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観音寺山門 観音寺山門 岩瀬牧場玉蜀黍貯蔵庫 岩瀬牧場玉蜀黍貯蔵庫
耶麻郡猪苗代町川桁字村北2347 耶麻郡猪苗代町川桁字村北2347 須賀川市前田川字草地 須賀川市前田川字草地
竣工/江戸初期 竣工/江戸初期 竣工/明治13年(1880) 竣工/明治13年(1880)
★町指定文化財 ★町指定文化財 ★市指定文化財 ★市指定文化財
観音寺は明治28年(1887)の火災で縁起などの資料を焼失し、三門以外については詳細不明。山門は会津式唐門、すなわち入母屋造りの唐破風門で。寺は街道から入った静かな山際にあり風情ある山門が佳い景色を作っている。

 


茅葺のとうもろこし倉・明治初期に宮内省御料局の開墾地として岩瀬郡鏡田村から前田川村の六軒原が開墾され、牧畜用農具や乳牛をオランダから輸入して欧州式大農経営が行われた。この時建てられた玉蜀黍貯蔵所で、高床式、格子壁、茅葺屋根の倉庫である。 「玉蜀黍」の字は難しくて読めない人もいるし、何故こんな面倒な文字を当てたのだろう。モロコシは「蜀黍」とも書いたので頭に「唐」をつけたが他にも有るので別名「玉黍=タマキビ」の玉を当てた。カタカナで結構だったと思うばかりである。
 列島古建築紀行に掲載

 

洗心亭 高村智恵子生家 堂山王子神社 三春文化伝承館
二本松市郭内3-232 二本松市油井字漆原町36 田村市船引町大字門沢字堂山 田村郡三春町大町82
竣工/17世紀中頃 竣工/明治初期 竣工/室町中期 竣工/明治28年(1895)
★市指定文化財 ★県指定文化財 ★国指定重要文化財 ★県指定文化財
かつて二本松城内にあった「墨絵の御茶室」が阿武隈河畔に移されて藩主の釣茶室として使われていたが明治30年(1897)に城内に再移築され庭園内施設として復元、活用されているというのがおおよその経緯で、それ以外は判然としない茶室建築である。木造単層、寄棟造り、茅葺、桁行5間、梁間2間。 

屋号「米屋」という造り酒屋。木造二階建、切妻造りの商家建築。高村智恵子は明治・大正期の女流画家。夫の高村光太郎は彫刻家・詩人で「智恵子抄」が有名。





大同2年(807)坂上田村麻呂が飛騨の匠を派遣して建立したのが堂山寺観音堂である。明治維新の廃仏毀釈で解体の危機に遭い、明治3年に里人たちは堂山観音堂を堂山王子神社に改称して破壊から守った。これは全国的に見られた守護方法で、今も神社に寺院の建造物が見られる理由である。堂は木造平屋、桁行5間、梁間4間、寄棟造銅板葺屋根。 明治時代の豪商であった旧吉田邸を修理して公開したものである。主屋は数寄屋造りの2階建で高級材を使った内部仕上げである。この邸宅は地元出身の吉田誠次郎氏が一代で築いた財産を元手に自宅として建てたもので、敷地は300坪の広さで、主屋のほかに蔵、高台に紫雲閣と呼ばれる蔵座敷がある。

 

願成寺(白水阿弥陀堂) 黒田不動堂 黒田不動堂 龍門寺楼門
いわき市内郷白水町広畑 いわき市田人町黒田字別当 いわき市田人町黒田字別当 いわき市下荒川字諏訪下
永暦元年(1160/平安後期) 竣工/江戸初期 竣工/江戸初期 安永4年(1775/江戸中期)
★国宝 ★県指定文化財 ★県指定文化財 ★市指定文化財
岩城地方の領主・岩城則道夫人の徳姫が建立。徳姫は奥州藤原氏の藤原清衡の娘という。夫が死去すると菩提を弔うために菩提山願成寺を建立した。阿弥陀堂は中尊寺金色堂(岩手県平泉)、高蔵寺阿弥陀堂(宮城県角田市)と共に東北三大阿弥陀堂の一つに数えられている。木造平屋、方三間、宝形造こけら葺屋根、外壁は真壁造板張。内部は中尊寺金色堂を模したといわれるほど華やかな極彩色に満ちている。境内は周辺の山を取り込んだ浄土式庭園で西方浄土の世界観を表現している。 不動堂は方三間、総欅造、回縁付、宝形造茅葺屋根。両脇に連子付花頭窓、正面の向拝は省略されている。円柱は比較的細く、上下粽付き、柱上には台輪をめぐらした大斗をおくなど、出三つ斗の形も含めて全体に禅宗様を採っていて江戸時代初期のすぐれた建造物である。日光東照宮の意匠に類似するなど貴重な御堂建築である。




  龍門寺は江戸時代に磐城平藩領内の曹洞宗寺院の中心的な存在として歴代の藩主に庇護されている。龍門寺の山門は八脚楼門形式、入母屋、茅葺、三間一戸の建築物で両脇に金剛力士像が安置されてる。







 

飯野八幡宮 飯野八幡宮 豊間諏訪神社本殿 豊間諏訪神社本殿
いわき市八幡小路 いわき市八幡小路 いわき市平豊間下 いわき市平豊間下
竣工/1616(元和2年) 竣工/1616(元和2年) 竣工/寛文2年(1622) 竣工/寛文2年(1622)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財    
いわき駅の西方の台地に所在する大型の社殿で、元和2年(1616)の建立墨書が残っており、昭和58年に国の重要文化財に指定された。由緒では創立は文治2年(1186)で石清水八幡宮より御神躰を奉じ、赤目崎見物赤岡へ勧請したことに始まるとされている。慶長7年(1602)、現在地に遷宮したが同19年に火災により焼失。 元和元年(1615)から再建が始まり、翌年本殿が完成し、約30年間にわたって拝殿等が造営された。境内には神仏習合の殿社が20棟ほど建つ壮大な境内が再建されていましたが、明治の神仏毀釈により、本殿、拝殿・幣殿、唐門、若宮社、仮殿、神楽殿、楼門、宝殿が残るのみとなった。


由緒によると大同二年(807)、坂上田村麻呂が征夷の戦勝を祈願して豊野山頂に昇り諏訪大明神を勧請したのがはじまりという。その後、永禄9年志賀右衛門尉荒廃を嘆きて修復を加え、神鏡を奉納(県指定)する。



寛文2年(1662)に磐城平城主・内藤忠興候が社殿の再建した。本殿はその時造営されたものという。嘉永3年(1850)に拝殿を再建。東日本大地震の時の大津波は鳥居の前まできたという。




 

旧猪狩家(暮らしの伝承郷) 専称寺庫裏 高蔵寺三重塔 密蔵院楼門
いわき市鹿島町下矢田字散野14-16 いわき市平山崎 いわき市高倉町鶴巻50 いわき市三和町合戸内畑35
明治12年(1879) 竣工/元禄3年(1690) 竣工/安永3年(1774) 竣工/延享4年(1747)
★市指定文化財 ★国指定重要文化財 ★県指定文化財 ★市指定文化財
暮らしの伝承郷には市内にあった江戸時代後期から明治時代初期頃の伝統的な茅葺き民家を移築し、民具などと共に展示されている。旧川口家住宅、旧高木家住宅、旧芳賀家、旧猪狩家が市指定文化財。樋口家住宅は県指定文化材。



専称寺は東北地方における浄土宗の中心で,本堂や庫裏の規模はその格の高さを示している。応永2年(1395)に開創された。東面して総門を構え,その奥の小高い山の上に主要伽藍がある。寛文8年(1668)に伽藍の大半を焼失したが,本堂は寛文11年(1671)の再建、茅葺の庫裏は元禄3年(1690)の再建,総門は近世前期の細部意匠がみられる。3棟が国指定 高蔵寺は寺伝によれば大同二年(807)徳一大師によって開かれ、以後観音霊場として栄えた。慶安元年(1648)徳川家光より永代三十石の御朱印を授けられた由緒ある名刹である。三重塔は安永三年頃(1774)に権大僧都承隆和尚によって再建された。このことが本堂の傍に建つ石碑や相輪伏鉢に刻銘されている。

賢沼の傍らにある沼之内弁財天は密蔵院(賢沼寺)といい、境内にある賢沼の入口に楼門はたっている。規模の小さい楼門で延享四年(一七四七)、内藤備後守政樹の代に造営が始まり、翌年完成した。大工棟梁の平鎌田の杢七、木挽の甚三郎によって建築されたことが棟札に明記されている。


2020.12.20 修正

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