奈良県

法隆寺

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法隆寺南大門 法隆寺境内 法隆寺西園院上土門 法隆寺西円堂
生駒郡斑鳩町法隆寺 生駒郡斑鳩町法隆寺 生駒郡斑鳩町法隆寺 生駒郡斑鳩町法隆寺
竣工/1438(永享10年) 竣工/飛鳥時代 竣工/江戸前期 竣工/1250(建長2年)
hw1★国宝 hw2★国指定史跡 hw4★国指定重要文化財 hw8★国宝
法隆寺の門前にある多くの駐車場から参道を歩くと最初に目にするのが南大門である。創建時のものは永享7年に焼失、現在の門は永享10年に再建されたものである。入母屋造、本瓦葺、三間一戸の八脚門である。 法隆寺旧境内は国史跡指定され、寺地については、その北端は凡そ上御堂と円城院の脊部附近を連ねる線に南端は南大門に、東西両端は東西大門に至るものと推定され、東院、中宮寺境内ほか、関連する地域まで含まれる。 西園院本坊は南大門からの参道左側の築地塀には3つの門が開かれているが、上土門はその中央に位置する門で、門の上に板を張り、そこに土を載せたもの。後世にその上に檜皮を葺くと書かれている。これが唯一のものか。 西院伽藍の最も西側にある。夢殿と同じ八角円堂で、奈良時代に橘夫人の発願によって行基菩薩が建立したと伝わるが、現在の建物は鎌倉時代に再建されたものである。西円堂正面入口の向拝風の礼拝所は後補のもの。

 

法隆寺三経院及び西室 法隆寺三経院及び西室 法隆寺中門 法隆寺廻廊
生駒郡斑鳩町法隆寺 生駒郡斑鳩町法隆寺 生駒郡斑鳩町法隆寺 生駒郡斑鳩町法隆寺
竣工/1231(寛喜3年) 竣工/1231(寛喜3年) 竣工/飛鳥時代 竣工/飛鳥時代
hw6★国宝 hw6★国宝 hw9★国宝 hw15★国宝
西院回廊の外、西側にある。承暦年間に焼失し、現在の建物は寛喜三年(棟木銘)に再建されたものである。奥行きが十九間ある細長い建物である。手前七間が三経院、聖徳太子が教えたというから名付けられたという。 三経院の奥の十二間が西室になる。途中に門があり、ここから奥が西室になる。元はすべて僧堂で、修理復元の時に間仕切り無しになった。後方の西室部分はややおくれて文永五年(柱底墨書)に建立された可能性が大きい。 中門は左右には廻廊が連なり、廻廊内には右に金堂、左に五重塔がそびえる。日本で唯一の間口四間の楼門である。この門の中央は柱になっている。伽藍の中心を塔から金堂に移る形式の変わり目の時代様式の特徴と云える。 回廊は鐘楼と経堂の手前までは初期のものが残り、大講堂、鐘楼、経蔵の再建のおり、屈折して繋げた。繋げた部分はその折の新築。

 

法隆寺金堂 法隆寺大講堂 法隆寺五重塔 法隆寺経蔵
生駒郡斑鳩町法隆寺 生駒郡斑鳩町法隆寺 生駒郡斑鳩町法隆寺 生駒郡斑鳩町法隆寺
竣工/飛鳥時代 竣工/990(正暦元年) 竣工/飛鳥時代 竣工/奈良時代
hw14★国宝 hw13★国宝 hw11★国宝 hw12★国宝
昭和24年の金堂焼失は、金堂が戦中に爆撃に合わないように解体中であった。一階の裳階も外され、内部の壁画を模写中であったが、一階と障壁画は火災に合い焼失。その他は助かった。 大講堂は回廊の外にあったが平安初期に焼失し、再建にあったって回廊を大講堂に繋げて金堂と五重塔の間に広い空間を作った。本来は八間堂であったが中世に西側に庇が付き、元禄に九間堂になる。 日本最古の五重塔である。初重のみ裳階が付く。裳階は軒の出が大きく出来ない古代では雨落ちに寄る柱根、腰壁などの腐朽防止と思われる。乾燥地の西安と比べると不安だったのだろう。 廻廊の西辺北寄りに建っている。桁行3間・梁間2間規模である。元々は大講堂とともに廻廊の外にあって、僧坊から直接に行けるようになっていた。書籍類を持って、講堂で学習が出来たとおもわれる。

 

法隆寺鐘楼 法隆寺綱封蔵 法隆寺食堂 法隆寺細殿
生駒郡斑鳩町法隆寺 生駒郡斑鳩町法隆寺 生駒郡斑鳩町法隆寺 生駒郡斑鳩町法隆寺
竣工/1005(寛弘2年) 竣工/平安前期 竣工/奈良時代 竣工/奈良時代
hw16★国宝 hw19★国宝 hw19★国宝 hw20★国宝
鐘楼は大講堂の東側にある。鐘楼も大講堂と共に落雷で焼失し、経蔵の様式に倣い再建された。鐘楼に吊るされている鐘は奈良時代前期のもの。現在も撞かれている。 元は正倉院と同じ勅封の蔵であった。その後、法隆寺を管理する僧綱所の管理になり、僧綱が封する蔵になった。両側が倉で中央の空間に扉があ理、取り出しをする。 食堂は、法会が行われるさい、その儀式の一部として多数の僧侶が会食する場。現食堂は『資財帳』中の政屋の一棟を平安時代の初めごろ改造転用したものとみられる。 細殿は食堂と対にある建物。食堂も細殿も元は寺の事務を行う建物であった。食堂と共に今はあまり見ない古代の双堂の伝統を伝える。細殿の中は柱だけである。

 

法隆寺聖霊院 法隆寺妻室 法隆寺東大門 法隆寺東院四脚門
生駒郡斑鳩町法隆寺 生駒郡斑鳩町法隆寺 生駒郡斑鳩町法隆寺 生駒郡斑鳩町法隆寺
竣工/1279(弘安2年) 竣工/1121(保安2年) 竣工/奈良時代 竣工/鎌倉前期
hw17★国宝 hw18★国指定重要文化財 he2★国宝 he3★国指定重要文化財
回廊から出て、国宝の仏像が沢山収蔵されている大宝蔵院に向かう。西室と対に置かれる東室の前に聖霊院がある。東室と別棟になっている 妻室は元は小子房と云い、僧坊である東室のお坊さん従う弟子達の僧坊であったという。その後、利用形態が代わり現在の形になったという。 何処までが西院であるかが判らないがこの門の外に車が走れる細い道路がある。車も止まっているし、東院までに露店もある 東院の入口にある四脚門。両脇にある築地塀が東院のおおがきになるのか?。西院の境内から比べると静かな雰囲気である。

 

法隆寺東院廻廊 法隆寺夢殿 法隆寺舎利殿及び絵殿 法隆寺伝法堂
生駒郡斑鳩町法隆寺 生駒郡斑鳩町法隆寺 生駒郡斑鳩町法隆寺 生駒郡斑鳩町法隆寺
竣工/1237(嘉禎3年) 竣工/739(天平11年) 竣工/1219(承久元年) 竣工/奈良時代
he5★国指定重要文化財 he6★国宝 he7★国指定重要文化財 he8★国宝
回廊のの奥にある覆屋が礼堂である。今、修理工事中で東院南門も見ることは出来なかった。文化財は全国にあり、何処かでは修理中に出会う。 東院の中心にある八角形の建造物である。解説によると現在の形は鎌倉時代の大改修で組物が一段上がり、屋根勾配が急になったとある。 夢殿の北にある。聖徳太子所持の経典などを納める宝物庫として創建されたが、現在の建物は鎌倉前期に建て替えられたものである。 国宝の伝法堂は貴族住宅の一棟を仏堂風に改め講堂にしたことがわかり、記述の確かなことが実証された。移築した時、を七間に拡張した。

 

2020.12.11  12.25修正

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