古社寺遍路
1・常陸の古社寺を歩く(那珂湊・館山七ヵ寺)
水戸城門が移築されていた浄光寺
ひたちなか市那珂湊・浄光寺  

 ひたちなか市の那珂湊に寺院が七ヵ寺も固まってあるところがある。県内でも数少ない場所である。行ってみると浄土真宗西本願寺派の寺院が七ヵ寺集まっている。どの寺院も別々の由緒があるが元禄時代、水戸光圀公によりここに集められたものと言う。入って来た入り口に七ヵ寺の共同の駐車場がある。駐車場の前に浄光寺の山門がある。

 駐車場には七ヵ寺の由緒が書かれていた。ほとんどの寺院が光国の時代にここに集められたものと云う。かつては豪壮な建物があったと云うが元冶甲子の乱によってことごとく消失したと云う。現在ある本堂は明治11年に復興したものである。しかし山門をよく見てみると柱も柱の上にある木鼻は江戸時代初期の古い様式を持っている。焼け残ったものがあったのか
と思いながら、資料を調べてみるとこの山門は水戸城にあった常光寺門を移築したものと書かれていた。浄光寺は親鸞聖人二十四輩の二十一、唯物房の開基と伝え、初めは枝川村(ひたちなか市枝川)に創建されたと云う。館山七ヵ寺は浄光寺だけが広い敷地を持ち、その他の6ヵ寺は同じ面積で並んで建っている。墓地も七ヵ寺共通なのか境が無かった。
正徳寺には那珂湊市指定になっている門がある。この門は安政6年に水戸藩典医の久保田宗仙が屋敷の門として建立されたものであるが昭和46年に久保田家より寄進、移築されたものと云う。形式は棟門である。那珂湊は前述の元冶甲子の乱によって古い建築はほとんどが消失してしまったが余所からとは云え、古い建築が大切に保存されていた。
 
2004.02.16

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