古社寺遍路
2・房総の古社寺を歩く(高宕観音)
関東ふれあいの道  

 410号線から「関東ふれあいの道」のハイキングのコースを登って高宕観音に向かう。登山道は人工木の手すりや土止めで良く整備されている。しかし、台風などの影響で所々で崩れているところがあった。年末の寒い時期にも関わらず暖かい日であった。この暖かさに誘われて、リンドウが咲き始めていた。

尾根道に入ってしまえば緩い上り下りが続くだけである。あまり危険なところは無いが1か所だけ岩をくり抜いたような場所で足の踏み場くらいしか幅の無いところがある。約1時間半くらいで高宕山に登る道と高宕観音、高宕大滝への分岐にでる。山頂へは500mである。
山頂までの道は結構、急登でハシゴや岩にかけたロープ等もあり、厳しい。最後の階段を上ると約6畳くらいの平らなところがあり、山頂は高宕観音の奥の院となっている。小さな石の祠と信仰の為なのかお釜が置いてあった。山頂の展望は360度の大展望で、今回は暖かいせいか富士山を見ることは出来なかったが房総の山々を望むことが出来た。高宕山から下りて、もとの三叉路に戻るとここから高宕観音までは約100mくらいである。大きな岩を刳り貫いた穴をくぐると観音堂の裏手に出る。
高宕観音の由来
伝説によれば、奈良時代に行基菩薩が当山を訪れた際、多くの人々にご利益を施そうとして彫刻した霊像といわれている。この観音像の利益を受けたものは数限りないが、源頼朝が石橋山の合戦に破れ安房国に渡った時、源家再興を祈念し、黄金で一寸八分の尊像を写し刻んだ。この観音像を常に肌身離さず持ち、ついに鎌倉幕府を開くに至った。また、五穀豊穣、子育てや厄除けなど観音様の霊感のお陰であるといわれ、近郷あるいは遠方から参詣に訪れる人が絶えなかった(高宕山縁起より)
 観音堂の建築は細部様式を見ると幕末から明治の建築と思われる。観音堂は廻り縁が有り、また、岩に付いてある部分には岩を刳り貫いて、一回りすることが出来る。観音堂の参道の階段下には狛犬や石造の仁王像がある。また階段の途中には岩が洞窟状のところに関東では珍しい石造の三重塔がある。塔の下部に磨耗してよく読めないが銘文は
 「ホウリキ八年つちのえとら」 
と有り、 干支もあっているので宝暦8年(1758)戊寅の製作と思われる。

 インターネットに載っている情報に寄ると、真言宗智山派で寺名は満福寺という。いくつかの地図にも万福寺と記載されている。本寺は富津市田原にあるらしい。観音堂の裏手に有る石仏には「高胡山寶泉寺 寶永四年八月發日 願主法心上人松平大膳守御領分」とある。元の寺名は宝泉寺と思われる。

 また、上総峰上二十七番札所にもなっている。観音堂の正規の参道は石射太郎へ登山口からである。ここからの登りは石の階段などもあり、きついが約15分で、尾根道に出るとことができる。鹿野山への分岐があり、そのすぐ先が石射太郎である。ここからは約40分くらいで観音堂に着くことが出来る。

 
2003.12.31

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