古社寺遍路
3・房総の古社寺を歩く(長狭街道)
大山不動と平群天神社
大山寺  


 大山寺は鴨川市街から三浦半島に渡る保田に向かう長狭街道にある。途中には伊勢神宮の神田にもなった主基田がある。大山寺の大きな本堂は長狭街道からはかなり遠くから見える。この本堂は千葉県の有形文化財に指定されている。大山寺は奈良時代に良弁僧正が開山したという,高蔵山の中腹にあり,境内 からは,長狭平野や市街地が一望できる。
大山不動堂は、入母屋造り、銅板葺き。建築年代は棟札から享和2年(1802)と推定され、建物自体は江戸末期の和様建築式で県内有数の建物である。本堂の左前方にある鐘楼は元禄2年(1689) の建築で市指定になっている。不動堂向拝の龍の彫刻は、地元の彫刻師・波の伊八と呼ばれる初代武志伊八郎信由の作。
この山の中腹には『バクチノキ』の群生地がある。最近、鴨川にはサテライト鴨川が出来たそうだがこの木のように赤裸にならないように祈る。大山寺からは脇の道を抜けると大山千枚田に出られる。
平群天神社  
 平群天神社は富山町平久里にある。古代からの歴史が続くように大和の平群町と関係があるのだろう。神社の脇の道は伊予ケ岳の登山道になっている。標高 336.6mあり、房総の山名で唯一「岳」の付いている。伊予ケ岳は、鋭い岩峰を山頂から空に突き出しているようにみえる。山頂からの展望は 東京湾はじめ房総の山並みや太平洋が一望に見渡すことが出来るそうである。
 天神社は由緒に寄ると「文和2年(1353年)に細川相模守が京都北野天神をこの地に勧請した。平群九邑の鎮守として広く信仰を集めている。天正14年(1588)に里美義頼公の命で大工飛騨守家助により本殿が改築され、貞享4年(1678)には幣澱拝殿が改築され、さらに文化5年(1808)に神照寺法印宥弘荷より再建された。」とあります。


拝殿の脇を廻って、本殿を見ると由緒にあるように天正時代の様式を持っている。虹梁を見ると眉切りだけで蔓が彫られていない古式である。蟇股も当初のもののように見える。木鼻などに後世の修理が見られるが本殿そのものは古いものかもしれない。組物などに彩色の痕もあり、建立された時はかなり豪華のものと思われる。由緒にある大工の飛騨守家助がどのような人物かも気になる。

 この本殿を建てる為に遥か飛騨国より来られたのだろうか。神社の隣にある観音堂は由緒に書かれているこの神社の神宮寺である神照寺の御堂だろうか。細部から見ると江戸後期の建築である。廃仏棄釈のおりにも壊されずに残ったものであろう。

 
2004.1.2

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