京都府

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愛宕(おたぎ)念仏寺本堂 嵯峨鳥居本の町並み 嵯峨鳥居本の町並み 金戒光明寺三重塔(文殊塔)
右京区嵯峨鳥居本深谷町2-5 右京区嵯峨鳥居本 右京区嵯峨鳥居本 左京区黒谷町121
竣工/文保2年(1318/鎌倉後期) 竣工/ 竣工/ 竣工/寛永10年(1633/江戸前期)
★国指定重要文化財 ★伝統的建造物群保存地区 ★伝統的建造物群保存地区 ★国指定重要文化財
天台宗の寺院、京都・東山の松原大和大路近くにあったが、大正11年に現在地に移った。度々移築されて補修を加えられているが、和様建築の代表的な遺構である。方五間、入母屋造、本瓦葺。寺は五百羅漢で良く知られる。 瓦屋根と茅葺きとが共存する、嵯峨鳥居本は室町末期に農業や林業、川漁業を営む人々の集落として開かれたという。清涼寺から愛宕神社へ至る道は愛宕街道と呼ばれ、江戸から明治、大正にかけて多くの参拝者が行き来した。 江戸中期に愛宕詣が盛んになると門前町として賑わい、茶屋なども並ぶようになった。八体の地蔵が並ぶ三叉路から愛宕神社一の鳥居にかけての約600mの範囲には江戸後期から明治時代にかけて建てられた家並みが続く。 金戒光明寺は法然上人が比叡山を下りて草案を開き、念仏の教えを始めたところである。二代将軍・徳川秀忠の供養のために建立され、近くの中山宝幢寺の本尊だった文殊菩薩が安置された。方三間、本瓦葺、総高22m。

 

仁和寺金堂 仁和寺経蔵 仁和寺五重塔 仁和寺九所明神本殿
京都市右京区御室大内 京都市右京区御室大内 京都市右京区御室大内 京都市右京区御室大内
竣工/1613(慶長18年) 竣工/1641(寛永18年) 竣工/1644(寛永21年) 竣工/1641(寛永18年)
nn13★国宝 nn14★国指定重要文化財 nn15★国指定重要文化財 nn16★国指定重要文化財
金堂は、仁和寺の再建時に旧皇居より下賜された建物の一つである。紫宸殿として利用されていたもの。御所は何度も焼失しているため、これが紫宸殿の最古の遺構。 経蔵は寛永期の再建で三間四方、宝形造、内部中央に八面体の回転式の輪蔵が設けられている。天海版の一切経が納められている。内部板壁に仏画が描かれている。 国宝の東寺の五重塔と同じ年に再建された。様式ものほぼ同じで各層の低減が少ない寛永期の五重塔。塔内部には大日如来、無量寿如来など四方仏が安置されている。 九所明神は元は西側にあり、その後、鎌倉時代に南側から現在の東側に移ったという。本殿は三殿からなり、中殿が一間社流造、左右殿は四間社流見世棚造である。

 

賀茂御祖神社(摂社河合神社) 賀茂御祖神社舞殿 慈照寺東求堂 慈照寺銀閣
左京区下鴨泉川町59 左京区下鴨泉川町59 左京区銀閣寺町2 左京区銀閣寺町2
竣工/延宝7年(1679) 竣工/寛永5年(1628) 竣工/文明17年(1485/室町中期) 竣工/長享3年(1489/室町中期)
★国指定重要文化財 ★国宝 ★国宝
摂社河合神社は正式名称は鴨河合坐小社宅神社。かつては21年毎に式年遷宮が行われており、三間社流造で檜皮葺の社殿は延宝7年の式年遷宮の際の建築とされる。方丈記の著者の鴨長明は河合神社の神官家に生まれている。 寛永5年度(1628)造替後は、21年目ごとに解体修理が行われる。入母屋造、檜皮葺、桁行四間、梁間三間。殿上は宣命座の設置など柱間ごとに、細かく規定されている。本殿は東西2棟、文久3年の建立で国宝に指定さている。 足利義政の持仏堂と書斎を兼ねた建物で仏間の他に3室を持つ住宅風建築。現存最古の書院造。桁行6.9m、梁間6.6m、入母屋造、檜皮葺。南西部は仏壇のある板敷きの仏間、北東は同仁斎と呼ばれる四畳半間となっている。 室町幕府八代将軍・足利義政が鹿苑寺の舎利殿(金閣)を模して建てた観音殿(銀閣)。観音殿を含めた寺院全体は通称、銀閣寺として知られる。宝形造、二階建の楼閣建築で一層を心空殿、二層を潮音殿と呼ばれている。

 

南禅寺三門 南禅寺法堂 南禅寺方丈 南禅寺金地院東照宮楼門
京都市左京区南禅寺福地町 京都市左京区南禅寺福地町 京都市左京区南禅寺福地町 京都市左京区南禅寺福地町
竣工/寛永5年(1628) 竣工/明治42年(1909) 竣工/天正期(1573-92) 竣工/寛永5年(1628)
★国指定重要文化財 ★国宝 ★国指定重要文化財 
現在の三門は寛永5年藤堂高虎が大阪夏の陣に倒れた家来の菩提を弔うために再建したものである。禅宗様式の五間三戸二階二重門、入母屋造、本瓦葺。量感と列柱群が力強さを示している。
三門の奥にある大きなお堂は、法堂(はっとう)で南禅寺の中でも重要な建物。以前の建物は明治26年の火災によって焼失し、明治42年に再建された。内部の須弥壇に釈迦三尊像が祀られている。 国宝の南禅寺の方丈は大方丈とその背後に接続した小方丈からなっている。寺伝では、この大方丈は天正年間の内裏の建物、清涼殿、または女院御所の対面御殿を移築したものとの2説がある。 南禅寺の塔頭の1つで、江戸幕府の法律外交を担った僧・以心崇伝が住したことで知られる。家康の遺言による3つの東照宮のうちの一つがある。社殿は寛永5年に造営され、権現造で極彩色で彩られている。

 

無鄰菴 大報恩寺本堂(千本釈迦堂) 北野天満宮本殿・拝殿 北野天満宮中門
左京区南禅寺町草川町31 上京区溝前町1035-1 上京区御前通今出川入ル馬喰町 上京区御前通今出川入ル馬喰町
竣工/明治29年(1896) 竣工/安貞元年(1227/鎌倉中期) 竣工/慶長12年(1607/江戸初期) 竣工/慶長12年(1607/江戸初期)
★国宝 ★国宝 ★国指定重要文化財
無鄰菴=明治の元勲・山縣有朋邸は三つあり山口県下関の草庵(東行庵)、京都・木屋町の別邸、京都・南禅寺参道前の別邸である。三番目の南禅寺前の別邸は木造平屋建の母屋、藪内流燕庵を模した茶室、煉瓦造の洋館(明治31年/新家正孝設計)から成る。 市内最古の木造建造物。桁行き5間、梁間6間、正面一間向拝付。正面は5間とも蔀戸を構え、側面は手前一間を両開戸、次の間を蔀戸、後寄り4間を引き違い戸としている。内部は一般的な密教仏堂と異なり、本尊の周囲を行道できる常行系の平面である。 入母屋造の本殿と拝殿を石の間で繋いで一棟とする権現造。当神社の場合は拝殿左右に「楽の間」が接続しているため複雑な屋根構成である。屋根は全て檜皮葺。仙台の大崎八幡宮本殿と同じく慶長12年に竣工と共に、権現造としては現存最古のものである。 楼門と拝殿の間に建つ中門は三光門と呼ばれ、三光とは、日、月、星の意味で、梁の間に彫刻があることが名の由来であるが、星の彫刻だけが見られないともいわれている。「星欠けの三光門」として今でも当宮の七不思議に数えられている。軒唐破風四脚門。

 

二条城唐門 二条城二の丸御殿 二条城本丸櫓門 二条城土蔵
京都市中京区二条通堀川西入 京都市中京区二条通堀川西入 京都市中京区二条通堀川西入 京都市中京区二条通堀川西入
竣工/1602(慶長7年) 竣工/1602(慶長7年) 竣工/1626(寛永3年) 竣工/1602(慶長7年)
nj1★国指定重要文化財 nj2★国宝 nj3★国指定重要文化財 nj4★国指定重要文化財
二の丸御殿の正門となっている唐門は寛永3年の後水尾天皇の行幸にあわせて造営されたと推定されている。構造は四脚門、切妻造で、前後に唐破風が付けられている。 江戸時代の書院造の代表的な建物である二の丸御殿は御殿群として国宝に。入り口から順に、遠侍・式台・大広間・蘇鉄の間・黒書院・白書院の6棟で構成されている。 本丸櫓門(本丸東櫓門)は入母屋造、本瓦葺きの櫓門で、寛永3年に徳川家光が造営した本丸内の建物の中で、天明8年に起きた「天明の大火」で唯一焼け残った遺構。 二の丸御殿台所の北側にある。形式は長屋門土蔵造。御殿台所を北と東から囲うように存在していた。この他に本丸の堀沿いに西南土蔵と西北土蔵が残っている。

 

  
二条城東大手門 旧二条駅舎・鉄道博物館 島津創業記念資料館 京菓子亀末廣
中京区二条通堀川西入二条城町541中京区西ノ京栂尾町 中京区木屋町通二条下ル西洲町 中京区姉小路通烏丸東入車屋町
竣工/寛文2年(1662) 竣工/明治37年(1904) 竣工/南棟=明治21年(1888) 竣工/
★国指定重要文化財 ★市指定文化財 ★国登録文化財
天皇が住む京都御所の守護と将軍上洛の宿泊所として築城した。三代・家光の時代に大規模な改修が加えられている。慶応3根に15代将軍・徳川慶喜が二の丸御殿(国宝)で「大政奉還」の意思を表明した。東大手門は二条城の正門で、形式は櫓門。 木造中央部分を二階建とし棟の両端に鴟尾を乗せる。両翼は入母屋造、正面中央の車寄せは切妻造である。全体的には和風だが待合所や柱飾りや上げ下げ窓に洋風の意匠が見られる。小屋組は洋風トラス。明治期の本格的な和風駅舎としては現存唯一。 創業初期に島津源蔵の住居・研究所として使われていた建物を保存公開。南棟=木造二階建、切妻造、桟瓦葺。北棟=木造二階建、片寄棟造、瓦葺。創業以来、製造販売してきた理化学器械、産業機器をはじめ、歴史的な文献・資料などを常設展示。 文化元年創業、京都の烏丸御池からも近い、歴史的景観を現在も色濃く残す姉小路(あねやこうじ)通りに店を構える和菓子店「亀末廣(かめすえひろ)」。老舗が立ち並ぶ通りの中でもひときわ目を引く、古風と趣きのある佇まいが趣を出している。

2020.05.016  11.10 東山区を独立、南禅寺、二条城、仁和寺を追加

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