広島県

 

不動院金堂 不動院楼門 不動院鐘楼 竹原の町並み
広島市東区牛田新町3-4-9 広島市東区牛田新町3-4-9 広島市東区牛田新町3-4-9 竹原市竹原地区
竣工/天文9年(1540/室町後期) 竣工/永享5年(1433/室町中期) 竣工/永享5年(1433/室町中期) 竣工/
★国宝 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★伝統的建造物群保存地区
山口県からの移築。現存する禅宗様仏殿としては最大級。正面一間通りが吹放しにする意匠は中国大陸における手法か?。内陣の鏡天井が前後二つに分かれているなど他の禅宗用仏殿にない特徴がある。桁行3間梁間4間、裳階付、入母屋造、こけら葺。 禅宗様の二重門で上層には十六羅漢を安置する。上層の高欄は親柱だけが禅宗様の逆蓮門で他は和様である。三間一戸、入母屋造、本瓦葺。禅寺の山門に一般的だった禅宗様の二重門で,この時代の建物としては,ほとんど和様を交じえていない。 白壁塗の腰袴付の鐘楼。永享5年建立。解体修理の結果,安国寺恵瓊が住持であった天正16年頃に,修理・移築されたと推定されている。外観は各部の釣合がよく整っている。不動院は,安芸安国寺として安芸の守護大名・武田氏の信仰を得ていた。 平安時代に京都・下賀茂神社の荘園として栄えたため「安芸の小京都」と呼ばれる。江戸時代には製塩地として発展し豊かな経済力を背景に頼山陽など多くの学者を輩出した。製塩町として、質の高い商家の町並みを残すのは全国でここだけである。

 

復古館頼家住宅 春風館頼家住宅 厳島神社社殿 厳島神社社殿
竹原市原町3-7-24 竹原市原町3-7-24 廿日市市宮島町 廿日市市宮島町
竣工/安政6年(1859/江戸末期) 竣工/安政2年(1855/江戸末期) 竣工/平安末期 竣工/平安末期
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国宝 ★国宝
復古館は,春風館の西隣にある。江戸時代後期の文人,頼春風の孫の三郎が分家独立して現在の屋敷を構え,酒造業や製塩業を営んだ。主屋は安政6年の建築である。道路に面して店舗がある。 春風館は,頼山陽の叔父で広島藩の儒医であった頼春風の居宅。現在の主屋は安政2年に再建されたものである。屋敷構えは道路に面して長屋門を建て,その奥に主屋があり,武家住宅に近い。 平安末期に平清盛によって現在の社殿の大半の基礎が整った。本殿は元亀2年に毛利元就が改築した。拝殿・幣殿は仁治2年竣工である。神社の象徴ともいえる大鳥居(重文)は明治8年である。 平安貴族の住宅であった寝殿造りを神社建築に移したとされ,本社と摂社客神社などの主要部と廻廊その他の建物で構成される。本殿の前に幣殿,拝殿,祓殿と順に連ねた複雑な形態をしている。

 

厳島神社能舞台 厳島神社五重塔 厳島神社豊国神社本殿 厳島神社豊国神社本殿
廿日市市宮島町 廿日市市宮島町 廿日市市宮島町 廿日市市宮島町
竣工/延宝8年(1680) 竣工/応永14年(1407) 竣工/天正15年(1587) 竣工/天正15年(1587)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
永禄4年に大鳥居を再建した毛利元就は、永禄11年、観世太夫を招き、仮の能舞台を海中に設けて、能を奉納した。現存する能舞台は江戸時代前期に広島藩主・浅野綱長が改築したもの。台風で倒壊したが、元に復元された。 和様と唐様が融合した優美な五重塔。室町時代の応永14年建立と言われ,露盤下品軒覆の鉄板鋳銘から戦国時代の天文2年に改修された。初重の柱は上部を金襴巻とした朱漆塗で,それぞれ彩色の寄附者の名が記されている。 桁行正面十三間、背面十五間、梁間八間、一重、入母屋造、本瓦葺。通称は千畳閣とよばれる。豊臣秀吉が毎月一度千部経の転読供養をするため,天正15年に発願し,安国寺恵瓊を造営奉行として同17年完成した大経堂。 文禄・慶長の朝鮮出兵,秀吉の死去などの理由により天井板もはられず,正面の階段もない未完成状態であるが,規模広壮,木割雄大で軒丸瓦・軒平瓦に金箔をおすなど,よく桃山時代(16世紀末)の気風を示している。

 

  
明王院本堂 明王院五重塔 備後安国寺釈迦堂 磐台寺観音堂(阿伏兎観音)
福山市草戸町福山市草戸町 福山市鞆町跡地990-1 福山市沼隈能登原
竣工/元応3年(1321/鎌倉後期) 竣工/貞和4(1348/室町前期) 竣工/暦応2年(1339/室町前期) 竣工/元亀年間(室町後期)
★国宝 ★国宝 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
和様を基本に禅宗様を加えた折衷様式。桁行5間、梁間5間、入母屋造、本瓦葺。内部は前面二間を外陣、後面三間を内陣としている。外陣と内陣の間は格子戸と菱欄間で仕切っているがこれは密教仏堂の典型である。 純粋な和様の塔で整った優れたと塔として南北朝時代を代表する建築の一つ。内部は一層目中央に壇が設けられ、心柱が二層目から立ち上がる特異な構造である。内部の色彩をこれほど良く残した塔は他に類例がない。 足利尊氏が国ごとに建立した安国寺の一つである。備後の国では金宝寺を安国寺とした。元は仏殿と伝えられその後、慶長4年(1599)と明和2年(1765)に大修理がなされている。禅宗様、方三間、入母屋造、本瓦葺。 毛利輝元によって建てられたと伝わる。禅宗伽藍には珍しい和様で外部は丹塗で内部格天井には極彩色の百花図が描かれている。寛文年間に堂後方に奥行一間を追加。海に突き出た岩上にたつ景観は見所となっている。

 

吉備津神社本殿 いろは丸展示館(旧土蔵) 鞆の津の商家 鞆の津の町並み
福山市新市町 福山市鞆町843-1 福山市鞆町鞆606 福山市鞆町鞆
竣工/慶安元年(1648/江戸前期) 竣工/文化年間 竣工/江戸末期 竣工/
★国指定重要文化財 ★国登録文化財 ★市指定文化財 ★伝統的建造物群保存地区
福山藩主水野勝成によって建てられたと伝えられる。備後、安芸地方に見られる「余間造り」といわれる平面を持つ。桁行7間、梁間4間、向拝一間付、入母屋造、檜皮葺。 鞆の船着場の前にある。地元で「大蔵」と呼ばれる土蔵で、明治3年に鞆沖で紀州船と衝突して沈んだ坂本龍馬と海援隊の船「いろは丸」の引き上げ物などを展示している。 主屋は江戸末期の建築、土蔵は明治の建築。主屋内部は通り庭(土間)に面して、店の間、中の間、奥の間が一列に並ぶ古い商家の間取りとなっている。鞆の典型的な町家。 中世の港町の骨格を引き継ぎ、江戸中期までに整えられた地割に,江戸時代からの伝統的な町家や寺社,石垣等の石造物,港湾施設などが一体となって残る瀬戸内の港町。

 

浄土寺本堂 浄土寺多宝塔 浄土寺阿弥陀堂 浄土寺山門
尾道市東久保町 尾道市東久保町 尾道市東久保町 尾道市東久保町
竣工/嘉暦2年(1327/鎌倉末期) 竣工/嘉暦3年(1328/鎌倉末期) 竣工/康永4年(1345/室町前期) 竣工/室町前期
★国宝 ★国宝 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
大工藤原友国,同国貞により建築されたものである。前面二間を外陣とし,後を内陣とする密教式平面である。和様を基調として桟唐戸,花肘木,を用いた折衷様式である。 鎌倉時代に建てられた現存する国内最大の多宝塔。和様、方三間、裳階付。屋根は隅降棟が屋根の頂上に集まる。鎌倉時代末期の代表的な建築とされる。本堂とともに国宝。 優れた和様仏堂として評価される。桁行5間、梁間4間、寄棟造、本瓦葺。道蓮・道性夫妻によって、現存する国宝の本堂・多宝塔、重文の阿弥陀堂は再建、再興された。 匠が同じためか本堂向拝と同じ規矩をもつので時代差がないと思われる。側面妻部分蟇股に足利氏の家紋「二引両」がある。四脚門、切妻造、本瓦葺、両袖に潜戸が付く。

 

西國寺金堂 西國寺三重塔 西郷寺本堂 向上寺三重塔
尾道市西久保町29-27 尾道市西久保町29-27 尾道市東久保町8-40 尾道市瀬戸田町553
竣工/至徳3年(1386/室町前期) 竣工/永享元年(1429/室町中期) 竣工/文和2年(1353) 竣工/永享4年(1432/室町中期)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国宝
和様を基調とした折衷様式。桁行5間、梁間5間、一間向拝付、入母屋造、本瓦葺。行基菩薩の開基という。現在の堂は、備後の守護山名一族によって再建された。来迎壁は再建当時の壁面と思われる。 足利6代将軍・足利義教の寄進である。純和様、本瓦葺。一階内部に如意輪観音と極彩色の四天王を安置する。室町時代によく行われた復古建築の純和様で,奈良時代への復帰をめざしたものである。 南北朝時代の文和2年に二代目住持の託阿が発願して造られた。角柱上に舟肘木を置くだけの簡素な形式である。方三間の内陣の周囲を外陣がめぐる常行堂形式,時宗本堂最古の遺構として貴重である。 方三間、和様と唐様の折衷様式、朱塗り、本瓦葺。各層に花頭窓を設け四隅の親柱の飾り付には逆蓮華(蓮の花を逆にかぶせた形)が見られる。各重の垂木を扇垂木とするなど禅宗様の手法が使われる。

 

天寧寺塔婆(三重塔) 宗光寺山門 円通寺本堂 堀江家住宅
尾道市土堂町17-29 三原市本町3-11-1 庄原市本郷町233 庄原市高野町中門田257
竣工/嘉慶2年(1388/室町前期) 竣工/天正10年(1582/桃山) 竣工/天文年間(室町後期) 竣工/江戸中期
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
元は五重塔として建てられたものを元禄5年(1692)に上の二層を撤去して三重塔婆に改修された。そのためかややバランスが悪い。改修の理由は五重塔が落雷か何かで被災したためといわれる。和様と禅宗様の折衷様式。本瓦葺。 小早川隆景の居城である新高山城内の門を移築したと伝わる。城郭建築にふさわしい規模も大きく木割も太い。四脚門、切妻造、本瓦葺。隆景は新高山城より水陸交通の要にあたる三原の地に三原城を築城し、宗光寺を移した。 方三間、脇仏壇月の禅宗様仏殿。扉は框の稜線があるもので古式である。厨子も禅宗様である。入母屋造、銅板葺。円通寺は,地毘庄地頭として鎌倉時代末期に入部した山内首藤氏が本拠の甲山城中腹に建てた菩提寺である。 居室部分は「かって」「おもて」「なんど」の三室から成る広間型三間取り。茅葺屋根を支える太い柱は曲がった栗材を巧みに使ったもので手斧(ちょうな)の痕が残っている。中国地方山間部の民家の歴史を知ることができる。

 

荒木家住宅 旗山家住宅 真野家住宅 真野家住宅
庄原市比和町森脇786 三次市三良坂町灰塚 三次市小田幸町・風土記の丘 三次市小田幸町・風土記の丘
竣工/江戸前期 竣工/江戸中期 竣工/江戸中期 竣工/江戸中期
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
森脇八幡宮の神官の家。部屋は5つあり、神官の家の特徴でもある神を祀る部屋「たかま」や牛を飼うための「だや」、農作業をする「どま」がある。桁行20.6m、梁間10.9m、入母屋造、茅葺。 灰塚ダムの建設により水没を逃れて宗像神社横に移築された。入母屋造、茅葺、平入。左側が広い土間、右側が居室部の基本的な整形四間取り構造。構造上の必要性から土間やカッテには独立柱がある。 構造が極めて古く、各所に古式を残している。表側を除く三方はすべて大壁で小舞は雑木や竹材を混用して大壁の厚みは20cm以上ある。架構は梁行で,二ヶ所だけ梁受桁を用いて柱を抜いている。 左側奥の「でい」といわれる部屋には、この時代としては珍しい床の間の痕跡が見られる。世羅郡世羅町戸張から「みよし風土記の丘」に移築された。桁行14.9m、梁間8.9m、入母屋造、茅葺。

 

2020.06.21

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