佐賀県

 

与賀神社楼門 佐賀城鯱の門 旧古賀家住宅 旧古賀家住宅
佐賀市与賀町2-51 佐賀市城内2-18-1 佐賀市柳町3-15 佐賀市柳町3-15
竣工/室町後期 竣工/天保9年(1833/江戸後期) 竣工/明治17年(1884) 竣工/明治17年(1884)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★市指定文化財 ★市指定文化財
正面3間、側面2間、自然石の礎石に円柱を建て中央通りの床を石敷とし両開框板戸を設けている。正面の両端間には組格子窓。初層の斗栱は四周廻縁の腰組となって縁廻を受けている。 門は二層櫓門に一重二階の続櫓が門の北西部石垣に続いている。入母屋造、本瓦葺で棟の両端に青銅製の鯱が置かれている。墨書により、本丸再建に伴う建築物であることが判明した。 (佐賀市歴史民俗館)古賀銀行の創設者・古賀善平の邸宅。入母屋造で武家屋敷の様式を踏襲している住宅建築で、50畳の大広間は圧巻。昭和29年からは料亭に転用された歴史もある。 (佐賀市歴史民俗館)

 

旧三省銀行 旧牛島家住宅 吉村家住宅 山口家住宅
佐賀市柳町3-12 佐賀市柳町4-9 佐賀市富士町大字上無呂2856 佐賀市川副町大字大詫間930
竣工/明治15年(1882) 竣工/江戸後期 竣工/天明9年(1789/江戸後期) 竣工/江戸後期
★市指定文化財 ★市指定文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
(佐賀市歴史民俗館)開所当時は米相場取引を生業としたという。1階正面に丸みのある繰型窓を設け鉄格子を付けて銀行らしい防犯の構えを見せるなど伝統的町屋建築とは異なる顔が随所に見られる。 (佐賀市歴史民俗館)佐賀城下最古の町屋建築。19世紀半ばの資料には足軽・高楊伊助が住み問屋業を営んでいたと記されている。平成5年に一旦解体されたが平成7年に旧部材を活かして復元した。 改築中に墨書が発見され、県内に現存する最古の民家とされる。県北部に見られる直家でかまどや囲炉裏がある側には煙出しを持つ独特の形である。東側に土間、西側に5室。大工は藤原村右衛門。 佐賀県東南部と福岡県西南部に多く見られた建築洋式「ジョウゴ造り」の住宅。ジョウゴ造りは屋根をジョウゴ状にする事で雨水が中央に集まり土間うえの大樋を伝って屋外に排出する仕組みである。

 

野中鳥犀圓本店 神野茶屋(旧鍋島藩主別邸) 隔林亭(旧鍋島直正茶室) 大隈重信生家
佐賀市材木町1-82 佐賀市神野4-1・神野公園 佐賀市神野4-1・神野公園 佐賀市水ノ江2-11-11
竣工/寛政8年(1796/江戸後期) 竣工/弘化3年(1846/江戸後期) 竣工/弘化3年(1846/江戸後期) 竣工/江戸後期
★国登録文化財 ★市指定文化財 ★国指定史跡
生薬「鳥犀圓」の製造販売を家業する。初代・源兵衛が寛永3年に創業した。寛政8年に「鳥犀圓」の製造販売を藩から許され、その際に建てられたのが現存する町屋とされる。「冷善楼」という座敷では役人が薬の検査を行ったという。切妻造、本瓦葺。 木造平屋、藁葺1棟と木造平屋、藁葺1棟の2棟から成り、棟を瓦葺の廊下で繋ぐ。主屋は4間半×2間半の畳の間で床の間付、北側に4間×1間の副室が付く。四方廻屋根は4棟を方形に結合した形で方形に畳の間が廻り中央は庭園となる特殊な構造である。 鍋島直正の近侍の古川松根は江戸と京都で公家の贅を知る人で、その松根の指揮で建てられたものという。鹿児島藩の大久保利通など、幕末の多くの政治家が来訪するなど佐賀藩の迎賓館としての役割があった。1960年に解体されたが平成5年復元される。 天保以前竣工の武家屋敷風の平屋建、茅葺に一部二階の瓦葺の住宅建築。二階は重信の勉強部屋として母親が増築したものである。佐賀藩の上士の家に生まれ、明治維新後、政府に参加し、最高首脳の一人、早稲田大学の創設者であり、初代総長を勤めた。

 

  
土井家住宅 旧犬塚家住宅・陶器商家資料館 有田内山の町並み  西岡家住宅
杵島郡大町町大字大町1050伊万里市伊万里町甲555-1 西松浦郡有田町内山地区 嬉野市塩田町大字馬場下甲720 
竣工/江戸後期 竣工/文政8年(1825/江戸後期) 竣工/ 竣工/江戸末期
★国指定重要文化財 ★市指定文化財 ★伝統的建造物群保存地区 ★国指定重要文化財
明治時代に所有者が変わって、農家として手を加えられたため間口が広く、街道筋の町屋でありながら広い土間を持つ。平瓦と丸瓦を交互に葺く「本瓦葺」の手法が残るなど地方民家の資料性が高い。 犬塚家は伊万里屈指の陶器商で、大阪や江戸へ陶磁器を出荷していた。この通りは当時の主要交通路であり、多くの陶器商の家が軒を連ねていた。間口3間、奥行8間、白壁土蔵造、切妻本瓦葺。 有田焼の発展に伴い「有田千軒」といわれるほど栄えたが、文政11年の大火で町はほぼ全焼した。その後建てられた漆喰塗の町屋や洋館など江戸末期~昭和の各時代の建物が混在する町並みである。  船運で栄えた塩田津で代々石材業を営んだ豪商。豪商であったため通りに面した部分は全体を開放できる造りで土間と店の前面は全体が開放できるように出入口は「釣り大戸」としている。大壁造。

 

鹿島高等学校赤門 肥前浜宿酒蔵通り    
鹿島市大字高津原462 鹿島市浜町乙    
竣工/江戸期 竣工/ 竣工/ 竣工/
★県指定文化財 ★伝統的建造物群保存地区
鹿島藩二万石の居城であった鹿島城本丸御殿の正門。丹塗であることから赤門と呼ばれ、続塀があり、石垣の上に、漆喰塗り、桟瓦葺の屋根。現在は鹿島高校校門である。 旧長崎街道の宿場の一つ。草葺屋根や白壁土蔵造の酒蔵や町屋が並ぶ。江戸時代から昭和にかけて酒や醤油の醸造で発展し、通称「酒蔵通り」と呼ばれる。写真は1995撮影。    

 

2020.08.05  -12 修正

古建築図鑑 トップ

古建築研究会 トップ

列島古建築紀行