奈良県

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東大寺金堂(大仏殿) 東大寺金堂(大仏殿) 東大寺南大門 東大寺南大門
奈良市雑司町406-1 奈良市雑司町406-1 奈良市雑司町406-1 奈良市雑司町406-1
竣工/宝永6年(1709/江戸中期) 竣工/宝永6年(1709/江戸中期) 竣工/建仁3年(1203/鎌倉中期) 竣工/建仁3年(1203/鎌倉中期)
★国宝 ★国宝 ★国宝 ★国宝
正面の幅57.5m、奥行50.5m、棟までの高さ49.1m。幅は創建当時の2/3になっている。世界最大の木造建築として知られていたが近年は集成材などの発達により大仏殿を凌ぐ大きさの木造建築が造られているが、歴史的宗教建築としては世界一と思われる。 江戸時代には大きな材の調達が出来ず、柱を一本の木ではなく、短い柱を3・4本繋ぎあわせ、外側に扇型の板を張り鉄輪を付けて、集成材とすることで用意することが出来た。創建時の柱は太さ3.8尺、鎌倉時代柱は、さらに太く、径5.2尺(約153㎝)。 東大寺を復興した重源が中国の南方・宋から伝えた建築様式といわれる大仏様を採用して再建されたもの。18本の太い柱を多くの挿肘木と貫を使う大佛様式の建築で入母屋、本瓦葺。安置される仁王像は運慶、快慶ら4人の仏師により寄木造りで造られた。 大仏様は天井がない化粧屋根裏で垂木など屋根裏が見える。四隅だけを放射状にする隅扇垂木、貫を使い構造を強化、柱に挿し込む挿肘木。純粋な大仏様の建築は、この東大寺南大門と兵庫県の浄土寺浄土堂の二つしか現存せず、極めて貴重な建築である。

 

東大寺中門・回廊 東大寺法華堂 東大寺法華堂正堂 東大寺法華堂礼堂 
奈良市雑司町406-1 奈良市雑司町406-1 奈良市雑司町406-1  奈良市雑司町406-1
竣工/1709(宝永6年) 竣工/奈良・鎌倉時代 竣工/奈良時代 竣工/鎌倉時代
db4★国指定重要文化財 td3★国宝 td6★国宝  td5★国宝
東大寺は大きい。二月堂から降りてきて、大仏殿の回廊の前に出て、中門の所に入口があると思ったら、一番奥の回廊の角にあった。拝観券を購入してから中に入った。 法華堂の創建は不空羂索観音を本尊とすることから、古くは「羂索堂」と称し、周囲の付属建物を含めて「羂索院」と呼ばれ、東大寺の前身・金鐘寺に良弁が建立したと云われる。 正堂の部分はは寄棟造、平入り、長押を使う。奈良時代天平期の建築、平安末期、戦国末期の焼き討ちを逃れ、現在まで創建から残っているのはこの法華堂と転害門、経庫くらいである。 礼堂は法華堂の正面にあたる。元は双堂と思われる。礼堂の部分は、妻入りになり、組物も鎌倉時代の大仏様式で木鼻の成も低く、肘木の曲線も大きい。構造もも貫を使った建築である。

 

東大寺法華堂北門 東大寺法華堂経庫 東大寺二月堂 東大寺二月堂閼伽井屋
奈良市雑司町406-1 奈良市雑司町406-1 奈良市雑司町406-1 奈良市雑司町406-1
竣工/鎌倉時代 竣工/平安前期 竣工/1669(寛文9年) 竣工/鎌倉時代
td7★国指定重要文化財 td1★国指定重要文化財 ng1★国宝 ng6★国指定重要文化財
法華堂の北、二月堂側へ通じる四脚門。延応2年(1240)建立。法華堂を出て二月堂に向かう所にある。四脚門、鎌倉時代の大面取り、大仏様の木鼻などの細部様式。 東大寺の創建当初の本坊経庫及び正倉院正倉と共に現存する倉。法華堂経庫は平安前期に建てられた校倉造の倉庫である。寄棟造、本瓦葺で、法華堂の南側にある。 奈良に春を呼ぶという「水取り」で有名な雄大な二月堂。十一面間の菩薩を本尊する懸造の建築である。間口が七間、奥行きが十間の大きな建物で奥に三間の内陣がある。 二月堂の真下の所に閼伽井屋がある。小さな建物であるが修二会の時に若狭の神宮寺から送られてきた水はここの若狭井の井戸から出る香水を使うという。

 

東大寺三昧堂(四月堂) 東大寺鐘楼 興福寺中金堂 興福寺南円堂
奈良市雑司町406-1 奈良市雑司町406-1 奈良市登大路町48 奈良市登大路町48
竣工/1681(延宝9年) 竣工/1207-10(承元期) 竣工/2018(平成30年) 竣工/1741(寛保元年)
ng7★国指定重要文化財 db1★国宝 ko4★ ko3★国指定重要文化財
二月堂の正面にある。普賢三昧会を四月に行うため四月堂と呼ばれる。現在、見られる建築は江戸時代に平安、室町期の古材を使い再建された。創建は平安時代に遡り、普賢菩薩を祀られている。 東大寺の2代目大勧進となった栄西が建立したという。大仏様の形式だが、栄西が入唐して、修行した中国の禅宗様も含む特殊な形である。重い鐘を吊るすため、見た目にも頑丈な作りである。 享保2年に焼失した後、再建が進まず、およそ100年後に町屋の寄進により規模を縮小した「仮堂」として、文政2年に再建される。平成12年に解体した。発掘調査の後、平成26年の上棟式を経て建立。 北円堂と対になっている南円堂は西国三十三所の札所になっている。寛保元年に立柱、寛政元年に40年かけて再建された。建物は江戸中期の建築で参道側入口に唐破風の付いた拝所が付けられている。

 

興福寺北円堂 興福寺三重塔 興福寺五重塔 興福寺東金堂
奈良市登大路町48 奈良市登大路町48 奈良市登大路48 奈良市登大路48
竣工/1210(承元4年) 竣工/鎌倉時代 竣工/応永33年(1426/室町中期) 竣工/応永22年(1415/室町中期)
ko1★国宝 ko2★国宝 ★国宝 ★国宝
日本で最も美しいと云われる八角堂の北円堂。養老5年、藤原不比等の一周忌に際し、元明上皇・元正天皇の両女帝が創建した。現在の建物は鎌倉初期の再建で、興福寺に現存する中で最も古い建物である。法隆寺夢殿と同じ平面が八角形の「八角円堂」である。 五重塔より有名ではないが国宝。北円堂と商店街の間の傾斜地にひっそりと立っている。治承4年に焼失し、間もなく再建されたと言われている。北円堂と共に興福寺で最古の建物。鎌倉時代の再建だが木割が細く、優美な、平安時代の和様の様式を伝える。 初層は高さ50.1m、本瓦葺。初層の四方には創建当時の伝統を継ぐ薬師三尊、釈迦三尊、阿弥陀三尊、弥勒三尊を安置する。室町時代に再建されたものだが、軒の出に深みなど奈良時代の創建時の五重塔の様式を取り入れた復古主義的なものにもなっている。 かつての興福寺にあった三つの金堂の内、東にある西向の堂。正面7間、側面5間、寄棟造、本瓦葺。東金堂は応永18年に五重塔とともに焼け、現在の建物は応永22年の再建の室町時代の建築である。天平様式で平面規模は、創建時の堂に準じて再建された。

 

春日大社着到殿 春日大社南門 春日大社摂社若宮神社細殿 春日大社摂社若宮神社本殿
奈良市春日野町160 奈良市春日野町160 奈良市春日野町160 奈良市春日野町160
竣工/安政4年(1857/江戸末期) 竣工/1382(永徳2年) 竣工/1613(慶長8年) 竣工/1863(文久3年)
ks2★国指定重要文化財 ks3★国指定重要文化財 ks4★国指定重要文化財 ks5★国指定重要文化財
着到殿は桁行7間・梁間3間、1重、東端入母屋造、西端流造、檜皮葺の建物で、回廊に開かれた慶賀門の西南に位置している。春日祭で勅使が着到の儀を行うための建物で、参道側が正面であるが、東側を出入り口になる。 南門は、かつて藤原氏以外の他姓の者の参入門とされていた。元は鳥居であったという。現在は本宮の正門入口とされる。高さ12メートルの楼門で、両脇から本殿を囲う回廊が廻る。室町時代、永徳2年の再建である。 細殿及び神楽殿は桁行10間・梁間3間、1重、流造、檜皮葺の建物で、若宮神社の正面にある拝舎の背後に位置している。北側より3間を細殿、1間を御廊、6間を神楽殿という。平安末期の寝殿造のなごりを留める建物。
春日大社南門前の100mほど南、御間道の奥に社殿がある。春日大社の摂社。本社の祭神天児屋根命の御子神、天押雲根命を祭ることから若宮と呼ばれる。本殿は本社と同じ大きさの一間社春日造で、江戸時代の建築。

 

春日大社中門・御廊 春日大社本殿 手向山八幡宮若宮本殿 手向山八幡宮宝庫
奈良市春日野町160 奈良市春日野町160 奈良市雑司町手向山 奈良市雑司町手向山
竣工/1613(慶長8年) 竣工/1863(文久3年) 竣工/1691(元禄4年) 竣工/奈良時代
ks6★国指定重要文化財 ks7★国宝 th1★県指定文化財 th2★国指定重要文化財
中門は、一間一戸の楼門、正面の唐破風は明治時代に付けられた。一般の神社の拝殿に当たる。御廊は興福寺の社僧の読経所とされていた。御廊の内側に4棟の国宝に指定されている本殿がある。 第一殿武甕槌命、第二殿経津主命、第三殿天児屋根命、第四殿比売神が祀られている。奈良朝の始め、称徳天皇の勅命により、左大臣藤原永手らが現在の場所に神殿を創建したのがその始まりとされる。 東大寺及び大仏を建立するにあたって宇佐八幡宮より東大寺の守護神として勧請された。元の場所は不明だが2回の移転を経て、鎌倉時代に現在地に建立される。本殿は元禄時代の再建。 八幡宮楼門の前方参道の左側にある。奈良時代の建立、正倉院と同じ校倉造で、元は東大寺の塔頭の油倉であったという。宝庫の北側には規模・形式とも類似した「東大寺法華堂経庫」が建つ。

2020.04.28  12.25修正

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