徳島県

 

丈六寺本堂 丈六寺観音堂 丈六寺経蔵 丈六寺三門
徳島市丈六町丈領32 徳島市丈六町丈領32 徳島市丈六町丈領32 徳島市丈六町丈領32
竣工/寛永6年(1629/江戸前期) 竣工/慶安元年(1648/江戸前期) 竣工/寛永21年(1644/江戸前期) 竣工/室町末期
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
徳島藩初代・蜂須賀家政の娘・辰姫の供養のために方丈を寄進したもの。入母屋造、本瓦葺。 永禄10年に細川真之により建立された寄棟造二重仏堂。慶安元年に修復。普門閣とも呼ばれる。 永禄10年に細川真之より僧堂(座禅堂)として建立された。現堂は享保12年に縮小して再建。 和様、禅宗様折衷の二重門(二階建で上下層共に軒を持つもの)で県下最古の建造物である。

 

一宮神社本殿 犬飼農村歌舞伎舞台 福永家住宅(塩田屋敷) 田中家住宅
徳島市一宮町西丁237 徳島市八多町八屋67-3 鳴門市鳴門町高島字浜中1 名西郡石井町藍畑705
竣工/寛永7年(1630/江戸前期) 竣工/明治6年(1873) 竣工/文政11年(1828/江戸後期) 竣工/江戸後期~明治
★国指定重要文化財 ★国指定民俗文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
一宮神社は、徳島市の南西部にあり、江戸時代には四国八十八所霊場の札所で神仏習合の「一宮大明神」として庶民信仰をあつめた。三間社流造、正面千鳥破風付、銅板葺。向拝は一間で唐破風造で極彩色の彫刻を施している。 徳島では各地に人形浄瑠璃のための農村舞台が建てられた。五王神社の人形芝居、野外舞台で寄棟造、鉄板葺(元茅葺)。舞台右側斜め前の「太夫座(演奏者場)」が舞台後方には「千畳式敷場(背景場)」が敷設されている。 寛文年間に高島村で塩田を開き製塩業を営んだ。鳴門塩田の中心で当住宅や入浜塩田はその唯一の遺構である。中央部に南面して主屋、その西側に離れ座敷、土蔵があり主屋との間を風呂、便所を取り入れた廊下で繋いでいる。 寛永年間から続く藍商。江戸後期から明治にかけて築かれた手屋敷で、茅葺の主屋、藍寝床、蔵、地元産の青石が用いられた石垣などが遺る。吉野川の氾濫で被災を繰り返し、現在の屋敷は3度目に建てられたものである。

 

武知家藍寝床 旧奥村家(藍住町歴史館藍の館) 旧奥村家(藍住町歴史館藍の館) 旧長岡家住宅
名西郡石井町高川原字天神133 板野郡藍住町徳命字前須西166 板野郡藍住町徳命字前須西166 美馬市脇町大字猪尻西上野34
竣工/文政年間 竣工/明治20年(1887) 竣工/明治20年(1887) 竣工/享保20年(1735/江戸中期)
★国指定重要文化財 ★国登録文化財 ★国登録文化財 ★国指定重要文化財
吉野川の洪水がもたらした肥沃な土壌が藍の栽培に適しため江戸時代以前から「阿波藍」が作られた。武智家は「天元」の屋号で藍商として繁栄した。藍寝床は、藍の葉を寝かせて「すくも」を製造する場所である。 奥村家西座敷、間口15m、奥行7.8m、入母屋造、鉄板葺(元茅葺)。西寄りに土間を設ける。床上は南二列からなり、全れる東端の8畳にはトコを設け、土間側の6畳正面を窓とする。西座敷は二階建てで上と下に十畳間がある。 大藍商であった旧奥村家屋敷の13棟の建物が昭和62年に11代当主奥村武夫氏から藍住町に寄附された。併せて13万点におよぶ奥村家文書も町所有となったのを機に、旧屋敷地、建物を藍住町歴史館藍の館として開館した。 元は讃岐山脈南麓にあった民家。桁行5間半、梁間4間、寄棟造、茅葺。大屋根が軒まで葺下ろされている。外壁は土壁でこれは雨の少ない讃岐山脈南麓の民家の特徴である。間取りは寝間と土間。棟札あり、建立年が判る。

 

  
脇町うだつの町並み 脇町うだつの町並み  旧吉田家住宅 旧吉田家住宅
美馬市脇町脇  美馬市脇町脇55 美馬市脇町脇55
竣工/ 竣工/ 竣工/江戸中期~後期 竣工/江戸中期~後期
★伝統的建造物群保存地区 ★市指定文化財 ★市指定文化財
卯達あがる阿波最大の豪商の町。吉野川北岸の主要街道である撫養街道と讃岐への街道が交差する交通の要衝であり吉野川水運の利もある。 町並みは脇城の城下町として成立し、藍の集散地として発展した。町並みは明治期竣工を中心に江戸~昭和初期竣工の伝統的建築85棟が並ぶ。 寛正4年(1792)創業の藍商、吉田直兵衛の家。店名は「佐川屋直兵衛」屋号を「佐直(さなお)」と称し脇町でも1、2を競った豪商である。 邸宅は25室あり表八畳の座敷を「御成りの間」という。卯達や虫籠窓を持つ塗籠造の脇を代表する商家。5棟が中庭を囲むように建っている。

 

永井庄屋屋敷主屋 永井庄屋屋敷別棟 出羽島・蔀帳の集落 出羽島・蔀帳の集落
美馬郡つるぎ町貞光西浦37 美馬郡つるぎ町貞光西浦37 海部郡牟岐町出羽島・鞍浦 海部郡牟岐町出羽島・鞍浦
竣工/寛政3年(1791/江戸後期) 竣工/正徳4年(1724/江戸中期) 竣工/ 竣工/
★町指定文化財 ★町指定文化財 ★伝統的建造物群保存地区 ★伝統的建造物群保存地区
南に切妻造、本革葺きの表門を開き、築地塀がココム約550坪の敷地に母屋、蔵、藍のネドコなどがある。卯達を持つ商家とは異なり庄屋としての格式を備えた住宅建築である。別棟(ネドコ)も端正な佳い建築である。   太平洋に面する小島で面積は約〇・4平方㎞の島。ミセ造りという独特の造りの民家が多い集落である。ミセ造りというのは、軒下に設けられた二枚の板戸を合わせて雨戸縁台として使われた仕掛けを持つ家のことである。 島内での運搬手段はほとんど台車で、この多くは手製と思える木製である。家の軒下はそのガレージとなり独特の景観を生んでいる。江戸時代に徳島藩は減税などの奨励策で移住を勧め、江戸初期は50戸の集落だったという。

 

2020.06.30

古建築図鑑 トップ

古建築研究会 トップ

列島古建築紀行