福岡県

 

聖福寺山門 崇福寺山門 福岡城南丸多聞櫓 福岡城祈念櫓
福岡市中央区御供所町6-1 福岡市中央区千代4-7-79 福岡市中央区城内1-6 福岡市中央区城内1-6
竣工/明治44年(1911) 竣工/江戸中期 竣工/嘉永6年(1843/江戸後期) 竣工/万延元年(1860)
★県指定文化財 ★国指定重要文化財 ★県指定文化財
建久6年(1195/鎌倉初期)に明庵栄西禅師が開いたわが国初の禅宗の寺院である。上層中央部には冨田渓仙作の天井画がある。慶応2年(1866)に焼失し、明治44年に再建された。 福岡藩主・黒田家の菩提寺である。境内には黒田孝高や長政らの墓所がある。福岡城の本丸表御門であったものを大正7年に陸軍より払い下げを受け移築した。切妻造、本瓦葺の楼門。 南西角にある二重二階切妻造の角櫓と桁行30間の西平櫓から成る。一般に多聞櫓は防御のための長塀だが、ここでは倉庫などに使用される。この多聞櫓は16の部屋として独立している。 この祈念櫓は、本丸の東北隅に鬼門封じの祈念をするために建立されたもので、棟札によると万延元年3月に起工し、同年10月に竣工したものである。現在、石垣修理のため解体保存中。

 

筥崎宮楼門 香椎宮本殿 旧伊佐家住宅 宗像大社本殿・拝殿(辺津宮)
福岡市東区筥崎1-22-1 福岡市東区香椎4-16-1 福岡市早良区高取1-1-20 宗像市棟方志田島2231
竣工/文禄3年(1594) 竣工/享和元年(1801/江戸後期) 竣工/江戸末期 竣工/天正6年(1578)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国登録文化財 ★国指定重要文化財
楼門は三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺。扉の太閤桐の文様彫刻は左甚五郎作と伝わる。本殿・拝殿は天文15年に大宰大弐大内義隆が建立した。本殿は九間社流造である。 桁行3間、梁間3間、入母屋造,檜皮葺で正面に千鳥破風を付す。左右側面に各一間の車寄を付し正面と左右側面に各々向拝一間を設ける、幣殿から左右に透塀が本殿を囲む。 伝統的商家建築。店舗部分は江戸末期、座敷部分は明治23年増築、土蔵は明治36年竣工。サザエさんの磯野家の隣に登場する伊坂先生はこの伊佐家の所縁とのことという。 本殿は大宮司・宗像氏貞の再建。五間社流造、こけら葺。拝殿は筑前領主。小早川隆景の政権。切妻造、こけら葺。辺津宮は本土に、中津宮は大島、沖津宮は沖ノ島にある。

 

大宰府天満宮本殿 大宰府天満宮末社志賀社 観世音寺講堂 観世音寺金堂
太宰府市大字大宰府1114 太宰府市大字大宰府1114 太宰府市観世音寺五丁目6-1 太宰府市観世音寺五丁目6-1
竣工/文禄4年(1595/桃山) 竣工/長禄2年(1458/室町中期) 竣工/元禄元年(1688) 竣工/寛永8年(1631)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★県指定文化財 ★県指定文化財
本殿は五間社流造、檜皮葺、正面に一間の唐破風造の向拝を設ける。左右側面には唐破風造の車寄せを付け、廻廊が前方の楼門まで廻らされている。楼門は大正3年再建。 一間社入母屋造、檜皮葺、正面千鳥破風・唐破風付向拝一間。和、禅宗、大仏の折衷様式。池の中にあり、火災に遭わず、境内の中で最古の建造物である。海の神を祀る。 「本堂」ともいう。境内正面奥の一段高くなった位置に南面して建つ、入母屋造瓦葺き二重屋根の仏堂。観世音寺は、天智天皇が母斉明天皇の追善のために発願したという。 入母屋造瓦葺きの簡素な建物で、境内の西側、創建時の金堂の跡に東面して建つ。発掘調査によると、境内は回廊で囲まれた内側の東に塔、西には金堂が東面して建つ。

 

  
延寿王院・西高辻家住宅 普門院本堂 石田家住宅 中島家住宅
太宰府市大宰府朝倉市杷木志波5376 朝倉市秋月519 田川郡添田町大字添田1860 
竣工/天保5年(1834/江戸後期) 竣工/鎌倉末期 竣工/宝暦12年(1762/江戸中期) 竣工/江戸後期
★国指定重要文化財 ★県指定文化財 ★国指定重要文化財
大宰府天満宮が安楽寺天満宮と呼ばれていた時の宿坊で、現在は天満宮宮司・西高辻家住宅である。幕末の文久3年の政変で京都の公卿5人が3年間、都落ちし滞在した。 方三間、宝形造、本瓦葺、四周に縁を廻らす。昭和の解体修理で元は桁行5間、梁間4間でったことが判明している。和様を基本にして、天竺様、唐様が僅かに加わる仏堂。 秋月藩の御用商人だった甘木屋遠藤家の持家で、出店または貸家として使用された。西棟は宝暦12年の大火直後の再建、東棟は寛政11年竣工、その後幕末に改修を受けた。 「わたや」の屋号で酒、醤油製造販売をした商家。母屋、酒蔵、醤油蔵が現存する。主屋は天保13年竣工、土蔵造、桁行19m、梁間12m。醤油蔵も同年。酒蔵は江戸末期。

 

森鴎外旧居 森鴎外旧居 豊前国分寺三重塔 永沼家住宅
北九州市小倉北区鍛冶町1-7-2 北九州市小倉北区鍛冶町1-7-2 京都郡みやこ町豊津町大字国分280 京都郡みやこ町犀川町帆柱721
竣工/明治30年(1897) 竣工/明治30年(1897) 竣工/明治28年(1895) 竣工/天保10年(1839/江戸後期)
★県指定史跡 ★県指定史跡 ★県指定文化財 ★国指定重要文化財
鴎外が陸軍軍医部長として小倉に勤務した時の小住宅。主に8畳の座敷と南側に続く4畳半の小座敷を使っていたという。作品「鶏」はこの家を舞台にしたものである。   全体の規模に対して一層目が大きいため、どっしりとした安定感を持つ。心柱は全長23m、60cm角の一本物の杉材、塔高23.5m。三重塔は九州では三カ所だけである。 江戸時代を通じて庄屋を務めた家柄。建設について「家建諸控帳」という古文書が残されている。豊前地方を代表する住宅建築で、桁行20m、梁間11m、入母造、茅葺。

 

旧伊藤伝右衛門邸 旧伊藤伝右衛門邸 旧伊藤伝右衛門邸 高良神社本殿
飯塚市幸袋300 飯塚市幸袋300 飯塚市幸袋300 久留米市御井町1
竣工/明治30年(1897) 竣工/明治30年(1897) 竣工/明治30年(1897) 竣工/万治3年(1660/江戸前期)
★市指定文化財 ★市指定文化財 ★市指定文化財 ★国指定重要文化財
邸宅は南宗と北棟があり両方を繋ぐ角之間・中之間棟、玄関・食堂棟、繋棟の5棟と土蔵から成る。回遊式庭園を持つ近代和風住宅で洋室も備える。柳原白蓮と伝右衛門が約10年を暮らした家でもある。     古来から筑後の一の宮の名で知られる九州有数の名社である。社殿は久留米藩主有馬頼利の造営したもので、本格的な権現造の複合社殿の形式をもつ。江戸前期の建立年代の判る神社建築として代表的。

 

平川家住宅 吉井の町並み 北原白秋生家 横大路家住宅
うきは市浮羽町大字田籠 うきは市吉井町 柳川市沖場町石場55-1 糟屋郡親宮町上府字岩井
竣工/江戸後期 竣工/ 竣工/安政3年(1856/江戸末期) 竣工/江戸中期
★国指定重要文化財 ★伝統的建造物群保存地区 ★県指定文化財 ★国指定重要文化財
筑後川流域に分布する「くど造り」の茅葺民家。平川家はその中でも規模が大きく、主屋と並んで納屋も現存し、正面に妻が三つ並ぶ姿は見事である。正面17.9m、側面10m、コの字型寄棟造、茅葺。 久留米藩領として豊後街道の宿場町だった。浮羽郡役所が置かれ大地主、大商人も店を構えるなどして物資の集散地として栄えた。それらの遺構が現存する70余棟の白壁土蔵造の旧家の家並である。 代々、屋号を「油屋」とか「古物屋」と称する海産物問屋だったが、白秋の父の代に酒造業をい営むようになった。なまこ壁の腰壁が印象的な商家。裏庭に隣接して柳川市の北原白秋記念館がある。 別称「千年家」と呼ばれる。部材の仕上げなどから、創建は17世紀半ば頃までさかのぼり九州最古の民家。曲が屋、寄棟造、茅葺、四面庇付。桁行16m、梁間8m、東突出部桁行10.7m、梁間9.1m。

 

御花和館(立花邸) 御花和館(立花邸)    
柳川市新外町 柳川市新外町    
竣工/明治42年(1909) 竣工/明治42年(1909) 竣工/ 竣工/
旧柳川藩主・立花伯爵邸で大広間、五居間、家政局から成る。大広間は明治初期の作庭で御花畠時代の様子を今に伝える松濤園という、広大な庭園に臨んでいる。 接客に使われた18畳+18畳+12畳の大広間は、圧巻で中の間の畳や敷居を外すと能舞台になるという。材料は全て檜で、床の間には京唐紙を使用している。    

 

2020.06.21

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