山口市

1・瑠璃光寺
  洞春寺
2・市内中心部1
  龍福寺
  旧野村家住宅
3・市内中心部2
  今八幡神社
  八坂神社
  築山神社
4・市内近郊
  平清水八幡宮
  古熊神社
5・市内郊外
  月輪寺
  秋穂正八幡宮

萩市

山口市郊外

山口市は平成の大合併で、大きくなり、市域は県のほぼ中央に位置し、南北に長く南端は瀬戸内海(山口湾)に面し、北端は島根県と接する。旧・山口市と旧・小郡町、旧・阿知須町、旧・徳地町、旧・秋穂町が合併して発足した。市域の中央を山口線が新山口(小郡)から津和野まで走っている。月輪寺は旧・徳地町、秋穂正八幡宮は旧・秋穂町などがある。

月輪寺

月輪寺薬師堂は、江戸時代の明和3年の薬師堂造営上梁記・宝暦9年の上村薬師縁記等によると、「平家によって焼かれた東大寺の再建のため、平安末期の文治2年に東大寺造営料国に充てられた。大勧進俊常坊重源が周防国に下向し、自ずから佐波川上流の杣山(そまやま)に入り、資材を求めた際に藤原兼実の助力を得て、旧建物を移し再興したとある。寺名の月輪寺は「月輪関白」と呼ばれていた事に由来するとある。
 堂は桁行五間、梁間四間、一重寄棟造り茅葺の建物である。江戸時代初期には大修理が行われ、内陣四囲の一間通りの入側と小屋組がみな取り替えられている。内陣の部分を中心に古い材も割によく残っており、山口県で最古の建造物と考えられる。

 
   月輪寺薬師堂(国指定重要文化財) 山口市徳地上村蔵場             

秋穂正八幡宮

正八幡宮は、弘仁5年(814年)に外敵侵攻に対する護りとして宇佐から八幡神を秋穂二島の地に勧請したのが始まりとされる。その時の嵯峨天皇御親筆の勅額といわれる「八幡二島宮」の篇額が、今に伝わっている。元は二島に建立され、その名も「八幡二島宮」であった。従来の社名を変えることは適当で無いので、単に「正八幡宮」と称するようになった。その後、文亀元年(1501年)に大内義興が現在地に移したと伝わる。

 
   秋穂正八幡宮楼門、庁屋(国指定重要文化財)         秋穂正八幡宮本殿(国指定重要文化財・後方の建物)

 現在の社殿は、元文5年に長州藩主毛利宗広によって建立されたもの。山口地方独特の神社建築様式である本殿、拝殿、楼門、庁屋は国の重要文化財で、鐘楼は山口市の有形文化財に指定されている。建物配置は「宮」の字状に作られ、楼門に向拝が付き、両脇の翼廊(庁屋)の後ろに小さな建物が付き、宀にになっている。その後方に拝殿と本殿が「呂」の字になり、本殿は大きな覆い屋の中にある三間社流造である。

 
   秋穂正八幡宮鐘楼(県指定文化財)