青森県

弘前市は別ページ

旧坪田家住宅 旧坪田家住宅・室内 旧平山家住宅・主屋 旧平山家住宅・主屋
青森市浪岡字岡田43 青森市浪岡字岡田43 五所川原市湊字千鳥144 五所川原市湊字千鳥144
竣工/江戸末期 竣工/江戸末期 竣工/明和6年(1769/江戸中期)  
★青森県重宝 ★青森県重宝 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
 坪田家は元は近江商人で室町末期から津軽に住んだ。江戸末期には浪岡地域を代表する豪農になった。家は木造平屋建(一部二階)、寄棟造、茅葺屋根。屋根上部に煙出しを持ち、正面二階の部屋には明り取り用に屋根の一部を欠いている。

内部は広い土間や「じょい」「なかのま」「まえのま」など整形四間取りの部屋を持ち中二階をあげる珍しいか形である。移築。敷地は中世の館跡地



平山家は肝入役、代官所の手代、堤奉行なども務めた豪農。主屋は桁行17間、梁間6間、寄棟造、茅葺屋根。東側は馬房7室、農業用部屋、家族の住居。西側が接客部で式台玄関、表座敷、奥座敷がある。津軽地方の上層農家の規模や様式を良く伝える遺構である。

 

旧平山家住宅・離れ 高橋家住宅 中村亀吉酒造店 鳴海醸造店
五所川原市湊字千鳥144 黒石市仲町38-1 黒石市中町12 黒石市中町1-1
大正4年〜8年(1915-1919) 竣工/宝暦13年(1763/江戸中期) 竣工/大正2年(1913) 江戸後期・1700年代後半
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財   ★黒石市指定文化財
離れ座敷は大正4年〜8年(1915-1919)にかけて造られたもので重文指定ではないが、近代の邸宅建築を伝えるものとして一見の価値がある。表門は天保元年(1830)の竣工である。


黒石藩御用達の豪商で屋号は「米屋」で米、味噌、醤油、塩などの製造販売をした。建物は木造平屋、切妻造。こみせ通りの中核を成す店舗併用住宅である。


 高橋家の近くにある。竣工年は明記が無いが創業当時のものと思われる。木造2階建、切妻造。軒に下がる大きな酒林は400貫(15000kg)もあり日本一という。



こみせ通りの端にある。創業は文化3年(1806)で黒石市の中でも最も古い歴を持つ蔵である。主屋の竣工年は不明だが1700年代後半と思われる。正面には個店が設けられ、取り上げ式の大戸が現存している。築200年以上でありながら大きな改修もない貴重な建築である。

 

旧津島家住宅(斜陽館) 旧津島家住宅(斜陽館) こみせ通り こみせ通り
五所川原市金木町 五所川原市金木町 黒石市中町・前町など 黒石市中町・前町など
明治40年(1907) 設計/堀江佐吉 施工/斉藤伊三郎    
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 重要伝統的建造物群保存地区 重要伝統的建造物群保存地区
この家を設計したのは棟梁・堀江佐吉である。佐吉は北の津軽に多く明治擬洋風建築を残した棟梁で「青森銀行記念館=旧第五十九銀行本店・国重文」弘前市「弘前厚生学院記念館」、 弘前市「弘前キリスト教会」などの作品が現存する。富豪たらんとして、津島源右衛門は明治39年から大邸宅の建設に取り掛かり、1年半かかって 金木銀行の本店を兼ねた建坪150坪二階建の家が完成した。建物は高さ4m余りの赤煉瓦塀が廻っている。外観は入母屋造り、瓦葺、妻入りである。 内部は和洋折衷で、基本的には1階が店(銀行・帳場)と家族の居室。2階は接客用の空間だったようだ。玄関を入ると三間幅の通土間が裏に抜けている。仏間の隣室の襖を開けると洋風階段があり、二階には二間続きの天井の高い洋間と次の間付の金襖の座敷がある。太宰治は、昭和21年に発表した「苦悩の年鑑」の中で「この父はひどく大きい家を建てたものだ。風情も何もないただ大きいのである」と書いている。確かに上品な家とはいい難いから、太宰の見識は確かといえる。
黒石市街の形成は明暦2年(1656)に津軽信英が町を整備したことに始まる。陣屋の北側に武家地、その東側の浜街道沿いの中町まどに商人町を配した。江戸中期には高橋家など規模の大きな家が建った。保存地区は東西約170mm、南北約260m






規模の大きな町屋が残り、その全面には庇を張り出し「こみせ」と呼ばれる雪や風を避けるための通路が設けられている。この「こみせ」が今は貴重となって最大の見所でもある。電柱が全廃されればさらに見栄えの良い町並みとなるだろう。






 

法眼寺本堂・鐘楼堂 法眼寺山門 旧笠石家住宅 江渡家住宅
黒石市山形町 黒石市山形町 十和田市奥瀬字栃久保80 三戸郡五戸町荒町17-1
明和6年(1769)・延享3年(1746) 竣工/寛保元年(1741/江戸中期) 竣工/江戸後期(18世紀後半) 竣工/天明年間(1781-1788)
★青森県重宝 ★黒石市指定文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
本堂は火災や地震で失われ、明和6年に仮本堂として建てられたものが現在に至っている。大きな茅葺屋根が見事だが下部はガラス戸が入っている。鐘楼堂は全国的にも類例の稀な特異な美しい姿である。茅葺で唐風の造りである。内部の梵鐘は法眼の位を持つ版画家・棟方志功の寄贈という。 本堂や鐘楼より古い。四脚門で正面及び背面の中央に軒唐破風を付けている。構造や細部の様式には建築年代がよく表わされており、小規模で簡素な造りであるが、姿の美しい山門である。茅葺。


 十和田湖から流れ出る奥入瀬川右岸に台地にある大型農家。上北地方の広間型板壁の典型的農家の遺構。主要部分はチョウナ仕上げで土台を用いず礎石に直接柱を立てる古い建築様式である。間口9間半、奥行5間半で「まや」が全体の1/3を占める。

 南部藩の五戸代官所の下役を勤めた家柄で御給人と呼ばれる下級武士の式台玄関を持つ住宅。寄棟造、茅葺屋根。 




 

古建築図鑑 トップ

古建築研究会 トップ

列島古建築紀行