岡山県

 

岡山城月見櫓 岡山城月見櫓 岡山後楽園流店 岡山後楽園延養亭
岡山市北区丸の内2-3-1 岡山市北区丸の内2-3-1 岡山市後楽園1-5 岡山市後楽園1-5
竣工/江戸前期 竣工/江戸前期 竣工/元禄4年(1691) 竣工/昭和35年(1960)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
城内側は東面と西面は雨戸がついており、日常生活仕様である。四季の眺望と小宴を愉しむ目的も持つ和戦両用の建築。塗籠造、本瓦葺、一部地下付。一階の床板が引上げ式の戸造りとなっている。 城外から見ると二層望楼型に見えるが三層の層塔方の櫓。城外側には戦闘装置がある。一階は、西面に石落し付きの唐破風造りの出格子窓、北面に石落し付きの片流屋根の出格子窓を設けている。 唯心山の東側に位置し木造2階建、寄棟、檜皮葺、元禄4年前後に建てられたのが始まりといわれる。1階は外壁を設けず吹き放しで、内部に流水を引き込み6個の石が配置されている珍しい建物。 岡山城の北側、旭川の対岸にある。月見橋で渡たれる。園内で最も重要な建物だったが、戦災で焼失した。戦後に築庭当時の間取りに復元された。 園内を一望できるように高台に作られている。

 

旧犬養家住宅 吉備津神社本殿 吉備津神社回廊 吉備津神社南随身門
岡山市北区川入102 岡山市北区吉備津931 岡山市北区吉備津931 岡山市北区吉備津931
竣工/江戸中期 竣工/応永22年(1425/室町中期) 竣工/天正年間(1573~1591) 竣工/延文2年(1357)
★国指定重要文化財 ★国宝 ★県指定文化財 ★国指定重要文化財
犬養家は近世初頭に岡山に移り住み、以後、代々川入村の庄屋、大庄屋を勤めた。桁行17.9m、梁間11m、入母屋造、本瓦葺。広い土間などに村役宅の特徴が見られる。昭和初期の総理大臣・犬養毅の生家である。 現在の社殿は足利義満の命により応永32年に再建される。本殿の平面は三間社の周囲に庇を二重に廻した形式をとり,内部ほど次第に床と天井が高い。屋根は前後二つの入母屋造を連結した比翼入母屋造と呼ばれる。 本殿から南随身門を経て、御供殿・御釜殿等に至る回廊。棟札によると、戦国時代の天正年間の建立とされる。総延長398m、屋根は切妻造、本瓦葺、軒は一軒疎垂木、天井は化粧屋根裏で、簡素な構造とである。 回廊の中間に建つ三間一戸の八脚門。入母屋造、本瓦葺、丹塗り、白壁。前面と背面の中央の間の中備に建てた双斗は花肘木となり、三重に巻いた白線の渦紋が正円に近い。吉備津神社の社殿のなかでは最も古い。

 

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閑谷学校講堂 閑谷学校講堂 閑谷学校講堂 閑谷神社(閑谷学校芳烈祠)
備前市閑谷740 備前市閑谷740 備前市閑谷740 備前市閑谷740
竣工/元禄14年(1701/江戸中期) 竣工/元禄14年(1701/江戸中期) 竣工/元禄14年(1701/江戸中期) 竣工/貞享3年(1686/江戸前期)
★国宝 ★国宝 ★国宝 ★国指定重要文化財
寛文10年(1670/江戸前期)に岡山藩主・池田光政によって創建された現存最古の庶民のための公立学校。 講堂は5×4間の周囲に庇が架けられその上に備前焼瓦葺。内部は総床式。講堂が国宝に指定されている。 建造物のうち、小斎・飲室・文庫・聖廟・閑谷神社・石塀など24棟が国の重要文化財に指定されている。 光政の霊及び像を安置して「芳烈祠」と称したのが創建と伝わる。本殿は方三間、入母屋造、備前焼瓦葺。

 

  
真光寺本堂 本蓮寺本堂 本蓮寺中門 長福寺三重塔
備前市西片上1513瀬戸内市牛窓町牛窓2325 瀬戸内市牛窓町牛窓2325 美作市真神414
竣工/永正13年(1516/室町後期) 竣工/明応元年(1492/室町後期) 竣工/明応元年(1492/室町後期) 竣工/弘安8年(1285/鎌倉中期)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
純和様、桁行梁間5間、向拝一間、正面5間は桟唐戸、側面は桟唐戸と蔀戸。棟札に永正13年の銘があるが、寺伝では応永年間に再建という。永正に修理増築された。 桁行5間、梁間5間、向拝一間、寄棟造、本瓦葺。日蓮門下各寺院の本堂としては最も古い。江戸時代には朝鮮通信使が寄港し当寺に滞在し、岡山藩の饗応を受けた。 中門は2本お柱を主柱とする棟門形式。切妻造、本瓦葺。扉は建立時のものでなく本堂の唐桟戸を模して造ったものである。一般の棟門と異なった構造細部が珍しい。 高さ22.7m、大工棟梁・藤原国右衛門尉、岡山県内の最古の木造建築といわれる。寛永年間、文政6年に大修理が行われているので最古と言い切れない部分もある。

 

中山神社本殿 城東の町並み 旧梶村家住宅・城東むかし町屋 箕作阮甫(ミノツクリゲンポ)旧宅
津山市一宮195 津山市東新町 他 津山市東新町40 津山市西新町6
竣工/永禄2年(1559/室町後期) 竣工/ 竣工/江戸後期 竣工/江戸末期
★国指定重要文化財 ★伝統的建造物群保存地区 ★国登録文化財 ★国指定史跡
永禄2年に出雲城主・尼子晴久による戦勝祈願のために再建復興した。入母屋妻入の他地方には例のない「中山造」という構造である。美作国の一宮として広く崇敬、信仰されて現在に至っている。  津山は越前松平家10万石の城下町。町の東側に位置する吉井川に沿った旧出雲街道に面する城東町保存地区は、なまこ壁や袖壁、なまこ壁などの商家、民家が並ぶ。城西地区にも往時の遺構がある。 苗字帯刀を許された津山藩の両替商の町家。間口31.5m、奥行き34m。西側部分は明治時代、北側は洋館も含めて大正時代の竣工である。蔵が二つあり、東蔵は大正年間、西蔵は昭和初期である。 箕作阮甫は江戸後期の蘭学者。生家は代々医業に携わった家で、阮甫が14歳まで過ごした。通りの面した4間の間口に対して奥行約14間と深い。道路に面したところは仕事場で奥が座敷となっている。

 

誕生寺御影堂(本堂) 森江家住宅 倉敷の町並み 大橋家住宅
久米郡久米南町里方 苫田郡鏡野町富西谷118 倉敷市・美観地区 倉敷市阿知3-21-31
竣工/元禄8年(1695/江戸中期) 竣工/江戸中期 竣工/ 竣工/寛政8年(1796/江戸後期)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★伝統的建造物群保存地区 ★国指定重要文化財
法然上人生誕の地に開創したと伝える。二重の五間堂で浄土宗における仏堂型本堂の中でも側廻りを円柱、三斗組とした本格的なものである。内部は外陣を仕切るだけで内陣廻りや位牌の間を仕切らない古式な平面を持つ。 入母屋造、茅葺、棟に7本の「からすおどし」を載せる。南面は建具があるが、両側面と背面は荒壁で窓はなく外側に柱が独立してたつ。内部は左側半分が土間とマヤ(馬屋)で右半分が上板敷の広間型三間取である。 江戸幕府の天領に定められた際に倉敷代官所が置かれ、備中国南部の物資の集散地として発展した。倉敷川畔から鶴形山南側の街道一帯になまこ壁の屋敷や蔵が並ぶ。裏手の町並みが観光地臭くなく味わいがあって良い。 水田、塩田の開発で財を成した地主の住宅。白壁に貼り瓦、倉敷格子など倉敷特有の建築様式の住宅建築である。街道に面して長屋を建て、その奥に主屋・米蔵・内蔵などがある。4棟が国の重要文化財の指定を受けている。

 

はしまや(楠戸家住宅・店舗) 旅館鶴形 吹屋の集落 備中国分寺五重塔
倉敷市東町1-20 倉敷市中央1-3-15 高梁市成羽町 総社市上林1046
竣工/ 竣工/寛保4年(1744/江戸中期) 竣工/ 竣工/弘化年間(江戸後期)
★国登録文化財 ★伝統的建造物群保存地区 ★国指定重要文化財
楠戸家は東町通りにあり、江戸後期に紺屋を営み、明治2年(1869)に呉服店を開業した。主屋は大原家、大橋家に並ぶ倉敷最古の町屋建築で、岡山県第1号の国登録文化財指定である。最近、主屋は市指定文化財になる。 倉敷美観地区、中心部の位置にある。料理旅館「鶴形」は徳川八代将軍吉宗の時代の江戸中期に建てられた商家の転用で厨子二階造りの風格ある構えである。大原家住宅、大橋家住宅に並ぶ倉敷最古の商家建築といわれる。 江戸後期に幕領地となり、吹屋銅山を中心に発展した集落。幕末から明治にかけて硫化鉄鉱石を酸化、還元させて人工的に製造したベンガラ(紅殻)の日本唯一の巨大産地として繁栄した。赤瓦とベンガラ格子の民家が並ぶ。 総高34.32m、県内唯一の五重塔。初重から三重までを欅材、四重以上を松材を主に使用している。これは当初は三重塔が計画されたもんが五重塔に変更したためとも思われる。塔身部が長く相輪が短い、この時代の特色。

 

宝福寺三重塔 宝福寺仏殿 妙本寺番神堂 吉川八幡宮本殿
総社市井尻野1968 総社市井尻野1968 上房郡吉備中央町北1501 上房郡吉備中央町吉川3932
竣工/永和2年(1376/室町前期) 竣工/仏殿(享保20年(1735) 竣工/明応6年(1497/室町後期) 竣工/応永2年(1395/室町前期)
★国指定重要文化財 ★国登録文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
本山京都東福寺と結びつきが強い地方寺院の中でも有力な禅宗寺院である。塔は高さ18.47m、永和2年の墨書銘が発見された。県下で二番目に古い三重塔である。 本堂にあたる仏殿は享保20年に再建されている。 江戸時代初期に復興され、禅宗様式七堂伽藍を備える本格的な禅寺。仏殿など24の建造物が国登録文化財である。 妙本寺は13世紀に創建された西身延とも呼ばれる古刹である。番神堂は京都吉田神社神官・ト部兼俱が京の匠に命じて建立、寄進したとの伝承がある。一間社流造。 桁行5間、梁間2間。平成8年に解体修理が行われ、この際、建築部材の一部に縦引き鋸を使用せず縦一列に鑿を打ち込んで割る工法であることが初めて発見された。

 

2020.06.01

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