堂の後、郡立実業学校、本郷村庁舎、大江町庁舎として利用された。寒河江公園内に現存する最古の郡会議事堂として移築された。 米沢高等工業学校は明治43年に7番目の高等工業学校として建てられ、戦後の学制改革で山形大学工学部となった。本館は、木造2階建てルネサンス様式で建てられた。開学当初の建物で、設計は文部省建築課の中島泉次郎である。

奥羽線開通に伴い、JR米沢駅前に音羽屋旅館として開業した。現在の建物は新館として大正末期に計画され、昭和2年に着工、10年後の昭和12年に竣工した。木造3階建,入母屋造で2階に出窓,3階には花頭窓のデザイン。

 

九里学園高等学校 米沢織物歴史資料館 米沢織物歴史資料館 白布温泉西屋旅館 ● JR米沢駅
米沢女子高校 旧米沢織物組合本館 ステンドグラス 母屋 本館
米沢市門東町 米沢市門東町1-1-87 米沢市門東町1-1-87 米沢市大字関1527 米沢市
1921(大正10年) 撮影 95-09 1922(大正11年) 撮影 95-09 1922(大正11年) 撮影 95-09 昭和初期 撮影 95-06 1930(昭和5年) 撮影 91-07
★国登録文化財 ★  ★  ★市景観建造物 ★ 取毀
size 3294 X 2119 size 2815 X 1674 size 1365 X 3155 size ・・・12点 size 2690 X 1601
05-0020-04 05-0020-05 05-0020-06 05-0020-07 05-0020-08
創立者の九里とみは東京裁縫女学校(現・東京家政大学)で学び、九里裁縫女学校を明治34年に開校した。生徒の増加により、昭和10年に現校舎を建築した。L字型の平面構成で角に面を取り、玄関とする。木造2階建、洋風建築。 米沢は江戸時代より青苧(あおそ、からむし)の産地として有名であったが上杉鷹山の時代より、生糸への変換が図られ、米沢織の基礎が築かれた。資料館は旧米沢織物組合本館としてコンクリート2階建てで、建てられた。
白布温泉には茅葺の東屋、中屋、西屋の3軒があったが、平成12年の火災で「東屋」と「中屋」が焼失してし、茅葺きの建築は西屋の母屋(文政12年(1829))のみ残っている。客室の本館は大正末期から昭和初期の建築である。
 

 

●・荘内銀行 旧丸大扇屋 小桜館 桑島記念館 桑島記念館
旧米沢支店舗 主屋 旧西置賜郡役所 旧桑島眼科医院 旧桑島眼科医院
米沢市中央 長井市十日町一丁目11-7 長井市高野町2-7 長井市本町 長井市本町
1936(昭和11年) 撮影 95-09 1890(明治23年) 撮影 18-07 1878(明治11年) 撮影 18-07 1927(昭和2年) 撮影 99-11 1927(昭和2年) 撮影 99-11
★ 取毀 ★県指定文化財 ★市指定文化財 ★市指定文化財 ★市指定文化財
size 3194 X 2063 size ・・・11点 size 3927 X 2531 size 3250 X 2042 size 2071 X 3107
05-0020-09 05-0022-01 05-0022-02 05-0022-03 05-0022-04
  山形県指定有形文化財に指定されている丸大扇屋の建物は店(嘉永元年)・小間屋門(嘉永元年)・店蔵(嘉永元年)・味噌蔵(天保3年)・主屋(明治23年)・蔵座敷(明治31年)・新座敷(大正2年)の7棟がある。 欧米の洋風建築を取り入れながら日本の大工棟梁が建てた「擬洋風建築」である。明治11年12月の建立で、全国一早い洋館造りの郡役所。石積みの基礎、下見板張、縦長の上げ下げ窓、木鼻を付けた玄関ポーチなど、和洋混交。
初代の眼科医・桑島五郎院長が昭和2年に建立した。コンクリート造に見えるが木造、2階建てで、正面2階に鉄製バルコニーを設け、玄関に持ち送りの庇がついている。ゴシック風の棟飾りや屋根のドーマー窓など、洋風建築である。
 

 

旧小池医院 旧小池医院 横沢邸 ● 和合小学校 旧安部家住宅
診療室 診療室 主屋 旧校舎 火番小屋
長井市四ツ谷1-6-26 長井市四ツ谷1-6-26町 長井市 西村山郡朝日町和合 西村山郡河北町谷地沢畑889
1931(昭和6年) 撮影 99-11 1931(昭和6年) 撮影 99-11 昭和初期 ?? 撮影 99-11 1902(明治35年) 撮影 83-04 明治後期 ?? 撮影 18-07
★ 取毀 ★国登録文化財
size 1896 X 3031 size 1988 X 2954 size 2559 X 1823 size 3256 X 2047 size 4733 X 2819
05-0022-05 05-0022-06 05-0022-07 05-0110-01 05-0112-01
旧小池医院は屋根の上にある八角形の望楼が目立つ。昭和6年に建てられた木造の3階建、マンサード屋根、妻側は洋風のハーフティンバーで白漆喰仕上げの洋風建築である。内部は病室や診療所と居宅が含まれていた。  

安部家は農民を大切にしたことでも知られる。明治6年の村山郡の豪農調査では、第四位、向かいの、紅花資料館の堀米家は第五位と豪農が並び立つ景観は見事なものだった。安部家の建物は主屋など6棟が登録文化財になっている。

 

近代建築図鑑 トップ

古建築研究会 トップ

列島古建築紀行

2022-02-10開始  修正 2022.05.21