高知県

 

高知城天守 高知城黒鉄門 土佐神社本殿 土佐神社鼓楼
高知市丸の内1-2-1 高知市丸の内1-2-1 高知市一宮しなね2-16-1 高知市一宮しなね2-16-1
竣工/寛延2年(1749/江戸中期) 竣工/享保15年(1730) 竣工/元亀2年(1571/室町後期) 竣工/慶安2年(1649)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
別名「鷹城」。山之内一豊が着工し二代・忠義の時代に完成。三層六階の天守は一豊の前任地の掛川城(静岡県)を模したといわれる。高知城は本丸が完全に残る唯一の城である。寛延2年の完成。 享保12年の大火で大手門以外はすべて焼失し、八代・豊敷が再建に着手し、完成は4年後の宝暦4年である。搦め手(裏側)の防備を固めた門。すべて板張りで黒く塗られている。享保の再建である。 本殿・幣殿・拝殿から成り、幣殿と拝殿は平面十字形。これは本殿を頭としたトンボが飛び込む形の「入蜻蛉(イリトンボ)」形式といわれ、戦の凱旋報告を意味するいわれる土佐神社独特のものである。 下階は袴腰で、出入口を設ける。上階は勾欄付廻縁は腰組で支えられ、腰組は和様の三手先組、中備は蟇股。上階は桁行三間、梁間二間で、両脇間には連子窓をはめ、両側面はいずれも板壁とする。

 

国分寺金堂 国分寺金堂 畠中家住宅 土井郭中武家住宅集落
南国市国分546 南国市国分546 安芸市土居 安芸市土居郭中
竣工/永禄元年(1558/室町後期) 竣工/永禄元年(1558/室町後期) 竣工/明治20年(1887) 竣工/
★国指定重要文化財 ★国指定民俗文化財 ★国登録文化財 ★伝統的建造物群保存地区
天平11年(739)に聖武天皇の勅願で全国に建てられた国分寺の一つである。永禄元年に長宗我部元親が再建したもの。寄棟の屋根と木割りの大きい軸組みは天平の金堂を思わすものがある。方5間、寄棟造、こけら葺、向拝正面1間。組物は和様の三斗組。   畠中時計で知られる家。土居村の大地主・畠中源馬は時計に興味を持ち自作で時計を制作した。当時は殆どの人が時計を持てず周辺の田園で農作業する人々に大いに役立ったという。時計は北側正面、東側、西側の三面にあり当時は同時稼働していたという。 地区は安芸平野の中央、安芸川の西岸で東西約410m、南北約360mの範囲である。戦国時代に築かれた安芸城を軸に、江戸時代ここに屋敷を構えた土佐藩家老・五藤家によって造られた武家町である。江戸末期~昭和初期に建てられた主屋や土蔵などが残る。

 

岩崎彌太郎生家 吉良川の町並み 吉良川の町並み 池田家住宅
安芸市井の口甲一の宮 室戸市吉良川町 室戸市吉良川町 室戸市吉良川町甲
竣工/寛政7年(1795/江戸後期) 竣工/ 竣工/ 竣工/明治期
★伝統的建造物群保存地区 ★伝統的建造物群保存地区 ★伝統的建造物群保存地区
彌太郎の曽祖父・弥次右衛門が郷士の株を売って建築したもので建坪約30坪、藁葺の小住宅。表が8畳、その脇に4畳半二間、茶の間9畳で、その左が通り庭、茶の間の床下は芋壺(芋貯蔵穴)がある。風呂、便所は別棟にある。 古来より木材や薪などの森林資源の集積地として賑わった。明治時代から近郊で産出されるウバメガシから備長炭が生産されるようになった。下町地区は切妻造の町屋が並び、奥に細長い短冊形の敷地に主屋が道に面して建つ。 家や蔵の壁面には「水切り瓦」と呼ばれる小庇が付けられ暴風雨に対するこの地域独の防御造が多く見られる。上町地区は江戸中期頃に見られる方形の農家型地割が残り「いしぐろ」と呼ばれる石垣塀で暴風雨対策をしている。 炭問屋を営んでいた池田家は、店、門と両脇塀、蔵で構成されている。主屋は店と玄関によって接続、離れは渡り廊下で繋がれている。形式は関西地方の「表屋造り」と共通しており、備長炭の回船により伝えられたと思われる。

 

  
中岡慎太郎生家 鳴無(おとなし)神社拝殿 鳴無(おとなし)神社本殿 茶堂
安芸郡北川村柏木36須崎市浦ノ内3579 須崎市浦ノ内3579 高岡郡梼原町梼原
竣工/ 竣工/ 竣工/寛文3年(1663/江戸前期) 竣工/江戸中期~後期
★県指定史跡 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★町指定文化財
北川村の大主屋の家に生まれ、倒幕運動に奔走し坂本龍馬と共に京都近江屋で暗殺された勤王の志士。昭和42年に発見された見取図を元に復元された入母屋造、茅葺の農家。 寛文3年第2代土佐藩主山内忠義によって再建された。国の重要文化財。参道が海から入るように作られており、海に向かって建つため、土佐の宮島と呼ばれることもある。 祭神は一言主命。本殿は三間社春日造、こけら葺柱は朱塗り、組物は極彩色。幣殿と拝殿は合わせて1棟とする。平入の拝殿背後に妻入の幣殿が接続し平面はT字形である。 堂の起源は厄払招福の祭りをし、申し合わせをする場と伝わる。堂内に木像、石仏を祀り、路行く人々に茶菓を振る舞う接待を地域民が交代で行う信仰と社交の場である。

 

不破八幡宮本殿 浜田の泊り屋 下組の泊り屋  
四万十市不破1392 宿毛市山奈町大字芳奈宮の下1307 宿毛市山奈町大字芳奈  
竣工/永禄2年(1559/室町後期) 竣工/明治15年(1882) 竣工/ 竣工/
★国指定重要文化財 ★国指定民俗文化財
三間社流造、朱塗り、こけら葺。蟇股などに室町後期の特徴がある。木割りは非常に大きく、建ちは低く、深い軒と緩やかな勾配の大きな屋根は非常に安定して雄大な感じを与えている。棟梁は京都の宮大工・北代右衛門である。 幕末から明治にかけて幡多地区の各部落では泊り屋を建てて若者が宿泊する風習があった。やぐらとも呼ぶ泊り屋は高床式の独立家屋で百数十カ所もあったという。この泊り屋は桁行2間、梁間2間、入母屋造、柱は栗の自然木。 百数十ヵ所も設置されていたが、これらの泊り屋も明治末期から大正にかけて平屋建の公会堂に建てかえられ、今は芳奈集落には浜田の他に3棟、「下組」(幕末頃)「靴抜」「道ノ川」の泊まり屋があるだけになっている  

 

2020.07.20

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