滋賀県

西部(湖西及び南部方面)

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石山寺東大門 石山寺多宝塔 石山寺鐘楼 西教寺本堂
大津市石山寺石山寺1-1 大津市石山寺石山寺1-1 大津市石山寺石山寺1-1 大津市坂本5丁目
竣工/建久元年(1190/平安中期) 竣工/建久5年(1194/平安中期) 竣工/鎌倉後期 竣工/元文4年(1739/江戸中期)
★国指定重要文化財 ★国宝 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
東大門は、建久元年(1190)源頼朝により寄進されたもので、国の重要文化財。大棟の鬼瓦に「慶長五庚子八月日粟田口久左衛門」のへら書があることから慶長年間に豊臣秀吉の側室・淀君(浅井三姉妹のひとり、浅井茶々)の寄進で再建に近い大改修が行なわれている。 石山寺の多宝塔は、本堂の後方にあり、源頼朝の寄進により建立されたものと伝わっており、須弥壇の墨書より建久5年に建立された事が分かっている。建立年代の判明する多宝塔の中で最古である。総高は約17メートル。下層には幅の広い裳階が付き、組物は出組である。 石山寺鐘楼は初代鎌倉幕府将軍源頼朝が寄進したものと石山寺・鐘楼伝えられているもので(様式や工法などから鎌倉時代後期に建立されたと推定されている)、入母屋、檜皮葺、桁行3間、梁間2間、白漆喰仕上げ袴腰付、平安時代に鋳造された梵鐘が吊り下げられている。 西教寺は天台真盛宗の総本山で、本堂は紀州徳川家から寄進された総欅、入母屋造の建築。正面の欄間、須弥壇も全て欅の素木造で豪華な装飾が施される。正面の柱間が七間、奥行の柱間が六間の仏堂で背後に裏堂を付設している。平面、構造に新時代の特色が認められる。

 

園城寺(三井寺)大門 園城寺(三井寺)一切経蔵 園城寺(三井寺)金堂 園城寺(三井寺)観音堂
大津市園城寺町246 大津市園城寺町246 大津市園城寺町246 大津市園城寺町246
竣工/宝徳4年(1452/室町中期) 竣工/室町初期 竣工/慶長4年(1599/安土桃山) 竣工/元禄2年(1689/江戸中期)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国宝 ★県指定文化財
三間一戸、入母屋造、檜皮葺の楼門  記録によると、天台宗の古刹・常楽寺の門で、 後に秀吉によって伏見に移され、慶長六年に家康によって現在地に 建てられたという。 上層の蟇股から「大和国源六作 宝徳三年未卯月二日」の墨書あり。 慶長七年(1602)に毛利輝元が長門国の国清寺(洞春寺)から移築、寄進した一切経を安置するための堂。一切経蔵の堂内には高麗版一切経を納める回転式の巨大な八角輪蔵が備えられている。山口の洞春寺には今も一切経蔵の礎石が残っている。 豊臣秀吉の正室・北政所によって再建された。内部は外陣・中陣・後陣に別れ、外陣・中陣は全て板敷とする。 内陣は土間のままとしており、伝統的な天台系本堂の形式をよく伝えている。正面7間、側面7間、入母屋造、檜皮葺、向拝1間付。 貞享三年に火災にあい、元禄二年に再建された大きな堂で、礼堂・合の間・正堂からなり、内部には多くの絵馬が奉納されている。 その中には観音堂再建の様子を描いた「石突きの図」や、その「落慶図」も残されている。西国観音霊場の礼所。

 

園城寺(三井寺)三重塔 園城寺(三井寺)鐘楼 圓満院宸殿 圓満院宸殿
大津市園城寺町246 大津市園城寺町246 大津市園城寺町33 大津市園城寺町33
竣工/室町初期 竣工/慶長7年(1602) 竣工/正保4年(1647/江戸前期) 竣工/正保4年(1647/江戸前期)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
慶長2年に秀吉が伏見城観月橋下に移築した奈良吉野の大淀町に有った比蘇寺の東塔を慶長5年に家康が三井寺に寄進したものである。 吊るされている鐘は近江八景の「三井寺の晩鐘」で知られている。切妻造、檜皮葺きで下に腰板を廻らし、上は連子をはめている。 2代将軍秀忠公の息女が天皇の后として御所に入る際に建てられた。明正天皇の旧御殿を賜った。下賜された時の姿に復元されている。 桁行10間、梁間7間、入母屋造、こけら葺の書院造の宮廷建築。唐破風玄関と平面は3列2行の6室。華やかな襖絵などで飾られる。

 

  
延暦寺根本中堂回廊 延暦寺根本中堂 延暦寺根本中堂 延暦寺大講堂
大津市坂本本町4220大津市坂本本町4220 大津市坂本本町4220 大津市坂本本町4220
竣工/寛永19年(1642) 竣工/寛永19年(1642) 竣工/寛永19年(1642) 竣工/寛永11年(1634)
★国指定重要文化財 ★国宝 ★国宝 ★国指定重要文化財
構造は回廊が総41間。根本中堂は間口11間、奥行き6間。奥行き6間のうち、前面の通り1間を外陣、その奥1間を中陣、奥4間を内陣とする。内陣は土間。 織田信長の比叡山焼討ちによって壊滅し、根本中堂もまた焼失した。天正13年(1585)に再建工事が着手され、天正17年(1589)までには完成したらしい。 天正の建築も、寛永7年(1630)9月18日の大風によって大破し、その後徳川家光公の命で寛永19年(1642)に竣工したものが、現在の根本中堂である。 旧大講堂は昭和31年(1956)に火災で焼失している。現在のものは寛永11年(1634)建立の坂本東照宮讃仏堂を昭和39年(1964)に移築したものである。

 

盛安寺客殿 閑栖寺太鼓楼門 白鬚神社本殿 志那神社本殿
大津市坂本1-17-1 大津市横木1-2-1 高島市鵜川215 草津市志那町727
竣工/江戸前期 竣工/元文3年(1738/江戸中期) 竣工/慶長8年(1603/江戸初期) 竣工/永仁6年(1298/鎌倉後期)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
伏見城の遺材で建てられ、桃山御殿などとも呼ばれる。江戸初期の書院建築、木造平屋、桁15.8m、梁間11.9m南面入母屋造、桟瓦葺。 門徒衆に太鼓で参集を知らせ、道中の旅人に時を告げた。長屋門型太鼓門。竣工年については確証が得られいないが稀有な太鼓門である。 琵琶湖の沖島を背景として湖畔に鳥居を浮かべることから「近江の厳島」とも称される。桁行3間、梁間3間、入母屋造、檜皮葺。 一間社流造、檜皮葺。純粋な和様建築で斗栱間には蟇股をつけ内外陣とも小組天井で鎌倉時代の特色を良く残している。棟札あり。

 

伊砂砂神社本殿 老杉神社本殿 鞭崎神社表門 新宮神社本殿
草津市渋川2-2-1 草津市下笠町1196 草津市野路町 草津市矢橋町
竣工/応仁2年(1468/室町中期) 竣工/宝徳4年(1452/室町中期) 竣工/慶長年間(1596-1615) 竣工/大永3年(1523/室町後期)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
中山道沿いにある古社。応仁2年に近江守護である佐々木氏の一族・六角高頼公が武運長久を願い勧請奉斎したもの。本殿は一間社流造、檜皮葺。拝殿は入母屋造、桁行三間、梁間三間。 宝徳4年に下笠城主の下笠美濃守源高賀が社殿を造営している。三間社流造、檜皮葺。唐破風の中門と両側に透塀を持つ。欄間には桐、椿、笹、魚など多様な極彩色彫刻が施されている。 表門は膳所城の南大手門(慶長年間竣工)の移築。現在の本殿は上賀茂神社(京都)の式年造替で解体した社殿材を譲り受けて仙洞御所の寄付などを受けて造営したもの。一間社流造、檜皮葺。 この一帯は、“野路”といわれ、鎌倉時代から東海道の宿駅として栄えていた。別名「野路神社」ともいう。一間社流造、唐破風付。蟇股の彫刻は「波と雲」「牡丹」「桐文」をあしらったもの。

 

石津(せきしん)寺本堂 草津本陣(田中七左衛門本陣) 旧宇野本家(うの家) 圓光寺本堂
草津市矢橋町1163-32 草津市1-2-8 守山市守山1-10-21 野洲市久野部267
竣工/延文4年(1359/室町前期) 竣工/享保3年(1718) 竣工/明治初期頃 竣工/康元2年(1257/鎌倉中期)
★国指定重要文化財 ★国指定史跡 ★国指定重要文化財
形式は正面の柱間が五間あることから五間堂と呼ばれる。桁行5間、梁間4間、寄棟造、本瓦葺。外陣出入口の虹梁構え、頭貫木鼻の形などこの時代特有の特色を持った密教仏堂である。鉄柵やブロック塀に囲まれ道は狭く撮影は不自由である。 本陣の主要部は享保3年(1718)に膳所藩(大津市)の藩主別邸である「瓦の浜御殿}を移築したものである。天保10年(1839)に上段向を建て替えている。街道から向かって左側が座敷棟、右側が田中家住居棟、敷地奥には厩と土蔵がある。  江戸時代には「年寄役」を務め長左衛門と名乗っていた。宿場や人足を手配する問屋役を家業とした。その後、荒物屋を営み荒物屋長左衛門と名乗り屋号「荒長」の元となった。元内閣総理大臣・宇野宗祐の生家である。黒壁造の商家建築。 桁行5間、梁間5間、向拝1間、切妻造、銅板葺。一見神社建築のように見える正面屋根が前に長く延びる流造である。棟木に鎌倉中期・康元2年の墨書銘文があり、建築年代のわかる貴重な文化財である。石造九重塔(鎌倉中期/国重文)もある。

 

大行事神社拝殿 大行事神社本殿 春日神社表門 大野神社楼門
野洲市久野部267 野洲市久野部267 栗東市荒張669 栗東市荒張896
竣工/ 竣工/室町中期 竣工/慶長18年(1613/江戸前期) 竣工/鎌倉前期
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
天台宗の圓光寺を建立の際、時の僧が、山王21社のうち、大行事社を守護神として勧請したのが創建の始まりと云う。祭神は高皇産霊神を祀る。摂社の野上神社本殿は本殿の左側にあり、同じ覆い屋の中にある。市指定の文化財で建立年代は室町時代。 圓光寺に隣接する。一間社流造、間口4尺、奥行5尺、檜皮葺。現在の本殿は小規模であるが保存状態が良く、優美な建物である。近くの野洲市小篠原にある稲荷神社の境内社・古宮神社本殿(国重文)とほぼ同時期の建立と思われ、比較すると面白い。 本格的和様四脚門。主柱は太目の円柱、4本の控柱は面取り角柱で頭貫を廻す。軒は二重繁垂木で破風に猪目懸魚を付け、主柱は板扉両開きを設ける。全体に装飾は少ない古様を留めている。かつては土塀が付いていたことが側面板壁に跡があることで判る。 文献は残されていないが、通肘木がなく装飾も少ない端正な表情の門である。中備は中央間だけに間斗束と蟇股が入る。県内の楼門の中では最古である。本殿に向かって右側建つ、摂社本殿は一間社流見世棚造、垂木に反り増しがあり古様を示す。市指定。

 

小槻大社本殿 宇和宮神社本殿 大宝神社境内社追来神社本殿 大角家住宅
栗東市下戸山1200 栗東市蜂屋231 栗東市綣(ヘソ)7-5-5 栗東市六地蔵402
竣工/永正16年(1519/室町後期) 竣工/永正2年(1505/室町後期) 竣工/弘安6年(1283/鎌倉後期) 竣工/江戸中期
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
時の領主・青地元眞が建立したもので装飾の少ない一間社流造、檜皮葺。柱、虹梁等の寸法が太く一間社としては大きな姿である。内陣に宮殿があり、これも鎌倉時代の弘安4年(1281)に領主の青地元が新造したもの。 三間社流造、向拝一間、檜皮葺。庇の部分に建具を入れて前室とし向拝を付ける形は滋賀県の中世の本殿建築に多いという。本殿は蜂屋古墳という円墳の上にある。永正二年社殿を再建した棟札の案文が蜂屋永久寺にある。 追来(オフキ)神社の由来によると祭神は伊吹山に座す多々美彦命が祭神。古来は、意布伎(伊不伎)神社と記されていた。地主の神として大宝年間からこの地に鎮座する。一間社流造、檜皮葺。大宝神社本殿は明治期の神明造。 大角家は薬種業を営んだ商家である。街道に面して店を構え、東脇には本陣座敷(書院)を設けて背後に庭園を造る。店は細い通りニワを置いて左右に分け、左に30畳の東ミセ、右に板敷の西ミセを設け製薬機械を設置する。

 

2020.05.06

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