古社寺遍路
房総の古社寺を歩く(水田家と松山寺)
鴨川市曽呂地区に有る水田家と松山寺  

 君津から丸山町に抜ける国道405号線は以前(7〜八年前)は道も狭く、大型バスは通れないような道であったが、今は道路の改良も進み、鴨川有料道路を通らなくても姉崎より鴨川市に行けるようになった。水田家は国道410号線で長狭街道を横切り、峠を越えたところに在る嶺岡牧場の手前を尾根道に入った場所に在る。思ったより山奥に在った。

 水田家は元大蔵大臣・水田三喜男氏の生家である。水田氏が創立した城西大学が氏の功績を残す為に保存維持をされている。最近、茅葺き、修理補修もされ登録文化財にも指定された。茅葺き農家で、東側を土間とし、床上は囲炉裏を切った15畳の座敷を中心に食違いの5室構成である。西側に縁側、式台があり、南面には瓦葺の下屋を差し掛けるなど房総民家の特色を持つ。建設年代は江戸後期と推測されている。
松山寺
 
 水田家は嶺岡山系の南側、曽呂地区の一番奥にある。鴨川市街に抜ける道路へ下り、曽呂に向かう。地図には曽呂温泉に入る道路の分岐当たりに松山寺は在るのだが入口が見つからず、迷ったあげく諦めて帰ることにした。帰りがけに 曽呂温泉入口の所より、山を見上げると寺院らしき建築が見えるので畑の脇を登って行くと山門が見えて来た。
 諦めずに登って来た甲斐があった。山門も本堂も建築的には江戸末期から明治時代の建物である。本堂に向かい、お参りすると向拝に立派な竜の彫物が在る。彫物の裏を見ると彫物師の刻銘が在る。「「當國舘野村国分 彫刻師 後藤喜三郎 橘義信 六十九作」 。メモ帳に刻銘を写し、家に帰ってから千葉県の彫物師に詳しい唐丸さん に連絡をした。

 唐丸さんは「波の伊八美術館」と云うページを主催している、氏によると後藤喜三郎は「初代後藤義光の弟子で四天王の一人といわれる、彫刻師です。屋台・山車・神輿に作品が多く見られます」そうだ。

   同じ鴨川市内の太田学にある勝蔵院には刻銘「後藤喜三郎橘義信」満六十八才 ・大正三年 の作が在り、この刻銘の次年(大正四年) に彫られたものだろう。
 
2004.05.02

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