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旧弘道館 旧弘道館 薬王院本堂 薬王院仁王門
水戸市三の丸1-6-29 水戸市三の丸1-6-29 水戸市元吉田町682 水戸市元吉田町682
竣工/天保12年(1841/江戸後期) 竣工/天保12年(1841/江戸後期) 竣工/享禄3年(1530) 竣工/貞享年間(1684~1688)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★県指定文化財
九代藩主・徳川斉昭(烈公)が、改革の眼目として建てられた藩校である。天保12年にほぼ完成した。幕末には十五代将軍・徳川慶喜もここで学び、大政奉還後は水戸藩に帰って講堂館内の至善堂で蟄居した。幕末の戦乱や太平洋戦争で多くの建物を失ったが、正庁、至善堂、正門は辛うじて残った。 偕楽園と講道館は第9代藩主の徳川斉昭の「一張一弛」(いっちょういっし)という思想によって造られた。時には厳格に学び、鍛え、時には楽しみ、寛容に生きるべきという儒学の思想で、厳格に学問に励む場所が弘道館。藩主から武士、領民までみんなで楽しんで、遊ぶ場所が偕楽園だった。 薬王院本堂は、大永7年に前本堂が焼失し、薬王院の外護者であった江戸氏が復興、享禄3年に完成した。江戸時代に徳川光圀よって貞享4年、大修理が行われ、南向きであった本堂が東向きに、縁、床が取り払われ、土間に変更された。昭和43年に解体修理がなされ、元のように縁、床を復元した。 薬王院は、吉田神社の神宮寺で、天台宗の名刹で平安時代の開基といわれ、第50代恒武天皇の勅願により、大同2年に創建したと伝えられる。仁王門は、寄棟造、茅葺の八脚門で、低い基壇の上に建っている。正面に連子窓を設け、その中に仁王像が安置されている。建立年代は貞享年間とされる。

 

水戸八幡宮本殿 佛性寺本堂 中崎家住宅 旧茂木家住宅
水戸市八幡町8-54 水戸市栗崎町1985 水戸市鯉淵町2897 水戸市緑町2-1-15
竣工/慶長3年(1598年) 竣工/天正13年(1585) 竣工/元禄元年(1688/江戸前期) 竣工/江戸中期(元禄年間)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★県指定文化財
佐竹義宣が江戸氏を滅ぼして水戸城主になり、馬場八幡宮の分霊を水戸城中に奉斎して慶長3年に本殿を建立した。元禄7年に光圀の社寺改革により、城里町那珂西に移された。光国の死後、神職氏子の請願等があり、宝永6年に現在の社地である八幡町に再び遷座した。本殿は佐竹氏家臣の主力が肥前名護屋城にいた為、墨書に書かれた大工名は若い者が多い。慶長期の建築の特徴で金を多用し、黄金の丸柱である。三間社、入母屋造。 佛性寺は、涌石山大日院と号する天台宗の寺院であり、県内珍しい八角堂がその本堂である。建立年代は堂内の墨書から天正13年と判明。寛永、寛文、文化、明治、大正などの修復年が判明した。台輪や柱の粽など、禅宗様の様式がみられ、、木鼻に彫られた模様などに、室町時代の独特の特色がみらる。平成23年から実施された保存修理の際、元禄6年に正面を東側に改変したことなどがわかり、創建時の南向きへ復元された。 中世以来この辺りに住んだ地侍の末裔といわれ、代々庄屋を勤めた家柄である。現在の建物は直家だがかつては分棟型(曲屋と類似)だった。水戸市内に残る古い形式を保つ貴重な住宅建築である。






茨城県立歴史館内にある。茂木家は組頭や副戸長を歴任した上層農家。木造平屋、直屋、寄棟造茅葺屋根、平入、外壁は真壁造。居室の開口部の閉鎖性や独立柱など、間取りが広間型で初期の古民家の特徴が見られる。潮来市から移築、保存。





 

六地蔵寺山門 浄蓮寺本堂 浄蓮寺愛染堂 野口雨情生家
北茨城市華川町小豆畑2733 北茨城市華川町小豆畑2733 北茨城市華川町小豆畑2733 北茨城市磯原町磯原73
竣工/安政4年(1857/江戸末期) 竣工/安政4年(1857/江戸末期) 竣工/ 竣工/明治10年(1877)
★県指定文化財 ★県指定文化財 ★県指定文化財
規模も小さいが、細部様式は室町時代末期の特徴を残している。本柱は、角柱で上部を細めに作り、棟まで伸びている。垂木もその先端に強い反りをつけた造りを用いている。頭貫の木鼻や肘木に見られる絵様、繰り型などは水戸薬王院本堂のものに類似して室町時代の茨城県の様式である。 淨蓮寺は、天安2年に天台宗三代目の座主である慈覚大師が、奥州山寺創立の帰途、この地に道場を開いたと伝える。。天正2年兵火に遭い、大半の古文書を焼失したほか、嘉永元年にも火災に遭って宝物類なども全焼した為、記録が少ない。1857年(安政4年)に現在の本堂が再建された。 境内の愛染堂には、愛染明王が安置されてる。三十三観音巡りが、浄蓮寺の敷地内にある浄蓮寺渓谷の、苔むす岩に彫られた三十三体の観音像があり、巡ることが出来る。天正2年兵火に遭い、大半の古文書を焼失したほか、嘉永元年にも火災に遭って宝物類なども全焼した為、記録が少ない。
雨情の父・野口量平が建てたもので、木造二階建、瓦葺。雨情は明治15年にここで生まれ15才頃に上京するまで暮らした。




 

佐竹寺本堂 佐竹寺本堂 来迎院山門 来迎院阿弥陀堂
常陸太田市天神林2404 常陸太田市天神林2404 常陸太田市天神林2404 常陸太田市大里町
竣工/天文12年(1543/室町後期) 竣工/天文12年(1543/室町後期) 竣工/宝暦10年(1760) 竣工/享保3年(1718/江戸中期)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★県指定文化財 ★県指定文化財
本堂は茅葺き屋根の寄棟造で、桁行5間、梁間5間の主屋の周囲にこけら葺きの裳階を巡らす。正面中央に唐破風をあげている。徳川光圀が元禄年間に大きな梁を入れて堂内の6本の柱を抜き、廻り縁、床を取り去り、格天井を設け、窓や戸口の周囲を改造して裳階を付けるという大改造をした。 佐竹寺は真言宗智山派で妙福山明音院と号し、坂東三十三観音霊場22番の札所として有名である。天文12年に兵火にあい、同15年に現在地に移転し、再建された。花頭窓や丸窓を採用している。参拝者が多く、そのため建物を覆うまでの夥しい千社札が貼られている。山門は昭和15年の再建。 光明山安養寺来迎院は天台宗の寺院で、創建は不詳。大洗磯前神社の別当寺で神宮寺と称していた。天和3年に光圀によって現在地に境内を移され、来迎院と寺名を替えた。山門は宝暦10年竣工の八脚楼門、三間一戸、入母屋造、茅葺屋根。上層に高欄が廻る。両脇に仁王像が祀られている。 阿弥陀堂は享保3年に建てられ、移築再建されたと伝えられる。桁行3間、梁間3間、宝形造、茅葺、中備えの蟇股には十二支の彫物がある。外壁は真壁造り、素木板張、内部は1間四方の隅に四天柱を立てた内陣、江戸時代中期に建てられた阿弥陀堂形式の御堂建築として貴重である。

 

高徳寺山門 穂積家住宅主屋 穂積家長屋門、蔵  西念寺山門
久慈郡大子町大字上郷1056 高萩市大字上手綱2377 高萩市大字上手綱2377 笠間市稲田469 
室町末期 竣工/安永2年(1773) 竣工/江戸末期 竣工/室町初期
★町指定文化財 ★県指定文化財 ★県指定文化財
山門は間口2.44m、奥行3/52m、木造宝形茅葺屋、四本の柱は欅である。軒垂木の反りや、木鼻の膨らみは室町末期頃の建築様式を示している。軒垂木は、四方各7本で、優美な反りを持つ。木鼻は獅子または獏とみられる。寺は大子町の中心部からはなれた山里にある。 主屋、長屋門、前蔵、衣裳蔵、庭園からなる穂積家住宅。寄棟造りに一部入母屋造りを入れ、茅葺き重厚な屋根を持つ主屋は、安永2年(1773)に建てられた。豪農住宅、現在は飲食施設にもなっておりやや目障りなものが置かれて惜しまれる。

  稲田禅坊西念寺は、親鸞が「教行信証」を書き始めた稲田草庵があったとされ浄土真宗発祥の地。山門は入母屋造り茅葺屋根、一間一戸楼門、上層部の壁は真壁造り、高欄、花頭窓が付いている。左右に伸びる塀とのバランスの良い門だが無指定。

 

塙家住宅 塙家住宅 楞厳寺山門  笠間稲荷神社本殿
笠間市安居2009 笠間市安居2009 笠間市片庭775 笠間市笠間1 
竣工/18世紀中頃 竣工/18世紀中頃 竣工/室町時代 文久元年(1861/江戸末期)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 
塙家は正保2年にに当地に帰農したと伝わる旧家で、代々庄屋を勤めた。以前は曲り屋風であったっが調査の結果、主屋と釜屋は別棟の分棟型と判り、現在の形に復元。分棟型の民家は西日本の海岸部に多いが、東日本の内陸部に建てられたことは珍しい。



禅宗様式の四脚門。切妻造り茅葺屋根。間口3.7m、奥行3,8m。主柱を高くのばし平三斗組で梁木を受け、控柱も三斗組である。柱間に扉や壁ははなく全て吹放ちである。虹梁の下には花模様付の錫状彫りが施されている。寺の本堂はかなり離れた場所にありこの山門だけが田園の中にポツンとある。  本殿の棟札によると,「殊者牧野越中貞明公御武運長久御領内泰平」と記され、大工棟梁は真壁郡大曽根村柴山播磨正源始治と笠間高橋町海老沢太郎兵衛とある。棟札裏には,彫刻師として後藤縫之助、弥勒寺音八、諸貫萬五郎とあるが彫物の主力は名人といわれた弥勒寺音八である。

 

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