秋晴れの一日大内宿を訪ねました
 大内宿はよく知られているように、昔は会津藩の参勤交代の宿場町でした。現在は伝統的建造物群保存地区になっていて茅葺き屋根の家々が並んでいるさまは、懐かしい日本の風景を思い起こさせます。

街並み全部が茅葺きなわけではありませんが電線も地中化されており 道の両側には、生活用水としても使用されている溝が流れていて外から見る限りでは、遙か昔の生活様式がそのまま保たれているように見えます。(もちろん実際の生活が昔ながらというわけではありません)

道路と家の間には、かなりの広さの空きがあって昔は馬をつないだといいます。家は道路側に妻があって、今は多くの家々でそこに店を広げていますので一見すると妻入りのように見えまが、家の横の奥の方に入り口がある平入りになっています。

 集落の中程に、本陣がありますが、これは同じ街道筋のよその本陣を参考にして再建されたもので、本来の大内宿の本陣ではありません。大内宿の本陣は戊辰戦争の時書類なども焼けてしまって、よくわからないそうです。

集落のはずれの方で、たまたま土蔵を建てているのに出会いました。今では見られないような、本格的な土壁をつくっているところでした。茨城などとは違って、中の骨組みに栗の木の細く割ったものが、使われていました、聞いてみると、会津の辺では竹が出来ないので木を使うのだそうです。その土地によって土地柄に合うものを使うのだということを。実感しました。昔よく見たように、土を丸めて投げつけながら、塗っていました。塗りおえたら。そのまま春まで置くのだといいます。そうしないと中の水分が凍ってしまうとのこと完成までには長い月日がかかるというのがよく解りました。
 現在の日光街道は、この集落から6キロくらい東を通っており、昔の街道がどのように通っていたのか疑問に思っていましたが、峠を越えて会津本郷の方へ行っていたと聞きました。会津藩の参勤交代の時は600人もの人々が宿泊したという記録があるそうですが今集落のはずれの山の中腹に立って集落を一望してみると僅かこれだけの集落に600人も泊まったというのが信じられないようなたたずまいです。
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