島根県

 

松江城天守 神魂(カモス)神社本殿 神魂神社末社貴布祢稲荷本殿 佐太神社社殿
松江市殿町一番地 松江市大庭町563 松江市大庭町563 松江市鹿島町佐陀宮内73
竣工/慶長16年(1611/江戸前期) 竣工/天正11年(1583/桃山) 竣工/天正11年(1583/桃山) 竣工/文化4年(1807/江戸後期)
★国宝 ★国宝 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
外観は四重、内部は五階、地下一階で正面尾南面に玄関となる附櫓を設け、屋根は全て本瓦葺。通し柱による工法など独自の建築的特徴がある。柱に板を包み帯鉄や鎹で留めた「包板」も松江城の特徴。 本殿は現存する大社造の社殿のうち最古といわれる。特徴は前面と後方の中央にある柱(宇豆柱)がそれぞれ前と後ろに張り出してことである。白木造に見えるが創建時は彩色されていたといわれる。 本殿の左側にあり、写真の右側の二間社が神魂神社の末社貴布祢稲荷両神社本殿である。本殿と同時期の建築で二間社流造、見世棚形式である。出雲地方では珍しい流造で作られている。 三殿並立の大社造で正殿を軸として南北に両殿を配し、しかもそれを対照的にしている。特に向かって左の南殿は通常の大社造の構造とは逆に階段が左側に造られており、北殿と左右対称になる。

 

美保神社本殿 美保神社拝殿 木幡家住宅(八雲本陣) 旧道面家住宅
松江市美保関町美保関 松江市美保関町美保関 松江市宍道町宍道1335 鹿足郡吉賀町注連川764
竣工/文化10年(1813/江戸後期) 竣工/昭和3年(1928) 竣工/享和18年(1733/江戸中期) 竣工/江戸後期
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
二棟の前室付大社造を相の間で連結し正面全体に庇を設けた比翼大社造で特異な形である。当地方の同形式の社殿の遺構では最大最古で、大社造の変形として貴重。 建築学者伊東忠太の設計監督により造営された。檜造りで、屋根は杉板を敷きつめた柿葺き。船庫を模した独特な造りで壁がなく、梁がむき出しの化粧屋根裏。 松江藩の役職を勤めた家柄。酒造業を兼ねていた。歴代の藩主の宿泊所となり本陣と呼ばれた。敷地約1,200坪、部屋数40を超える広大な大邸宅大型住宅。 軒下が低く寒さを防ぐ構造の小民家で建築材も豊かなものではない。寄棟造、茅葺。道面家については明らかでない。小規模な一般農家の形態を示している。

 

清水寺本堂(根本堂) 清水寺三重塔 堀江家住宅 旧大社駅舎
安来市清水町 安来市清水町 雲南市吉田町大字民谷505 出雲市大社町北荒木441-3
竣工/明徳4年(1393/室町中期) 竣工/安政6年(1869年) 竣工/江戸中期 竣工/大正13年(1924)
★国指定重要文化財 ★県指定文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
和様と唐様の折衷様式、方7間、廻廊付、入母屋造、こけら葺。寺伝では用明天皇2年、尊隆上人により開かれたという、唐からの帰路立ち寄った円仁(慈覚大師)により、天台宗に帰依したという。 戦国時代兵火に襲われ根本堂以外の建物は焼失した。 文政十年(1827)、恵教和尚のもとで始まり、住職二代、大工三代の悲願の末、一万人の浄財により、三十三年がかりで完成した。日本で唯一、三層まで登れる構造をもつ。塔は擬宝珠高欄を付した縁を廻し、桟唐戸、脇間連子窓、中備え蟇股、両脇間は間斗束。 島根県と広島県の県境に近い山中に所在する。入母屋造、茅葺。間取りは南北に分かれ、北側はマヤとウスニワから成る土間で、マヤに寄せて大戸を設けてある。南側にナンドとオモテの室が設けられる古い形式で、大広間を持つ三間取りの間取りである。 和風駅舎の最高傑作。駅舎は明治45年に国鉄大社駅の開通により開業され、大正13年に新たに改築された。出雲大社の門前町にふさわしい、純日本風の木造平屋建で、和風趣向の際立つ建物。JR大社線は廃線になったが駅舎は国の重要文化財に指定された。

 

  
出雲大社本殿 出雲大社拝殿 出雲大社神楽殿 出雲大社
出雲市大社町杵築東195出雲市大社町杵築東195 出雲市大社町杵築東195 出雲市大社町杵築東195
竣工/延享元年 (1744) 竣工/昭和34年(1959) 竣工/昭和56年(1981) 竣工/鎌倉中期
★国宝
現本殿は延享元年に建てられたもので、切妻造・妻入の大社造である。以前はその大きさは境内の遠くからも望見できた。現在は敷地に大きな建物が建てられ遠望できない。 室町時代に尼子経久が造営。名工の坪井大隅守が建立、高く評価されていた。昭和28年類焼し、焼失した。信者の寄付を集め、福山敏男氏の設計で昭和34年に完成した。 出雲大社教が神楽殿をRC造で建立。神社建築には珍しく正面破風の装飾にステンドグラスが使われている。掲げられる注連縄は日本で最大規模の注連縄として知られる。 境内の拝殿と八足門の間の地下から巨大な柱根が発見された。三本柱を束ねた直径3mのものであることから、伝承の平面図の信憑性が高まり、高さ16丈説が有力となった。

 

日御碕神社 日御碕神社日沉宮(下の宮) 日御碕神社楼門 日御碕神社神の宮(上の宮)
出雲市大社町日御碕455 出雲市大社町日御碕455 出雲市大社町日御碕455 出雲市大社町日御碕455
竣工/寛永21年(1644) 竣工/寛永21年(1644) 竣工/寛永21年(1644) 竣工/寛永21年(1644)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
徳川家光の命により松江藩主・京極忠高が寛永11年に着手し松平直政が10年後の正保元年に完成させた。社地は山裾の傾斜地に自由な敷地を設けて社殿を配置し、地形を利用した景観は一群としての美しさを発揮している。 日沉宮は、近くの島に鎮座していたものを村上天皇の勅により、天暦2年に現在地に遷したといわれ、天照大神が祀られている。拝殿は、日御碕神社社殿の中で最大の建物です。内部は上段の間と下段の間に分かれている。 三間一戸楼門、入母屋造、こけら葺。一階二階も中備は蟇股、両脇に回廊が付く、木割の制や細部の手法優美で桃山時代風の建物である。楼門内に大きな狛犬が祀られている。楼門の正面に日沉宮、右の高所に神の宮がある。 素盞嗚尊が祀られている神の宮は、現社殿背後の隠ヶ丘に祀られていたものを、安寧天皇13年に現在地に遷したと伝わる。拝殿と本殿が続く権現造。両本殿の内陣の壁や天井には狩野派や土佐派による壁画が描かれている。

 

熊谷家住宅 大森の町並み 大森町並み交流センター 染羽天石勝神社本殿
大田市大森町ハ63 大田市大森 大田市大森町イ409 益田市染羽町1-60
竣工/享和元年(1801/江戸後期) 竣工/ 竣工/ 竣工/天正11年(1583/桃山)
★国指定重要文化財 ★伝統的建造物群保存地区 ★伝統的建造物群保存地区 ★国指定重要文化財
石見銀山御料の支配を担う郷宿(ゴウシュク)、代官所の御用を務めた御料内での有力な商家。敷地約1500㎡、主屋と5つの蔵から成る大規模民家建築。寛政12年の大火後、享和元年に建築された。 大森銀山地区は銀山柵内に隣接して発展した。幕府直轄地石見銀山領150カ村の中心の町である。銀山川沿いの谷間にある約2.8kmの川沿いに、代官所跡や郷宿、武家屋敷、商家などが残っている。 大森の中心にある旧大森裁判所跡で、銀山の歴史と暮らしを分かりやすく紹介している。明治23年当時を一部復元公開していた法廷ほか、資料展示室、ビデオ映像室もある。地域住民の交流の場。 神亀2年に創建され瀧蔵権現と称した。承兵元年に別当として勝達寺を建立。明治の廃仏毀釈で寺は廃絶、瀧蔵権現から現在の社名となった。三間社流造、檜皮葺。棟札により建立年代が明らか。

 

萬福寺本堂 萬福寺庭園 西周(ニシアマネ)旧居 森鴎外旧居
益田市東町25-33 益田市東町25-33 鹿足郡津和野町後田4 鹿足郡津和野町町田イ228
竣工/応安7年(1374/室町前期) 竣工/ 竣工/江戸後期(1853以降) 竣工/江戸後期(1853以降)
★国登録文化財 ★国指定史跡 ★国指定史跡 ★国指定史跡
方7間の大きな御堂建築だが優美な印象を受けるのは軒の出が大きく深いからであろう。これだけ深い軒を舟肘木と一間疎垂木で支えるのは困難で見えない部分で桔木という部材が入り、この優美な外観が造られている。 城主・益田兼堯の招きにより益田に入った画聖雪舟は万福寺と医光寺に庭園を築いたと伝えられている。万福寺庭園は須弥山世界を象徴した石庭で、池と石の配置が絶妙な名庭園といえる。雪舟は逗留中に画も残している。 西家は禄高100石の藩医として津和野藩に仕える家である。西周は「哲学」「感覚」などの言葉を生んだ明治の啓蒙思想家。周はここに21才まで暮らした家。母屋、勉強部屋に使った土蔵などが残っている。茅葺、軒庇付。 木造平屋、瓦葺の簡素な住宅。この家で生まれ、11歳で上京するまでここで生活した。幼少期を過ごした家で、4畳半の彼の勉強部屋や医師宅らしく調剤室も残っている。西周旧居とは津和野川を間に向かい合っている。

 

2020.06.15

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