滋賀県

東部(湖東及び甲賀地区)

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大通寺本堂 西徳寺本堂 木之本の町並み 木之本の町並み
長浜市元浜町32-9 長浜市木之本町赤尾601 長浜市木之本町 長浜市木之本町
竣工/明暦3年(1657) 竣工/正徳3年(1713/江戸中期) 竣工/ 竣工/
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
通称「長浜御坊」。湖北の中心道場であった僧坊を前身とし、本願寺第12代教如を開基として創建。旧長浜城内にあったが、慶安4年に現在地に移転。本堂は桁行正面5間、背面9間、梁間8間、向拝1間、入母屋造、本瓦葺。広間・含山軒・蘭亭(江戸前期)も国重文。 民家のような姿で、惣という自治組織に根付いた真宗道場の典型的な造りである。惣は水利配分や水路、道路の修築、境界問題、戦乱、塔増などからの自衛など百姓が自治的、地縁的に結合した共同組織である。本堂は桁行16.5m、梁間11.5m、向拝一間、入母屋造、葦葺。 北国街道、北国脇往還の宿場町である。北国街道は北陸と近畿を繋ぐ古い街道で、一般的には金沢城下から鳥居本宿までを北国街道と呼んだ。北国脇往還は木之本宿から鳥居本を通らずに関ヶ原宿を通って江戸方面に向う街道で、木之本の南端が起点となっている。地蔵院の門前町。 木之本地蔵院の歴史は白鳳時代にまで遡る。町並みの中には地酒「七本槍」で知られる富田酒造、地酒「北国街道」の蔵元で脇本陣を勤めた山路酒造がある。家並みは平入で袖壁や連子格子のある家が多い、日本建築の他に近代洋風建築も見られ、飽きない町歩きが楽しめる。

 

辻家住宅 都久夫須麻神社 宝厳寺唐門 宝厳寺観音堂・渡廊
長浜市西浅井町祝山282 長浜市早崎町1665 長浜市早崎町1664 長浜市早崎町1664
竣工/江戸後期 竣工/慶長7年(1602) 竣工/1603(慶長8年) 竣工/1603(慶長8年)
★国指定重要文化財 ★国宝 ★国宝 ★国指定重要文化財
辻家は祝山で代々庄屋を務めた家柄である。主屋は桁行11間、梁間5間半、入母屋造、葦葺の大型民家、伊香造余呉型民家だが同じ西浅井にある田中家とは異なり平入である。文政8年(1825)に伊香郡中柳野村(長浜市高月町)から移築。 本殿は永禄10年に再建されているが、これが現存する庇と向拝の部分で身舎部分は慶長7年、豊臣秀頼が片桐且元を奉行として他所から移築したもの。身舎の柱や扉が黒漆塗であるのに対し、庇が素木仕上げであること、身舎と庇が同時の建築でない。 唐門は観音堂の西側に建ち、背面は観音堂に繋がっている。京都東山の豊国廟の唐門または大坂城の極楽橋が門に姿を変え、豊国廟に移り、竹生島に改めて移築された可能性が高くなり、秀吉時代の大坂城の唯一の建物と考えられ注目されている。 宝厳寺観音堂から都久夫須麻神社に至る屋根付きの幅一間の廊下で、桁行八間の低屋根と桁行二間の高屋根に分かれるている。天井は垂木を見せる勾配形の化粧屋根裏で、柱間に連子窓を配している。唐門と同様に、慶長8年の建立であと思われる。

 

観音寺本堂 柏原(カシワバラ)の町並み 柏原(カシワバラ)の町並み 千代神社本殿
米原市朝日1342 米原市柏原 米原市柏原 彦根市京町2-9-33
竣工/正徳6年(1716/江戸中期) 竣工/ 竣工/ 竣工/寛永15年(1638/江戸前期)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
通称「大原観音寺」。石田三成が鷹狩りにきた秀吉に茶を出し見出されたという逸話が残る寺院。本堂は桁行5間、梁間5間、1間向拝付、入母屋造、桟瓦葺。鐘楼は享保5年(1725)竣工、方一間、国重文。惣門は一間一戸の医薬門で国重文。  中山道随一栄えた宿場町で、東西(約1.4km)の見事な町並みで今も良く残るがなぜか知名度は低い。信長、秀吉、家康も投宿している。江戸へ向かう場合、柏原の宿から東へ近江の国と美濃の国の境にかけて今須の宿をへて関ヶ原と続いている。 主に治療の灸に使用される「もぐさ」で栄えた町でもある。広重が中山道六十九次の「柏原宿」で描いた「かめや」の亀屋は旅籠も兼ねていたという。柏原には当時十軒ものもぐさ舗があったが、今は「伊吹堂(亀屋左京)」一軒のだけである。 井伊家の信仰を受けて栄えた。祭神は天宇受賣命で芸能の神といわれ、今も芸能関係者が多く参拝に来る。本殿は二代藩主・井伊直孝が造営したもので、三間社流造、桁行3間、梁間2間、檜皮葺で全体が極彩色で多彩な彫刻に彩らている。

 

  
彦根城天守 彦根城太鼓門・続櫓 鳥居本の町並み 鳥居本の町並み
彦根市金亀町彦根市金亀町 彦根市鳥居本町 彦根市鳥居本町
竣工/慶長11年(1606) 竣工/桃山時代・江戸後期他 竣工/ 竣工/
★国宝 ★国指定重要文化財
徳川家康の命により慶長9に着工、天守は2年足らずで完成している。近江城主の京極高次が建てた大津城から移築した天守である。江戸時代は彦根藩の政庁が置かれた。城郭構造は連郭式平山城、天守は複合式望楼型三重三階地下一階。国宝天守は5城でその一つ、残りは犬山、松本、姫路、松江である。 門櫓の南には、「く」の字に曲がった続櫓が付設されています。この門櫓は、建物の背面の東壁面が開放され、柱間に高欄を設置して1間通りを廊下にしている。櫓にはたいへん稀な例で、一説には名称となっている「太鼓」が櫓の中に置かれ、その太鼓の音が響くための工夫とも考えられるが、明確ではない。 中山道六十三番目の宿場町。名物は雨合羽と腹痛薬の「赤玉神教丸」とスイカで鳥居本の三赤という。雨合羽は赤渋紙製で宿場内にかつて20軒余りの合羽屋があったという。町並みの枡形に赤玉神教丸・有川家がある。今も重厚な大店で、宝暦期の建築である。ここから東寄りにも厨子二階造りの町屋が残る。 鳥居本の本陣は寺村家、脇本陣と問屋は高橋家が務めた。維新後、明治天皇の全国巡幸の際には当家が使用されている。鳥居本駅は大正6年竣工の近代洋風駅舎である。明治以降は鉄道の敷設により、旅人の姿が消え、近代農村への道を歩んだことが古い町並みを自動的に残すことになったと思える。

 

甲良神社権殿 西明寺本堂 西明寺三重塔 豊満(トヨミツ)神社四脚門
犬上郡甲良町尼子1 犬上郡甲良町大字池寺26 犬上郡甲良町大字池寺26 愛知郡愛荘町豊満392
竣工/寛永11年(1634/江戸前期) 竣工/鎌倉後期 竣工/鎌倉後期 竣工/元享3年(1323/室町前期)
★国指定重要文化財 ★国宝 ★国宝 ★国指定重要文化財
神明造の現本殿の西隣にあり、元はこれが本殿であった。一間社流造、檜皮葺。正面を除く三面は板壁だが背面のみ中間に柱を立てて二間となっている。内部は内陣と外陣に分かれている。 本堂は飛騨の匠が無釘で建てた御堂である。この本堂はもと五間堂であったが、全体を解体せず、柱や組物などを外に廻し、拡張した。天井裏に残る旧屋根構造や蟇股の違いから判明した。 西明寺は天台密教の道場でもある。三重塔は同じく飛騨の匠による総檜の塔で、塔内の壁や天井には巨勢金岡一族によるの極彩色の絵が描かれている。二天門は応永14年の竣工で国重文。 入母屋造、檜皮こけら鎧葺。四脚門は切妻屋根が多く入母屋は稀である。大棟を短くしているためか、やや安定感に欠ける。「檜皮こけら鎧葺」は檜皮とこけら板を交互に葺く珍しい工法である。

 

金剛輪寺本堂 金剛輪寺三重塔 西川家住宅 西川甚五郎邸
愛知郡愛荘町松尾寺874 愛知郡愛荘町松尾寺874 近江八幡市新町2-19 近江八幡市大杉町17
竣工/室町前期 竣工/室町前期 竣工/宝永3年(1706/江戸中期) 竣工/江戸末期~明治初期
★国宝 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
中世の典型的な密教仏堂。純粋な和様建築で外周は正面が全て蔀戸、外陣側面は妻戸で開放的だが内陣側に開口部はない。廻縁も外陣側だけにある。内陣は行道空間として僧侶たちが須弥壇の周りを巡ることができるよう作られ、外陣は民衆に開かれている。 この三重塔の建立年代は寛元4年だが、明治維新による寺院の衰退などにより、初層、二層のみを 残す無残な姿だったという。昭和49年から解体修理が始まり、現在の見事な姿を取り戻した。解体修理の時、初層には旧材が用いられたが二・三層はほぼ新造 西川家の屋号は大文字屋といい、蚊帳や畳表を商い、江戸、大阪、京都に店を構えた。家は典的な近江商家の面影を残すもので、店舗部分と住宅部分に分かれており、突き出した座敷玄関が特徴である。外壁は黒塗でトガ材を使用した京風商家建築である。 甚五郎は西川家11代目で江戸末期から明治期にかけて活躍した近江商人で「ふとんの西川」の祖である。二階建、瓦葺。竣工年等建物に関する公開資料は極めて少ないが近江八幡を代表する邸宅建築。西川史料庫として利用されている。通常内部非公開。

 

旧宮地家住宅

近江八幡の町並み

近江八幡の町並み 鏡神社本殿
近江八幡市安土町豊浦6839 近江八幡市 近江八幡市 蒲生郡竜王町鏡1289
竣工/宝暦4年(1754/江戸中期) 竣工/ 竣工/ 竣工/室町中期
★国指定重要文化財 ★伝統的建造物群保存地区 ★伝統的建造物群保存地区 ★国指定重要文化財
長浜市国友にあった農家で伊香造余呉型民家である。内部は土座(ニウジ)と奥にある畳室二間で、開口部が少なく古い形である。間口4間、奥行6間、入母屋造、茅葺、南北庇とち葺。 時代劇でお馴染みの八幡堀がある町。豊臣秀吉の甥・豊臣秀次により造られた二十万石の城下町。八幡堀は城の内堀と同時に琵琶湖との物流の運河でもあった。新町界隈には邸宅が残る。 廃城後は城下町から在郷町に姿を変え、近江商人が活躍する豪商の町へと発展した。宣教師で建築家のW.M.ヴォーリズは明治にこの地にきて、ここで暮らし全国に多くの建築を残した。 祭神は新羅から製陶技術(渡来文化)を伝えた天日槍を祀る。前室付三間社流造、こけら葺。前面に唐門と玉垣を備える。源義経が元服に際して参拝し武運長久を祈願したといわれる。

 

五個荘金堂の町並み 五個荘金堂の町並み 押立神社本殿 布施神社本殿
東近江市五個荘金堂町 東近江市五個荘金堂町 東近江市北菩提寺町365 東近江市布施町115
竣工/鎌倉前期 竣工/ 竣工/応安6年(1399/室町前期) 竣工/鎌倉後期
★伝統的建造物群保存地区 ★伝統的建造物群保存地区 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
中山道に面している五個荘の名は平安期における日吉領内にあった五つの荘園に因み、金堂は聖徳太子がここに金堂を建立したことに因む。農村集落であるが行商人が多く半農半商の町であった。 住民は全国を歩き行商をしていた。京呉服を関東で売り関東織物を上方で売るという持ち下り・持ち上りの「のこぎり商法」だった。もともと農村集落なので立派な商家などは見られない。 南北朝時代に建立された大門と本殿があり、落ち着いた構えを見せている。本殿は三間社流造、向拝一間付、檜皮葺。外壁は真壁造板張り、三方浜床、高欄。大門は入母屋造、檜皮葺の四脚門。 本殿は三棟あり共に一間社流造、こけら葺。妻板から薄く彫り出している板蟇股は鎌倉期の様式を表す珍しい手法である。小さな社殿であるが、その造りは鎌倉期独特の美しさを示している。

 

土山宿の町並み 土山宿の町並み 善水寺本堂  
甲賀市土山町 甲賀市土山町 湖南市岩根3518  
竣工/ 竣工/ 竣工/貞治5年(1366/室町前期) 竣工/
★国宝
「坂は照る照る 鈴鹿は曇る 間(あい)の土山雨が降る」馬子唄の中でも全国的に知られた馬子唄である。土山は江戸時代は天領で、土山村は南北に分断され、それぞれに陣屋が置かれていた。 土山は鈴鹿峠の入口にある。本陣・土山家のある辺りが伝統的民家が多い場所である。本陣は寛永11年、三代将軍・家光の上洛に際して設けられた。初代・土山喜左衛門が本陣役に命ぜられた。 岩根山の中腹にある天台宗の寺院。国宝の本堂は桁行7間、梁間5間の天台密教仏殿。正面に向拝がないため端正で美しい姿である。国指定の本尊薬師如来をはじめ30余躯の仏像を安置する。

 

長寿寺本堂 長寿寺白山神社拝殿 長寿寺弁才天堂  
湖南市東寺5-1-11 湖南市東寺5-1-11 湖南市東寺5-1-11  
竣工/鎌倉前期 竣工/室町後期 竣工/天文19(1550/室町後期) 竣工/
★国宝 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
方五間、ほぼ正方形の平面を持つ建築で屋根は檜皮で葺かれた一重の寄棟造。建物の正面に三間の幅の広い向拝が付いているが、これは後世に付加されたものであると見られる。建築様式は大陸からの影響が見られない純和様の様式である。 白山神社長寿寺の鎮守社として建てられ、拝殿は室町時代後期のものである。本堂左手の高台に享徳3年建立の三重塔が建てられていたが、織田信長が安土城内に摠見寺(そうけんじ)を創建するに伴い、摠見寺へと移築され、現在も安土城内に残る。 弁天堂は本堂より手前の小さい池中にある。正側面とも一間、入母屋造、正面に軒唐破風をつける。解体修理のときに天文19年の墨書や、発見された鬼瓦に文明6年堂内厨子に文明8年とあり、様式を考えると天文より文明年間の作とみられる。

 

2020.05.06

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