和歌山県

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紀三井寺楼門 紀三井寺鐘楼 紀三井寺多宝塔 加太春日神社本殿
和歌山市紀三井寺1201 和歌山市紀三井寺1201 和歌山市紀三井寺1201 和歌山市加太1443
竣工/永正6年(1509/室町中期) 竣工/天正16年(1588/桃山) 竣工/文安6年(1449/室町中期) 竣工/慶長元年(1596/安土桃山)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
正式名は紀三井山金剛宝寺護国院。西国三十三所霊場巡り第2番札所。室町末期の永正6年に建立され、永禄2年(1559)に修理が加えられ、細部の意匠には安土桃山時代以降の様式も見受けらる。三間一戸、入母屋造。両脇に仁王像を安置。 入母屋造、本瓦葺、腰袴。全体に軽快な印象で鐘楼建築中の白眉とされる。境内からは和歌浦の眺めが素晴らしく、三つの霊泉があり吉祥水、楊柳水、清浄水から紀三井寺という通称名の由緒となっている。本堂は宝暦9年の建築で和歌山県指定文化財。 方三間、本瓦葺。下層は四本柱の方形、上層は12本の柱を立て高欄を廻らせた円形で内部に五智如来を祀る。以前にあった塔が嘉吉元年の風害により倒壊し、文安6年・宝徳元年に再建の勧進が行われているので、この頃建立されたものとみられる。 桑山修理亮正榮によって建立された。一間社流造、千鳥破風、軒唐破風付。蟇股、欄間、脇障子などに華麗な彫刻は施され桃山時代の特徴を良く示している。神社は海の近くに有り、蟇股の装飾には恵比寿、貝、海老など海に関わる題材がみられる

 

阿弥陀寺本堂 阿弥陀寺本堂 和歌浦天満宮本殿 和歌浦天満宮楼門
和歌山市鳴神1095 和歌山市鳴神1095 和歌山市和歌浦西2-1-24 和歌山市和歌浦西2-1-24
竣工/建久7年(1196/鎌倉前期) 竣工/寛永11年(1634/江戸前期) 竣工/慶長11年(1606/江戸初期) 竣工/慶長10年(1605/江戸初期)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
もと吹上にあった大智寺が明治維新に廃寺になったため、その御霊屋を移築したものである。大智寺は徳川秀忠の霊を祀るために創建された寺で、代々藩主もここに祀られるようになった。桁行側が僅かに長い五間堂で漆塗、彩色が施され現在も彩色が残る近世霊廟建築。寄棟造、本瓦葺。   桁行5間、梁間2間、入母屋造、檜皮葺。正面に千鳥破風と三間の向拝付。江戸時代の始め慶長十一年紀州藩主の浅野幸長公が再興したのが現在の社殿で紀州根来出身の大工、塀内吉政、正信親子によって建てられた。父吉政は若干21歳の子政信に全てを任せ、わずか数年で完成した。 一間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺、回廊接続。下層が一間にも拘わらず桁行3間、梁間2間の二階を載せた珍しい構造で全体に禅宗様。塀内(平内)家の様式は和様なので禅宗様は使わないので、平内が頼まれる前に他の大工が建立したものと思われる?

 

 
旧柳川家住宅 谷山家住宅 丁ノ町の町並み 丁ノ町の町並み
和歌山市岩橋1822和歌山市岩橋1822 伊都郡かつらぎ町下ノ町 伊都郡かつらぎ町下ノ町
竣工/文化4年(1807/江戸後期) 竣工/寛延2年(1749/江戸中期) 竣工/ 竣工/
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
紀伊風土記の丘には国・県指定の移築民家集落がある。柳川家は紀州漆器の製造・販売を家業としていた。県下における典型的な町屋の貴重な遺構。桁行10.8m、梁間7.9m、切妻造、東西庇付、本瓦葺。前蔵も国重文。海南市黒江からの移築。 紀伊風土記の丘。下津は湊町として、江戸時代は紀州における海運業の要として栄えた所で谷山家は代々この地で海運業、漁業を営んだ。県下で竣工年代の明らかな民家として古いものに属する。桁行3.0m、梁間5.0m、土蔵造、切妻、本瓦葺。 かつらぎ町の中心部だが駅はない。特記すべきものなど何もないが丁ノ町の名は鎌倉時代からある地名で、高野山金剛峯寺の荘園(農地)であり、農村集落だったようだ。江戸時代は、丁町組と呼ばれた大庄屋があり、行政区の中心的存在であった。 江戸時代に紀ノ川上流の豪農が酒造業を起こし、清酒の大生産地となり「川上酒」と呼ばれ、17軒もの酒蔵があったという。現在は最後の酒蔵だった帯庄酒造の建物だけ現存している。この辺りには伝統的な民家が数軒見え、往時を偲ぶ風景がある。

 

根来寺大伝法堂(本堂) 根来寺大師堂 根来寺多宝塔(大塔) 増田家表門
岩出市根来 岩出市根来  岩出市根来 岩出市曽屋173
竣工/文政10年(1827/江戸後期) 竣工/明徳2年(1391/室町前期) 竣工/天文16年(1547/室町後期) 竣工/宝暦9年(1759/江戸中期)
★県指定文化財 ★国指定重要文化財 ★国宝 ★国指定重要文化財
戦国時代、大きな勢力を備えた根來寺は、豊臣秀吉によって天正13年に紀州根来に攻め入り、大塔・大師堂などを残して全山焼失した。新義真言宗は奈良の長谷寺、京都の智積院と二つに分かれた。根來寺は新義真言宗の総本山として、覚鑁上人の霊廟と法灯を守っている。 大塔と共に秀吉の焼き討ちを免れた建物。寺内最古の建造物。大塔の左側に建つ大師堂は、室町前期の明徳2年の建造で、根来寺に残る建造物では最古のものだ。内部の厨子および須弥壇と共に、重要文化財に指定されている。三間堂、和様、舟肘木、正面左右とも桟唐戸。 文明12年(1480)頃に着工され60年以上もかけて建てられた大規模塔婆。根来寺大塔は、円筒状の塔身に方形の裳階を付けた構造を採っており、裳階内部の内陣もまた、円筒状の形状となっている。現存唯一の方5間の大型多宝塔で宝塔より進化した古式を留めるものである。 増田家はこの地方の大庄屋。主屋はは宝永3年(1706)に建立されたものである。また長屋門は宝暦9年(1759)の建立になる。門はナマコ壁の長屋門型で東側に整備された厩を兼ねる。屋敷も広く、大庄屋としての格式をうかがうことができる。主屋も国重文だが非公開。

 

粉河寺中門 粉河寺本堂 粉河寺千手堂 粉河寺丈六堂
紀の川市粉河2787 紀の川市粉河2787 紀の川市粉河2787 紀の川市粉河2787
竣工/天保3年(1832/江戸後期) 竣工/享保5年(1720/江戸中期) 竣工/宝暦10年(1760/江戸中期) 竣工/1806(文化3年)
★県指定文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
三間一戸楼門。軒周りは良質な欅材。粉河寺は多くの人の信仰をうけて、七堂伽藍、広大な境内地を誇ったが、天正の豊臣秀吉の兵乱に遭遇し伽藍と寺宝を焼失した。 欅材による代表的な本堂建築で西国三十三ケ所中最大である。一重屋根の礼堂と二重屋根の正堂が結合した特異な形態の複合仏堂である。『粉河寺縁起絵巻』は国宝。 宝形造の三間堂。細部様式では本堂と一脈相通ずる面を持っている。堂内には歴代の紀州藩主とその縁の人々の位牌が安置されているといわれている。 三間×二間裳階付。丈六堂の中には一丈六尺の大きさの阿弥陀如来像(仏像は立ったときの高さで計り、座像の高さは一丈六尺より低い)が安置されている。

 

旧名手本陣妹背家住宅 旧名手本陣妹背家住宅 金剛峯寺壇上伽藍 金剛峯寺不動堂
紀の川市名手市場641 紀の川市名手市場641 伊都郡高野町高野山132 伊都郡高野町高野山132
竣工/江戸中期 竣工/江戸中期 竣工/ 竣工/1197(建久8年)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国宝
妹背家は、元和年間、徳川氏の紀州入国とともに、本陣に指定され、寛永年間には、名手地域の大庄屋を命ぜられた。東西約40m、南北80mの敷地の周囲に築地塀を廻らす。主屋は南面に玄関、式台、奥に店の間、取次の間、台所、更に御殿に当たる上段の間、次の間などがある。 名手市場村にあり大和街道に面していたため藩主の参勤交代や鷹狩りの折、宿泊に利用された。国指定重要文化財、国指定史跡にもなっている。華岡青洲の妻、加恵の実家としても知られている。


弘法大師空海が高野山をご開創された折、最初に着手した場所で、密教思想に基づく塔・堂の建立のちである。壇上伽藍は、胎蔵曼荼羅の世界を表しているといわれる。高野山全体の核にあたる場所で、古来より大師入定の地である奥之院と並んで信仰の中心である。 金剛峯寺不動堂は、鎌倉時代前期の建久8年に、鳥羽天皇の皇女である八條女院こと暲子内親王の発願によって建立されたと伝わっている。平安貴族の邸宅風で優美な趣を湛える。運慶作の八大童子像と本尊不動明王が祀られていたことから、「不動堂」と呼ばれている。

 

金剛三昧院多宝塔 金剛三昧院多宝塔 金剛三昧院客殿及び台所 利生護国寺本堂
伊都郡高野町高野山425 伊都郡高野町高野山425 伊都郡高野町高野山425 橋本市隅田町下兵庫
竣工/1223(貞応2年) 竣工/1223(貞応2年) 竣工/江戸初期 竣工/天授年間(室町中期)
★国宝 ★国宝 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
貞応2年、源頼朝、実朝菩提のため、政子が覚智入道に命じて建立したのが、この多宝塔で、元仁2年、入仏供養の際、栄西禅師が導師となり、北条時房が二位禅尼の代参として法廷に臨んだと伝えられている。鎌倉初期の建立の石山寺の多宝塔についで古く、石山寺のものと同じく裳層を広くとり、安定感に富んでいる。 初期のの金剛三昧院は真言宗ではなく栄西禅師が導師となり創建した禅宗の寺院であったが、時代を経るにつれ真言密教などとの兼学道場となり、後には禅宗要素を他寺に移して真言宗の寺院に改められ、江戸時代に金剛峯寺の子院に組み込まれた。鎌倉時代の蟇股は優美で肩が厚く、足先が薄い。肩に猪目がある。 客殿及び台所などの細部形式から、江戸初期の建立になるものとされている。入母屋造で屋根は檜皮葺き。また、経蔵、四所明神社などが重要文化財になっている。本尊は愛染明王で、恋愛成就の仏様として、若い女性に最近、人気になっている。また、ひと筋奥まった、静かな環境にある宿坊でもある。 利生護国寺は真言律宗西大寺末の寺院で、隅田荘のみならず鎌倉幕府の信仰を得た。南北朝時代の初め兵火によって焼亡し、天授年間に再建されたものといわれている。桁行5間、梁間4間、寄棟造、本瓦葺。間取は前方1間通しを外陣、内陣は中央3間四方で、その両側に1間に奥行3間の脇陣を設ける。

 

2020.04.13

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