香川県

 

国分寺本堂 高松城月見櫓 高松城報時櫓 小比賀家午門
高松市国分寺国分2065 高松市玉藻町2-1 高松市玉藻町2-1 高松市御厩町字落合331
竣工/鎌倉後期 竣工/延宝4年(1676/江戸前期) 竣工/昭和57年(1982) 竣工/江戸中期
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
桁行5間 梁間5間入母屋造 本瓦葺。内部は南側桁行2間分を外陣、奥3間を内陣とする。内陣と外陣の境界部分に引違格子戸をはめ上部を菱欄間としている。本堂は、天正年間の長宗我部氏の侵攻による兵火を免れた建物としても貴重である。 総塗籠造、三重三階建、入母屋造 本瓦葺。北の丸の最北端にある瀬戸内海を監視用の隅櫓。「到着を見る=着見櫓」が本来の名称。藩主が江戸から帰港するのをこの櫓から見たことから命名された。南面に「続櫓」と呼ばれる小櫓が付属している。 承応二年から時を知らせた。昭和3年まで使われ、市庁舎のサイレンに替わった。櫓は近年建てられたもの。外堀の土手に有ったが、錦町に移り、明治33年四番丁小学校の校庭に再建された。昭和8年に玉藻公園に移された。昭和57年に再建。 屋敷の正門。寄棟造、茅葺屋根。桁行35.4m、梁間5.9m。東南及び北面庇部分は本瓦葺。屋敷の南方(午)にあることから命名された。かつて内部は牛馬小屋や納屋として使われた。小比賀家は主屋を始めとする全施設が国重文。通常は非公開。

 

屋島寺本堂 屋島寺本堂 栗林公園 栗林公園・掬月亭
高松市屋島東町1808 高松市屋島東町1808 高松市栗林町1-20-16 高松市栗林町1-20-16
竣工/元和4年(1618/江戸前期) 竣工/元和4年(1618/江戸前期) 竣工/ 竣工/江戸前期
★国指定重要文化財 ★国指定民俗文化財 ★国指定特別名勝 ★国指定特別名勝
元和4年に竜厳によって再建され、建物は桃山時代のものといわれていた。昭和32年の解体修理で、各所に鎌倉時代の特徴の古材、建築手法が見られ、鎌倉様式の黒漆と丹塗に復元復興し、当時の様式の寺院をみることができる。 屋根は本瓦葺の入母屋造りで、二重繁垂木、斗栱は和様三ツ斗、組物は中備に蓑束が立ち、支輪構え。正面中央の3間は両折両開き桟唐戸、側面の上は明かり取りと通風のための連子窓。腰貫の下は板壁など鎌倉時代の様式である。 栗林公園は元亀天正の頃、当地の豪族佐藤氏によって、築庭されたのに始まり、領主・生駒高俊公が南湖一帯が造園され、現在の公園の原型が形作られた。松平頼重公に引き継がれた。明治8年に県立公園として一般に公開された。 「大茶屋」と呼ばれた建物。観月等を愉しむ建物で茶室も供えた書院造、数奇屋造が混合している。江戸初期に建てられた建物で、優れたた建築技術で作られた。四方正面と云われ、何処から見ても素晴らしい景観をつく手いる。

 

栗林公園・日暮亭 引田(ひけた)の町並み 引田(ひけた)の町並み 明王寺釈迦堂
高松市栗林町1-20-16 東かがわ市引田 東かがわ市引田 小豆郡小豆島町池田4305
竣工/文江戸初期 竣工/ 竣工/ 竣工/天文2年(1533/室町後期)
★国指定特別名勝 ★国登録文化財 ★国指定重要文化財
茶武者小路千家の官休庵の茶室の姿を保つとされる貴重な茶室で内部に土間を持つ珍しいもの。三畳の畳と三畳の土間があり、大名茶席らしい大きな開口部である貴人口が西面にある。外回りに茶庭には珍しい藤棚がある。 引田は瀬戸内海に面し「風待ち港」としえ栄えた。室町~江戸期には日用品など物資の集散地として重要な役割を果たした。名産である醤油の醸造も文化、文政期に活発化し、これらを扱う豪商や廻船問屋などが隆盛した。 町並みは誉田神社から本町通りにかかて城下町の佇まいを残すが、古い建物が連続するという風景はない。弁柄色の醤油屋・岡田屋(かめびし★国登録)が印象に残る。讃州井筒屋敷は、町並み散策の町並み散策の観光拠点。 元は高宝寺といい、池田郷内11カ寺の諸法事を行う会座堂になっていた。大永2年に地頭・須佐美氏の子孫である源元安入道盛椿によって11年かかって完成したことが、残っている「文字瓦」によって判る。正面3間、奥行4間。

 

  
細川家住宅 観音寺金堂  神谷神社 中津万象園・観潮楼
さぬき市多和額東46観音寺市八幡町1-2-7 坂出市神谷町621 丸亀市中津町25-1
竣工/江戸中期 竣工/延宝5(1677/江戸前期) 竣工/建保7年(1219/鎌倉初期) 竣工/江戸後期
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国宝 ★市指定名勝
県境に近い山麓にある。母屋が三間取で構成された農家。桁行12.8m、梁間6.1m、寄棟造、茅葺屋根。主材は柱に栗材、軸部には松材が使われている。茅葺は下屋庇を使わずに軒先まで葺き下ろしたツクダレ形式。外壁は土壁。 桁行3間 梁間4間 寄棟造 本瓦葺 向拝1間。69番札所。観音寺の本堂(金堂)は、室町時代に建てられた部材をそのまま再利用して、江戸時代の延宝5年に再建された歴史をもつお堂であり、国の重要文化財に指定されている。 三間社流造で神社建築としては建立年代の明らかな最古の社殿。昭和2年の火事で拝殿が燃え、拝殿は全焼したが住民が拝殿を本殿とは反対側に引き倒したため本殿は難を逃れたという。現拝殿(写真)は昭和3~5年の再建。 丸亀二代藩主・京極高豊により中津別邸として造られた回遊式庭園。江戸後期に建てられ、現存する日本最古の煎茶室といわれるのが観潮楼。閉鎖的な空間の抹茶席とは対照的に、外の景色が楽しめる開放的な作りとなっている。

 

丸亀城天守閣 丸亀城大手一の門 金刀比羅宮旭社 金刀比羅宮鞘橋
丸亀市一番町 丸亀市一番町 仲多度郡琴平町字川西892-1 仲多度郡琴平町字川西892-1
竣工/江戸前期 竣工/寛文10年(1670) 竣工/天保8年(1837) 竣工/明治2年(1869)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国登録文化財
丸亀城の頂部に江戸時代に建てられた御三階櫓が現存する。高さは15mで現存天守の中で最小規模である。丸亀城は生駒氏が慶長年間築城したが、一時廃城となり、山崎氏が寛永末年復興した。 大手一の門及び二の門は寛文10年の再建になり、一の門は櫓門、二の門は髙麗門でこれに両脇塀が附属している。櫓門と高麗門共に現存するのは稀である。大手口の堂々たる偉容を示している。 旧神宮寺の金堂として建立された。下重が方五間の大規模な二重仏堂で、明治に仏壇を廃して神座に改めている。上重の彫刻化した尾垂木や板軒の彫刻等は、江戸時代末期の特徴を示している。 金蔵川に架かる橋で銅葺、両妻唐破風、上屋根千鳥時破風の屋根付き橋。元禄の屏風「金毘羅祭礼図」や十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にも登場する。初代は寛永1年(1624)に架橋された。

 

金毘羅大芝居「金丸座」 金毘羅大芝居「金丸座」 琴平町公会堂 敷島館
仲多度津郡琴平町川西乙1241 仲多度津郡琴平町川西乙1241 仲多度郡琴平町川西甲975-1 仲多度津郡琴平町川西乙1241
竣工/天保6年(1835/江戸後期) 竣工/天保7(1835/江戸後期) 竣工/昭和9年(1934) 竣工/明治後期
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国登録文化財 ★国登録文化財
廻り舞台は直径2間。正面一階部分の屋根上に櫓があり、公演時には寄せ太鼓が打たれていた。昭和60年の春から「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が開催されている。 江戸時代中頃から金毘羅信仰が全国的に高まり、門前町の形態が整うにつれて、常小屋が必要となり、設置は多数の参詣客からも求められて、常小屋として建てられた。 金刀比羅宮の参道沿いに建つ和風を基調とした大型の公会堂で,ホール内部は近年の改修で一新され,入母屋造の大屋根や玄関棟などの小屋根が取り付く優雅な外観。 木造3階建、入母屋造。正面は1階中央に唐破風造の玄関、2階左右に入母屋造の突出部、3階屋根に千鳥破風など華やかである。3階には床の間付の大広間がある。

 

常徳寺円通殿 覚城院鐘楼堂 本山寺本堂 本山寺鎮守堂
三豊市仁尾町仁尾丁930 三豊市仁尾町仁尾 三豊市豊中町本山甲145 三豊市豊中町本山甲145
竣工/応永8年(1401/室町中期) 竣工/桃山時代 竣工/正安2年(1300/鎌倉後期) 竣工/天文16(1547/室町末期)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国宝 ★県指定文化財
入母屋造、本瓦葺。四国では数少ない禅様式仏堂である。南北朝時代末期の明徳2年(1391)ころの創建といわれている常徳寺。応永8年(1401)には、本尊が安置されている円通殿が建立さた。 禅宗様式の鐘楼。明治の神仏分離令により加茂大明神より移築された。斗拱は平三戸の簡素な造り。応永年間に増吽僧正によって再建。仁尾城跡の現在地に移転し、その後、覚城院と改めた。 方5間、寄棟造、本瓦葺、向拝1間。棟梁・末清及び国重。この二人は奈良の工匠で、現存する霊山寺本堂や、同じく西の京の薬師寺東院堂も、彼らによって建てられたものである。いずれも国宝。 檜皮葦屋根。江戸時代、正徳年間に修復された。さらに、昭和60年(1985)修復。五所権現として善女龍王像を祀る。宗派は高野山真言宗の寺院で、山号は、七宝山、院号は持宝院である。

 

2020.07.08

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