宮城県

陸奥国分寺薬師堂 大崎八幡宮 高蔵寺阿弥陀堂 茂庭家御霊屋
仙台市若林区木ノ下3-8-1 仙台市青葉区八幡4-6-1 角田市高倉字寺前49 大崎市松山千国字大欅91
竣工/慶長12年(1607) 竣工/慶長12年(1607) 竣工/治承元年(1177/平安後期) 竣工/宝永5年(1708/江戸中期)
★国指定重要文化財 ★国宝、重要文化財 ★国指定重要文化財 ★宮城県指定文化財
奈良時代に全国に建立された国分寺の内、最北のものとして創建された真言宗の寺院。室町時代には衰退したが慶長12年委伊達政宗の命により講堂跡に薬師堂が再建された。仙台市最古の本瓦葺木造建築の一つ。同時期の建立である茅葺きの仁王門は県指定文化財。



創建年代は不明。現存する国宝の本殿、石の間、拝殿は伊達政宗の寄進で、拝殿と本殿を石の間で繋いで1棟としている。






真言宗智山派の寺院。阿弥陀堂は宮城県最古の木造建築で、平安時代の建造物は全国でも26カ所しか現存せず、東北では中尊寺の金色堂、福島県いわき市の白水阿弥陀堂だけである。太い円柱に支えられた簡素で力強い好ましい御堂で飛騨の匠のてによるものである。宇治平等院鳳凰堂と共に日本最古の七阿弥陀堂の一つでもある。堂内に安置されている阿弥陀如来坐像も国重文で光背を合わせると5m18cm(丈六仏)の巨像。高蔵寺阿弥陀堂は方三間堂、宝形造、茅葺屋根、 陸奥仙台藩二代藩主・伊達忠宗の五男で登米伊達氏第四代当主・伊達宗輪(だて むねとも)の霊屋。宗倫の兄・伊達宗光の霊廟である円通院三慧殿(松島/国重文)と共に仙台藩霊屋建築の秀作と言われる。写真は訪ねた折に丁度居合わせた管理の方のご厚意で開扉され拝観、撮影したもである。廟は方三間、宝形造、木羽葺。内部には装飾された須弥壇があり、その上に方三尺、入母屋造、こけら葺の桃山様式の家形厨子が置かれている。

 

覚乗寺高台院霊屋 五大堂 金成歴史民俗資料館 佐藤家住宅
登米市登米町寺池上町35 宮城郡松島町松島 栗原市字中町7 角田市高倉字寺前50<
竣工/寛文12年(1672/江戸前期) 竣工/慶長9年(1604/江戸初期) 竣工/明治20年(1887) 竣工/江戸中
★県指定文化財 ★国指定重要文化財 ★県指定文化財 ★国指定重要文化財
陸奥仙台藩二代藩主・伊達忠宗の五男で登米伊達氏第四代当主・伊達宗輪(だて むねとも)の霊屋。宗倫の兄・伊達宗光の霊廟である円通院三慧殿(松島/国重文)と共に仙台藩霊屋建築の秀作と言われる。写真は訪ねた折に丁度居合わせた管理の方のご厚意で開扉され拝観、撮影したもである。廟は方三間、宝形造、木羽葺。内部には装飾された須弥壇があり、その上に方三尺、入母屋造、こけら葺の桃山様式の家形厨子が置かれている。 瑞巌寺の多くの建物は国指定文化財だが、その中でこの建物だけが境内から離れた小島にたち、街道側口中に車窓からも見える。軒周りの蟇股に方位に従って十二支の彫刻がある。内部厨子内に五大明王を安置する。五大堂で東北地方最古の桃山建築。方三間、宝形造、本瓦葺。





(旧金成(かんなり)尋常小学校)県内に残る唯一の中廊下式小学校建築で、明治以降に全国に広く建てられた学校建築である。唐破風の玄関、虹梁で飾られた軒は江戸時代の「金成本陣・菅原家」の部材が転用されている。小屋組は洋風キングポスト。主要部は寄棟造で階段室は切妻造である。設計/後藤幸之永。




高蔵寺の隣接地のある。鳥居建という古式の構造で木の曲がりを巧みに活かした柱や梁で造られている。広間型三間取の単純な間取りで、全体の約4割が土間で、そこには6本の柱がたっている。これは江戸中期の農家の形式である。木造平屋の直屋、寄棟造、茅葺屋根。





 

松本家住宅 旧中沢家住宅 洞口家住宅 我妻家住宅
加美郡加美町字南小路11 名取市倉田字山216-3 名取市大曲字中小路 刈田郡蔵王町曲竹字薬師前4
竣工/江戸後期 竣工/18世紀後半 竣工/宝暦年間(江戸中期) 竣工/宝暦3年(1753/江戸中期)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
仙台伊達藩家老・松本家の侍屋敷。宮城県中央部から県北にかけて分布する主屋と土間を分けた分棟型民家で、分棟型の北限であり侍住宅の古い遺構である。分棟型、寄棟造茅葺屋根、広間型三間取。





田の字型四間取。土間には「うしもち柱=重要な梁を支える」「ほいと柱=玄関近くで物乞いをされたことから」「よめかくし柱=炊事場近くで主婦が見え隠れに働くことから」と呼ばれる三本の独立柱がたつ。間取りやこの独立柱のある形式は「名取型」と呼ばれるこの地方の農家建築の特徴である。桁行9間、梁間5間、寄棟造茅葺屋根、床面積約41坪(136㎡)。 中沢家と同じ「名取型」の農家建築。旧仙台領内最大規模に属する。土間は広く多角形の上屋柱が独立してたち、土間境の化粧柱は他に例を見ない。長屋門は明治21年(1888)の竣工で、寄棟造、茅葺桁行12間、梁間6間で茅葺屋根。馬屋も同時期のものである。


鎌倉時代から続く旧家。桁行26mの壮大な農家建築。寄棟造萱葺屋根。文化蔵、板倉なども残る。東日本大震災で被災した。個人宅のため公開時以外は敷地内立ち入り禁止。寄棟造萱葺屋根





 

海老喜旧店舗 旧氏家丈吉邸
(現・角田市郷土資料館)
村田町村田地区
登米市登米町寺池三日町22 角田市角田字町17 柴田郡村田町大字村田字町の一部
竣工/大正後期 竣工/明治~大正   村田地区
★国登録文化財 ★市指定文化財 ★重要伝統的建造物群保存地区 ★重要伝統的建造物群保存地区
登米の旧城下町の中にあり、大きな商家で、登米周辺で産出した天然スレートで葺いた屋根や二階のなまこ壁はモダン和風ともいえる建築で、街の角地にありランドマークになっている。一階は店で二階は客座敷にとして作られている。他に味噌醤油蔵なども国指定登録文化財指定されている。 初代・氏家丈吉は蚕の種子や繭の販売で財を成したといわれる。敷地は3100㎡で7棟の建物が現存する。大正期は18棟あったという。表門は明治15年(1882)に角田城の門を移築したといわれ、店蔵は明治初年(1867)の竣工で内部は総漆塗り。なまこ壁が際立つ重厚な商舗建築である。 伊達政宗の七男・伊達正高が支配した城下町。嘉吉年間(1441~)に会津から村田業朝(なりとも)が一族を率いて移り住んだのが地名の起り。後に紅花や藍の商取引を行って栄えた。酒田や山形と交通の便がよく中継商いの商都である。往時の繁栄を物語る豪華な店蔵が多く残っている。 明治以降も江戸時代以来の商品取引のほか、新商品を扱いで発展したが交通網の変化で衰退してきた。一斉に建てられたものではなく各時代の店蔵があるのも村田の特徴である。旧大沼家住宅(村田商人やましょう記念館/国重文)」は町有数の豪商である。母屋の竣工は大正5年(1916)。

 

千石 戸沢(とざわ)  
大崎市松山千石 大崎市松山千石 宮城県白石市小原
     
     
仙台伊達藩の重臣・茂庭家一万三千石の城下町。狭い範囲だが城下町らしい雰囲気が残る。屋根に龍がのる面白い建物もある。歌手・フランク永井の故郷でもある。

 

 

 

 

 

 

  上戸沢、下戸沢は七ヶ宿街道の宿場町として栄えた集落で、仙台領境の為、番所や検断屋敷が設けらていた。七ヶ宿街道は、福島県の桑折(こおり)と山形県の上山(かみのやま)を結ぶ谷中の道である。街道の小坂峠と金山峠の間には、上戸沢、下戸沢、渡瀬、関、滑津、峠田、湯原の七つの宿場が置かれたのでこの名があり「日本の道100選」にも選定されている。上戸沢宿、福島県との県境の上戸沢宿には検断が置かれた。この検断屋敷は旧木村家の居宅で、現在は白石小原の材木岩公園内へ移築復元されている。現在、上戸沢には赤い鉄板を茅葺風に鉄板を被せた古民家が4軒があるが、昔を偲ぶ景観はなく「上戸沢宿」と書かれた看板だけが、寂しく往時を示すのみである。 下戸沢宿には現在、三棟の萱葺屋根の民家が坂道の街道に沿って残っている。下戸沢は戸沢本町ともいい、本陣は江戸中期以降検断・高橋又六の家が問屋も兼ねて充てられた。旅籠も幕末頃には八戸あったようだが、いずれも村足軽などが内職t的に行っていたと思われる。ここは七ヶ所街道の宿場の中では、最も宿場らしい雰囲気を残す所だろうが、土産物屋などは見当たらない。萱葺の二棟は旅籠を営んでいたと思われる。鉄板を被せた古民家も数軒残るが、建物の傷みも進んで見える。早急な手当てを感じるが、東北全体が大災害からの復旧優先の今は無理だろう。集落内を走る県道46号線はここから峠を越えて福島県の国見町に至る。

 

 

 

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