近代建築図鑑

秋田県

赤れんが郷土館 旧金子家住宅 旧金子家住宅 那波伊四郎商店 花京都
旧秋田銀行本店 主屋 土蔵 店舗 旧大島商会店舗
秋田市大町3-118 秋田市大町一丁目3-31 秋田市大町一丁目3-31 秋田市大町 秋田市大町6-5-7
1912(明治45年) 撮影 18-10 1887(明治20年) 撮影 18-10 江戸後期 撮影 18-10 明治中期 撮影 95-11 1901(明治34年) 撮影 99-08
★国指定重要文化財 ★市指定文化財 ★市指定文化財 ★国登録文化財
size ・・・5点 size 3720 X 2574 size ・・・6点 size 3007 X 2103 size 3031 X 2063
04-0001-01 04-0001-02 04-0001-03 04-0001-04 04-0001-05
旧秋田銀行本店として明治42年に着工、同45年に完成した。明治期の貴重な洋風建築である。外観を秋田県技師山口直昭、内部を工学博士星野男三郎が設計した。煉瓦造の2階建て、外観はルネッサンス様式である。 主屋は木造2階建て、切妻造り。間口は4間、奥行15間という江戸時代の奥行きの長い町家形式である。旧金子家住宅で目に付くのが屋根の上にある「天水甕・てんすいがめ」で、昭和前期まで秋田の町家の屋上に置かれていた。 建物内にある内蔵は明治19年の俵屋火事にも耐えた江戸後期の建物である。表からから奥へ続く通り土間があり、黒漆喰に化粧された内蔵は建物の内部に組み込まれている。主屋と蔵が一体になっているのは雪国に多い形式という。 『秋田の町屋・秋田市町屋調査報告書』によると、「那波伊四郎家は明治19年の大火直後に土崎の町屋を移築したと伝えられ、主屋の立ち上がりが低く、屋根勾配もゆるいことから江戸後期の形式を色濃く残している」 という。
店舗は明治34年に建築された秋田市内最初期の煉瓦造建築で,両側面及び背面に控壁を設ける。高級雑貨等を販売した県内最初の百貨店として建てられた。四隅やアーチ型の窓や入口に男鹿石の切石さが赤煉瓦壁に映える。

 

日本聖公会 ● 秋田刑務所 秋田市立新屋図書館 須藤家納骨堂 三菱マテリアル碇発電所
秋田聖救主教会 正門 実習棟一号〜工房棟 光風園 発電所
秋田市保戸野中町6-36 秋田市川尻新川町1-1 秋田市新屋大川町12-3 由利本荘市愛宕町地内 鹿角市八幡平小豆沢碇
1930(昭和5年) 撮影 91-07 1912(明治45年) 撮影 99-08 1934(昭和9年) 撮影 99-08 1927(昭和2年) 撮影 99-08 1907(明治40年) 撮影 83-04
★市指定文化財 ★ 取毀 ★国登録文化財 ★歴史的土木建築
size 2018 X 3037 size 3051 X 2024 size 3109 X 2011 size 2529 X 1572 size 2623 X 3326
04-0001-05 04-0001-06 04-0001-07 04-0010-01 04-0020-01
秋田聖救主教会は武家屋敷地域であった保戸野中町の閑静な住宅街にある。昭和5年に建てられた教会は鉄筋コンクリート造平屋で米国人建築家・バーガミニーによる基本設計を聖公会信徒の上林敬吉が実施設計したという。
旧秋田刑務所は明治45年に秋田監獄として建築された。建て替えにより、残されていた旧正門と両側の塀は平成16年に取り壊された。建築に利用された煉瓦は入所者が焼いたという。浄願寺の塀に当時制作された煉瓦使われている。 和9年に旧秋田県販売購買組合連合会(現秋田経済連)が雄物川河口地域に建設した木造平屋建の倉庫群のひとつである。倉庫群は,昭和14年に国有になり、平成まで使われた。現在は秋田市立新屋図書館などに利用されている。
レンガ作りのモダンな外観の碇発電所は明治40年に運転を開始した水力発電所で、その後出力増強し、大正元年には周辺地区の民家への電力供給をした。平成17年に土木学会より歴史的土木建築として認定されている。

 

            
三菱金属碇発電所 三菱金属碇発電所 北鹿ハリストス 北秋木材本社事務所 JR東大館駅
発電所 内部 発電所 内部 正教会聖堂 製材会社事務所 駅舎
鹿角市八幡平小豆沢碇 鹿角市八幡平小豆沢碇 大館市曲田80 大館市字牧子石境 大館市常盤木町
1907(明治40年) 撮影 83-04 1907(明治40年) 撮影 83-04 1892(明治25年) 撮影 11-08 1923(大正12年) 撮影 11-08 1914(大正3年) 撮影 11-08
★歴史的土木建築 ★歴史的土木建築 ★県指定文化財 
size 2532 X 3348 size 2619 X 3340 size 4092 X 2803 size 3804 X 2384 size 4336 X 2267
04-0020-02 04-0020-03 04-0024-01 04-0024-02 04-0024-03

  明治25年に曲田福音会聖堂として建てられた。良質な秋田杉を使用した木造ビザンチン様式の建物である。内部四方を囲むアーチの上に八角形のドームが架けられている。山下りんの制作したイコンが飾られている。

 

 

阿仁異人館 阿仁異人館 阿仁異人館 水板倉 強首温泉・樅峰苑
住宅 住宅 住宅 板倉 旧小山田家住宅
北秋田市阿仁町銀山150 北秋田市阿仁町銀山150 北秋田市阿仁町銀山150 大仙市大神成字フカウチ 大仙市強首字強首268
1880(明治13年) 撮影 11-08 1880(明治13年) 撮影 11-08 1880(明治13年) 撮影 11-08 1909(明治42年) 撮影 18-10 1916(大正5年) 撮影 95-11
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★市指定文化財 ★国登録文化財
size 4416 X 3174 size 4365 X 2873 size 4200 X 2815 size ・・13点 size ・・16点
04-0026-01 04-0026-02 04-0026-03 04-0032-01 04-0032-02
異人館は明治12年に来日した鉱山技師メツゲルらの居宅として建築された。建物はメツゲルの設計による洋風建築と言われている。メツゲルらの離任後、この異人館は鉱山局起業課、迎賓館、宿泊施設等に利用された。
 
長方形の敷地に深さ1mの池を作り、その中に作られた板倉である。池の中にあるので、ネズミの害や米泥棒を防ぎ、火事になっても米と味噌、衣類などは残るという。農家の長い生活の中から生まれ、籾米などの貯蔵用建造物。
大正3年の強首大地震で倒壊し、その後3年をかけて大正6年に竣工した建築。大工棟梁の井上喜代松を京都に派遣し、耐震技術を習得させ、耐震構造が取り入れや建物である。建築面積約200坪、正面玄関の唐破風の大邸宅。

 

羽後長野の町並み 平源旅館本店 斎太薬局本店 旧日新館 赤川商店
町並み 本店・土蔵 店舗 元英語教師住宅 赤川源太郎邸
大仙市長野 横手市大町6−24 横手市四日町2-13 横手市城南町 横手市大森町字大森
        撮影 12-11 1926(大正15年) 撮影 95-11 1877(明治10年) 撮影 11-08 1902(明治35年) 撮影 95-11 1899(明治32年) 撮影 95-11
★国登録文化財 ★国登録文化財 ★県指定文化財
size ・・10点 size 3062 X 1777 size 3418 X 2440 size 2044 X 2792 size 3188 X 1778
04-0032-03 04-0040-01 04-0040-02 04-0040-03 04-0040-04
古い町並みについての案内がない。町並みの連続性はないが、個々には見栄えのある家が点在し、人も少なく角館にはない良さである。佐竹家が角館に入る前に居た町で、羽後街道の脇街道と角館街道が交わるために繁栄を見せた。 皇族が宿泊するなど高い格式を誇る。外観は洋風であるが、内部は和風の和洋折衷様式である。右側の土蔵は大正15年の火災に際して本館は焼失したが難を逃れた。洋風の本館部分と好対照。大火以前の横手の様子を伝える。 大町と並ぶ商業地に建つ。桁行3間,梁間3間,1室構成の2階建,もとは妻入の蔵造り店舗である。蔵造り店舗の右側に洋風の調剤室を増築している。調剤室棟は隅の柱型に貼られたスクラッチ・タイルが示す昭和初期の建築。
旧制横手中学校(現 横手高校)の英語教師の住宅として、明治35年に建築された。木造2階建てで、前に一間のバルコニー付きの入口がある。洋館にはきわめて珍しく、木肌も美しい素木造り。建設は小坂亀松、大工藤村初五郎。
赤源呉服店は旧街道の交差点に建っている。明治32年の建築、煉瓦造りの2階建てで、前一間が庇になっている店蔵造で平入りである。隣に国登録有形文化財になっている赤レンガ蔵がある。大工棟梁は大沼冨吉である。

 

伊藤歯科医院 ● 阿部医院 ● 旧朝倉小学校 ● 旧朝倉小学校 六郷の町並み
主屋 主屋 校舎 玄関部 町並み
横手市四日町 横手市 横手市朝倉町 横手市朝倉町 横手市美郷町六郷
昭和初期 撮影 11-08 昭和初期 撮影 95-11 1926(大正15年) 撮影 95-11 1926(大正15年) 撮影 95-11 撮影 12-11
★ 取毀 ★ 取毀 ★ 取毀
size 2998 X 3532 size 2450 X 2001 size 3231 X 1767 size 1974 X 2926 size ・・・7点
04-0040-05 04-0040-06 04-0040-07 04-0040-08 04-0040-09
   

六郷は扇状地にあり、町のあちこちに清水が湧く湧水の町である。その数は70以上といわれる。中世、羽州街道の宿場町、商業地として栄えた。酒蔵を軸にわずかに古い家が残る程度だが、長野や増田に似た雰囲気の昔町である。

 

● 旧六郷郵便局 増田の町並み 日の丸醸造(株)本社 旧雄勝郡会議事堂 東北電力樺山発電所
旧局舎 町並み 店舗 議事堂 旧院内鉱山発電所
横手市美郷町六郷 横手市増田町字七日町 横手市増田町字七日町 湯沢市北荒町 湯沢市雄勝町秋の宮
1924(大正13年) 撮影 12-11 撮影 12-11 明治末期 撮影 12-11 1891(明治24年) 撮影 18-10 1904(明治33年) 撮影 95-08
★ 取毀 ★伝統的建造物群保存地区 ★国登録文化財 ★県指定文化財
size 4428 X 3428 size ・・・15点 size 4576 X 3056 size 4047 X 2742 size 3320 X 2056
04-0040-10 04-0040-11 04-0040-12 04-0044-01 04-0044-02
  手倉街道と小安街道という旧街道が合流する中世城下町を核として、生糸や繭、葉タバコ物資の流通拠点として発展した。保存地区は、特有の切妻造妻入の町屋や鞘付土蔵などの特徴的な伝統的建造物が良く残っている。 日の丸醸造は元禄2年に沓澤甚兵衛が創業したという。店舗は街道に面して、建つ平屋建てで妻面は化粧梁と化粧束見せ、手前に一間の庇が付く。右側に通り土間があり、店舗から醸造蔵まで屋内を往来できるようになっている。
雄勝郡役所の議事堂として明治25年に新築された。外壁は下見板張りで小屋組は木造で洋式の工法、。設計者はドイツ人(氏名不詳)、大工棟梁は阿部孫四郎である。玄関は三方を吹き放し、木製アーチ、窓は上げ下げ窓である。
樺山発電所は明治に入り、院内銀山の近代化のために多くの電力が必要とされ、当初院内発電所として、銀山に電力を供給してしていました。発電所の建物は院内鉱山から切り出された石材を使用して建てられた洋風建築である。

 

稲住温泉友諠館 旧京山合名会社 両関酒造 康楽館 同和鉱業
旧秋の宮役場庁舎 雄勝植林 本館 劇場 小坂鉱山事務所
湯沢市雄勝町秋の宮 湯沢市田町 湯沢市前森4丁目3−18 鹿角郡小坂町小坂鉱山 鹿角郡小坂町小坂字上谷地39
1951(昭和26年) 撮影 99-08 1930(昭和5年) 撮影 11-08 1923(大正12年) 撮影 09-08 1910(明治43年) 撮影 83-04 1905(明治38年) 撮影 83-04
★国登録文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
size 3122 X 2002 size 2640 X 3713 size 3137 X 2073 size ・・8点 size ・・10点
04-0044-03 04-0044-04 04-0044-05 04-0110-01 04-0110-02
昭和26年に秋ノ宮村の役場として建築された。後に市町村合併により雄勝町役場秋の宮支所として使用された。設計は白井晟一で表作の一つとして高く評価されている。平成3年に稲住温泉の主人が源部材を残して、復元移築した。   秋田の銘酒・両関酒造は、明治7年創業で、本館は大正12年の建築である。伝統的な町屋形式、大屋根の妻入、平入りの住宅が接続している。1号から4号の酒蔵はすべて土蔵造で明治25年から大正5年に建造された。登録文化財。
小坂鉱山を経営する合名会社藤田組が明治43年に建設した芝居小屋である。木造2階建、切妻造妻入りで、近代の芝居小屋として外観に洋風の意匠を取り入れた。内部は桟敷、花道など和風芝居小屋。設計はの山本辰之助とされる。
小坂鉱山事務所は明治38年に建築された。木造3階建て、ルネッサンス風のオフィスビルである。平成13年にを旧小坂鉱山病院跡地に移転復元された。口字型平面の木造3階建で設計は,同事務所工作課の北湯口勇太郎とされている。

 

十和田ホテル ● 旧発盛精錬所 ● 旧発盛精錬所 美郷町郷土資料館 ● 田代小学校
本館 事務所 事務所 本館 校舎
鹿角郡小坂町十和田湖字鉛山 山本郡八峰町字初森字中浜 山本郡八峰町字初森字中浜 仙北郡美郷町千屋 雄勝郡羽後町田代
1938(昭和13年) 撮影 99-08 1915(大正4年) 撮影 07-06 1915(大正4年) 撮影 07-06 1912(大正元年) 撮影 12-11 1952(昭和27年) 撮影 99-08
★国登録文化財 ★ 取毀  ★  取毀 ★ 閉鎖中 ★ 取毀
size 3232 X 2010 size 3408 X 2283 size 2556 X 3558 size 4544 X 3288 size 3196 X 1936
04-0110-03 04-0120-01 04-0120-02 04-0140-01 04-0150-01
十和田ホテルは、戦前に予定された東京五輪開催を前に、政府の要請により外国人観光客のためのホテルとして建築された。宮大工八十名を集めて、北欧風の木造3階建て建築され、設計は日本大学建築科教授の長倉謙介である。    
 

 

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2022-02-10開始  修正 2022.04.21