京都府

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旅館晴鴨楼 六波羅蜜寺本堂 西本願寺唐門 西本願寺御影堂
東山区西橘町467 東山区松原通大和大路上ル東 下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町 下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町
竣工/明治34年(1901) 竣工/貞治2年(1363/室町前期) 竣工/慶長期(1596-15) 竣工/寛永13年(1636)
★国指定重要文化財 ★国宝 ★国宝
五条大橋の東側にある歴史ある木造建築の宿。創業は天保2年(1831)という老舗旅館。外観は和風(京風)にやや中華色が入る。内部は和洋折衷でレトロ感十分。 応仁の乱前の建物は戦火の影響もあって数少ない。外陣を板敷きとし蔀戸で仕切られた内陣を一段低い四半敷土間とする天台宗建築。道路が狭く全容が捉えにくい。 桃山時代、江戸初期の豪華な装飾彫刻で飾られた檜皮葺き・唐破風の四脚門。彫刻の見事さに日の暮れるのを忘れることから「日暮らし門」とも呼ばれている。 中央に親鸞聖人の木像、両脇に本願寺歴代宗主の影像を安置し、両余間には十字名号(帰命尽十方無碍光如来)と九字名号(南無不可思議光如来)を安置している。

 

醍醐寺三宝院唐門 醍醐寺金堂 醍醐寺五重塔 醍醐寺清滝宮本殿
伏見区醍醐伽藍町 伏見区醍醐伽藍町 伏見区醍醐伽藍町 伏見区醍醐伽藍町
竣工/慶長4年(1599/桃山) 竣工/平安後期 竣工/天暦5年(951/平安中期) 竣工/1517(永正14年) 
★国宝 ★国宝 ★国宝 ★国指定重要文化財
秀吉は慶長3年醍醐寺に訪れて、普請を命じ、唐門はこの時のもので、秀吉が没した翌年の慶長4年に完成した。 三間一戸、幅6.3m、高さ5.9m、檜皮葺。三宝院は醍醐寺の本坊的な存在 秀吉の発願により紀州から移築したもので元は湯浅(和歌山県)の満願寺本堂だったという。秀頼の時代、慶長5年に完成した。部材には平安時代のものが残る。鎌倉時代に改修を受けている。 朱雀天皇が父の冥福を祈って建立したもので当寺で唯一創建時の姿を留める建築。身舎の立ちが低いため、屋根の逓減率が大きく、後の時代の塔のような細長いプロポーションにはならない。 下醍醐にある清滝宮本殿は、醍醐寺の鎮守社、現在の社殿は、室町時代後期の永正14年に再建された建物(三間社流造、檜皮葺)で、国の重要文化財に指定。上醍醐の清滝宮拝殿は国宝。

 

法界寺(日野薬師)阿弥陀堂 法界寺(日野薬師)本堂 藤森神社境内社大将軍社 藤森神社境内社八幡宮
伏見区日野西大道町19 伏見区日野西大道町19 伏見区深草鳥居崎町 伏見区深草鳥居崎町
竣工/嘉禄2年(1226/鎌倉中期) 竣工/康正2年(1456/室町中期) 竣工/永享10年(1438/室町中期) 竣工/永享10年(1438/室町中期)
★国宝 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
方五間、身舎の周囲に一間の裳階を廻らす。鎌倉時代のもので、国宝。中にある丈六の阿弥陀如来坐像は国宝。内部の柱などの彩色、絵画もかなりはっきりとしていて、建設当時の荘厳ながら綺羅びやかであったであろう雰囲気を想像させる。 明治37年、奈良県斑鳩町の伝燈寺から本堂を移築したものである。寄棟造、本瓦葺。内部は内陣が格天井、内陣が折上格天井である。棟札から室町時代、康正2年の建築だと分かる。伝燈寺は龍田神社の神宮寺であったが現在は廃絶している。  一間社流造・こけら葺、八幡社と同時に造営されたという。都の四方に祀られた大将軍社のうち、南方に祀られた社で、古来から方除神として崇敬されたという。祭神はイワナガヒメ(コノハナサクヤヒメの姉で、長寿の女神として崇拝される) 一間社流造・こけら葺。将軍足利義教の造営と伝える。記念誌には「当地にあった、延喜式内社・真幡寸神社がこれであると考えられている」とある。祭神の八幡神との関係は不明。神社の本殿と拝殿は宮中内司所(賢所)の建物を賜ったもの。 

 

  
寶塔寺総門 寶塔寺多宝塔 寶塔寺本堂 教王護国寺(東寺)五重塔
伏見区深草宝塔寺山町32伏見区深草宝塔寺山町32 伏見区深草宝塔寺山町32 南区九条町1
竣工/室町中期 竣工/永享10年(1438/室町中期) 竣工/慶長13年(1608) 竣工/寛永21年(1643/江戸前期)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国宝
平安時代に藤原基経の発願により創建された真言宗極楽寺が前身。のち、日蓮宗日像上人の影響により日蓮宗に改宗。寺の名を宝塔寺に改めた。切妻造、こけら葺。室町時代中期の建立で、現在の宝塔寺に残る最古の建物の1つ 方三間、本瓦葺、和様で長押、中備えは蟇股。屋根瓦は「行基葺」という丸瓦の継ぎ目に段差がある独特の様式を使う。京都市内で現存最古の多宝塔。高さが11.4mと小ぶりながらも、方形の初層と円形の二層の形が美しい。 桁行7間、梁間7間、入母屋造、本瓦葺。前2間が吹き放しの外陣で内陣の間には結界があり、出入り口は両脇に桟唐戸が付く。柱は貫で固め、中備えは間斗束。本格的日蓮宗本堂としては京都最古という。塔頭が7寺ある。 日本一の高さ(54.8m)を誇る木造塔。三代将軍・徳川家光が再建奉納したもの。大工棟梁は中井大和、古来の工法で建立。和様、三間五重塔婆、本瓦葺。新幹線で京都駅に着くと最初に見えるランドマークになっている。

 

教王護国寺(東寺)金堂 教王護国寺(東寺)御影堂 海住山寺五重塔 海住山寺文殊堂 
南区九条町1 南区九条町1 木津川市加茂町例幣海住山 木津川市加茂町例幣海住山
竣工/慶長8年(1603) 竣工/康暦2年(1380) 竣工/建保2年(1214/鎌倉後期) 竣工/鎌倉前期
★国宝 ★国宝 ★国宝 ★国指定重要文化財
東寺は空海が真言密教の根本道場とした。金堂は文明18年に焼失したものを、豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建させたもので、唐様、和様、天竺様の建築様式を折衷している。独特な屋根の形が、力強さを感じさせる。 大師堂(西院御影堂)は弘法大師の住房を仏堂としたもので、現在の建物は康暦二年の再建であり、更に明德元年には北側に前堂が附加されたが、なおよく住房の形式を伝えている。屋根裏に納められた棟札も国宝指定。 塔高17.7m、屋外にある国宝・国重文指定の木造五重塔としては室生寺五重塔に次いで国内二番目に小規模な塔である。初層の屋根の下に裳階が付くが、現存する平安・鎌倉期の五重塔として裳階があるのはこの塔のみである。 本堂の北側にあり、三間二間で寄棟造りの小堂である。屋根は銅板葺きになっているが、当初は檜皮葺であったと考えられている。本来は経蔵として建てられたが文殊菩薩騎象像が安置されたことで文殊堂と呼ばれている。

 

御靈神社本殿 岩船寺三重塔 浄瑠璃寺本堂 浄瑠璃寺三重塔
木津川市加茂町兎並寺山41 木津川市加茂町岩船上ノ門43 木津川市加茂町西小札場40 木津川市加茂町西小札場40
竣工/室町前期 竣工/嘉吉2年(1442/室町中期) 竣工/保元2年(1157) 竣工/平安後期
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国宝 ★国宝
室町時代の様式を伝える三間社流造、檜皮葺き。前面向拝の柱間に梁を渡し古い形式の蟇股を配し、左右に脇障子が付く。旧灯明寺の鎮守社だったもので、旧灯明寺の建造物の内、三重塔と本堂は横浜の三渓園に移築されている。 初層の内部には来迎柱をたて須弥壇と来迎壁をも設ける。各層のの四隅には隅鬼(天邪鬼)がいる。高さ20m。興福寺一乗院の末寺であったが、明治初期の廃仏毀釈で岩船寺は無住となり、現在は西大寺の末寺である。 桁行11間、梁間4間。堂正面は左右両端間は上半を連子窓、下半を土壁とし他の9間は板扉である。平面は九間四面=桁行9間、梁間2間の身舎の前後左右に1間の庇を廻わす形式で、全体に簡素で品格のある御堂である。 池の対岸にあり、三間三重塔婆、檜皮葺。京都の一条からの移築とされるが、どこの寺院の物かは不明。初層内陣には、創建時の本尊といわれる木造薬師如来坐像(重文)が安置され、内部の壁面には16羅漢像等が描かれている。

 

錦水亭 美山の茅葺集落 美山の茅葺集落 旧三上家住宅
長岡京市天神2-15-13 南丹市美山町北 南丹市美山町北 宮津市字河原1850
竣工/明治14年(1881) 竣工/ 竣工/ 竣工/天明3年(1783/江戸後期)
★伝統的建造物群保存地区 ★伝統的建造物群保存地区 ★国指定重要文化財
江戸中期頃からあった桟敷状の茶屋に始まり、明治創業の頃に池座敷が並び現在の景観が生まれた。八条ケ池に面して池座敷6棟、放生池に2棟、曽谷本館がある。たけのこ料理を主とする高級料理店。貴重な商業建築である。 京都市の北東約40kmにある。京都と若狭の中間地の茅葺民家集落。約250戸の茅葺民家が57の集落に散在する。その中で最も多いのが「北」の集落で五〇戸ほどがある。美山の民家は「北山型民家」といわれるものである。 山麓の傾斜地を整地して建てられており、宅地正面には石垣を築く。かつてはトタン葺に替ってしまったものも茅に葺きかえられて美しい村落風景を作っている。今は、村内を歩くと住人より観光客に出会う方が多い観光集落。 屋号を「元結屋(もっといや)」といった江戸時代に糸問屋や酒造業、廻船業などを営んだ商家。防火の配慮から、外部に面する柱を塗り込める大壁造とし、耐火構造とする。火災に対する用心をうかがうことができる。

 

加悦の町並み 加悦の町並み 伊根の舟屋集落 伊根の舟屋集落
与謝郡与謝野町 与謝郡与謝野町 与謝郡伊根町 与謝郡伊根町
竣工/ 竣工/ 竣工/ 竣工/
★伝統的建造物群保存地区 ★伝統的建造物群保存地区 ★伝統的建造物群保存地区 ★伝統的建造物群保存地区
加悦(かや)は丹後ちりめんの里として古くからその名を知られてきた集落である。室町時代から加悦庄では絹織物が盛んで、江戸時代には産業の基礎が造られた。 その後、京都から「ちりめん」の製織技術が伝えられ、町は飛躍的な発展を見せた。丹後地方で最初に郵便局や銀行が造られ、大正時代には自力で鉄道も敷かれた。 丹後半島にある舟屋が並ぶ入江の集落。舟屋は船のガレージで二階は作業空間だが現在は居住空間となっている家もある。かつて舟屋は茅葺でそれは素朴な景観だった。 保存地区は伊根湾の海岸沿いの集落とその背後の木が茂る良好な魚付林及び青島を含む。日本海に残る宝石のような日本の風景だが素朴さはやや失われ観光客で賑わう。

 

2020.05.016

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