静岡県

 

久能山東照宮社殿 久能山東照宮鼓楼 花沢の町並み 花沢の町並み
静岡市駿河区根古屋390 静岡市駿河区根古屋390 焼津市花沢 焼津市花沢
竣工/元和3年(1617) 竣工/元和4年(1618) 竣工/ 竣工/
★国宝 ★国指定重要文化財 ★伝統的建造物群保存地区 ★伝統的建造物群保存地区
久能山東照宮は、徳川家康を祀る霊廟として創建され、元和3年に建立された本殿、石の間、拝殿は権現造の形式をもつ複合社殿で、大工頭の中井大和守正清によって造営された。社殿は、伝統様式である和様を基調とし、複雑な構成になる立面や軒廻りなどを巧みにまとめており、細部も整った意匠をもっている。 元和4年に建てられたもので、入母屋、銅瓦葺、桁行3間、梁間2間、袴腰付、外壁は主要構造体が朱色で塗られ、屋根廻りの組物や彫刻などが極彩色、瓦の軒先や垂木の小口、高欄の金物などが金が使用される。袴部は石積になっている。元は鐘楼として作られ、明治の廃仏毀釈のおり、鼓楼に替えられた。 町並みは、高草山の東の谷に形成された、日本坂峠を越える道沿いにある坂の小集落。この道は、万葉集にも詠まれた東海道最古の「やきつべの小径」で、奈良~平安時代に栄えた街道である。集落は街道の西側に集中し、道沿いに江戸末期から明治期に建てられたと推定される古民家が並ぶ。
家は傾斜地のため石垣を積み上げて屋敷地を造成した。建物は横羽目押縁下見板張という伝統的工法で造られている。つまり黒い下見板壁造りである。花沢川沿う少し急な坂道を歩くと、木葉が家々に冠さり濃い山里の香りがする。とりたてて紹介するほどの旧跡などはないが、記憶に刻む集落である。

 

智満寺本堂 蓬莱橋 大鐘家住宅主屋 大鐘家住宅長屋門
島田市千葉254 島田市河原・大井川 牧之原市片浜1032 牧之原市片浜1032
竣工/天正17(1589/安土桃山) 竣工/明治12年(1879) 竣工/江戸中期 竣工/江戸後期
★国指定重要文化財 ★国登録文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
創建は奈良時代という古刹。本堂は方五間、入母屋造、向拝一間付、茅葺でこの地方の喜重となる御堂建築。徳川家康は天正17年、現在の本堂の再建に着手し、翌年に完成したといわれる。内部厨子も同時期のもの。

江戸時代、大井川には様々な目的から架橋や渡船は許されず川越人足に頼っていた。明治になって旧幕臣が茶畑を開拓し、牧之原と島田を結ぶために架けた木橋。現在も人と自転車専用の有料橋(賃取橋)で、ギネスブックに「世界一長い木造橋」として認定された。法律上は農道である。 大鐘家は慶長2年に福井の柴田勝豊の家臣・大鐘藤八郎貞綱が当地に移り住んだといわれ17世紀後半唐は大庄屋を勤めた。母屋は明治中期以前は草葺屋根。静岡県最古の古四間取形式といわれ江戸初期の豪農の屋敷構えを良く残している。
長屋門は18世紀後半の竣工で茅屋根の棟には当時の格式などを表す千木9本と笠木がある。




 

西山寺本堂 西山寺本堂 黒田家住宅主屋 黒田家住宅長屋門
牧之原市西山寺202 牧之原市西山寺202 菊川市下平川362-1 菊川市下平川362-1
竣工/寛永13年(1636/江戸前期) 竣工/寛永13年(1636/江戸前期) 竣工/文久元年(1861)頃 竣工/江戸中期
★県指定文化財 ★県指定文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
当寺は弘法大師が開いたといわれる真言宗の寺院。本堂は武田軍の兵火で焼失し、寛永13年に再建され、正徳2年に現在地へ移転した。本堂は間口5.4m、奥行6.4m、宝形造、茅葺。境内の高台の緑の中にたつ。
屋敷地は東西80m、南北10mほどで周辺に濠を廻らせている。主屋は桁行21.6m、梁間14.1m、寄棟造、桟瓦葺。平面は東側を土間とし床上部南側は中の間、仏間、客座敷などで、北側は台所などの内向き空間としている。 黒田家は江戸時代には旗本本多氏の代官を勤めた家柄である。長屋門は桁行20.6mの長い門で主屋より古く18世紀前半の竣工と考えらている。米倉や東蔵は主屋と同時期の建築と推定される。

 

応声教院山門 掛川城御殿 掛川城天守 川坂屋主屋
菊川市中内田 掛川市掛川1142-1 掛川市掛川1142-1 掛川市日坂149
竣工/江戸前期 竣工/文久元年(1861) 竣工/平成6年(1994) 竣工/江戸後期
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★市指定文化財
山門は静岡市常盤町にあった宝台院の山門として建てられ、大正7年(1918)に当寺に移築された。寺院の八脚門は側面を2間とするのが通例だがこの門は1間である。太い角柱上に冠木を私軒の出を腕木で支えるなど城門に近い形式である。切妻造、本瓦葺。 太田氏五万石の掛川城二の丸の御殿は、城主の公邸、嘉永七年の地震で倒壊したあと再建された。城郭附属の御殿建築として、全国的にも数少い遺例であり、広間、書院の主要部だけでなく、小書院や諸役所までほゞ全体が残っているのは珍しい。
平成6年、掛川城天守が木造で再建された。戦後に再建された天守閣はほとんどがコンクリート製であったが、日本初の本格木造復元天守閣として建築された。復元では、和釘が使われた。復元についてはこの地の城主であった山内一豊の高知城を参考にした。 江戸の棟梁によって造られた日坂宿の旅籠屋。精巧な木組みと細やかな格子を持つ旅籠建築で、身分の高い武士、公家などが宿泊した脇本陣格であったことが窺える。明治3年頃までは営業していたようで、その後も要人には宿を提供していたといわれる。

 

尊永寺仁王門 友田家住宅 友田家住宅 藤江家住宅
袋井市豊沢2766 周智郡森町亀久保336 周智郡森町亀久保336 周智郡森町
竣工/寛永17年(1640/江戸前期) 竣工/18世紀以前 竣工/18世紀以前 竣工/文久3年(1863/江戸後期)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
法多山尊永寺と称し、高野山真言宗の別格本山。棟札によると寛永17年の建立。播州二見からの室町後期のものを移築との説もある。三間一戸楼門。入母屋造、こけら葺。
県西部、森町郊外の茶畑の中にある極めて古い農家。棟通リ一間毎に柱を立てる構造は県西部のお特色で復元した間取りには関西の農家と共通するものがある。桁行15.5m、梁間9.3m、寄棟造、茅葺。
藤江家のある城下地区は、戦国時代は天方氏の城下町だった。内と外を隔てる「蔀戸」は当時のままである。建物の詳細が記されたものが少ないが端正なグッドデザインといえる町屋である。

 

森町の町並み 森町の町並み 寶林寺仏殿 寶林寺方丈
周智郡森町 周智郡森町 浜松市細江町中川65-2 浜松市細江町中川65-2
竣工/鎌倉末期 竣工/鎌倉後期 竣工/寛文4年(1664/江戸前期) 竣工/寛文4年(1664/江戸前期)
★国指定重要文化財  ★国指定重要文化財
江戸時代は防火の神様である「秋葉神社」の表街道の宿場町として賑わった。一方、遠州灘で作られた塩を信州に運ぶ「塩の道」の中継地としての要衝でもあった。宿場町だった天宮地区では枡形に宿場町の面影を見ることができる 天宮地区から1kmほど北、城下(しろした)地区の秋葉街道沿いにある町並みはノコギリ状に雁行している。これは他の町にも見られる姿で、敵の攻撃を屈折する道路で食い止め、また火災の際に延焼を止める知恵といわれる。 明朝伝来の建築様式は珍しく、正面一間を吹放ちとした桁行5間、梁間6間、入母屋造、こけら葺。床をか瓦敷とし柱は面取した角柱に石製の礎盤を置くなど黄檗宗独特の様式である。

住職の起居堂で寄棟造、茅葺。仏殿、方丈とも黄檗宗建築の中では、宇治の萬福寺と並んで黄檗宗伝来初期の遺構として注目される。
山門 竣工/元禄6年(1693/江戸前期)で県指定文化財。

 

初生衣神社織殿 本興寺本堂 新井旅館 新井旅館
浜松市北区三ケ日町岡本698 湖西市鷲津384 伊豆市修善寺 伊豆市修善寺
竣工/享和元年(1801/江戸後期) 竣工/天文21年(1552/室町後期) 竣工/明治14年 竣工/明治14年
★国指定重要史跡 ★国指定重要文化財 ★国登録文化財 ★国登録文化財
初生衣(うぶきぬ)神社境内にある茅葺の小さな建物。神社には御衣(おんぞ)という神の衣を伊勢神宮に奉納する御衣祭りがある。織殿は享和元年以前は毎年建て替えられていたという。  永徳3年(1383)創建の法華宗の古刹。本堂は寄棟造、茅葺。和、唐、天竺の三様を巧みに取り入れた折衷様式の端正な御堂建築。大書院の庭園は小堀遠州、壁画や襖絵は谷文晁である。 創業は明治5年。明治14年から昭和9年に亘って建築、改築が行われた木造旅館。平成10年国登録文化財に指定された。島崎藤村、横山大観、芥川龍之介など多くの文人墨客が滞在している。

 

三島大社 江川邸主屋 江川邸主屋 江川邸主屋
三島市大宮町2-1-5 伊豆の国市韮山1 伊豆の国市韮山1 伊豆の国市韮山1
竣工/慶応2年(1866) 竣工/江戸初期頃 竣工/江戸初期頃 竣工/江戸末期
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
本殿・幣殿・拝殿、三つの建物が連なる複合社殿。総けやき素木造りで、伊豆の名工小沢半兵衛・希道父子一派による彫刻は精緻で高い完成度。 江戸時代には幕府直轄領を支配した代官の私邸である。韮山役所は、その敷地内に設けられていた。江川家は幕末まで世襲代官として続いた。 主屋は単層入母屋造で、小屋組造という免震構造。三和土の土間に立木をそのまま柱として利用したものといわれる「生き柱」がある。 敷地内にある蔵も素晴らしく、特に将棋の駒のような形に見えるので駒蔵とも呼ばれる茅葺屋根の西蔵は必見である。建立は江戸末期頃という。

 

井上靖旧居 井上靖旧居 中瀬邸 中瀬邸
伊豆市湯ヶ島町892-6 伊豆市湯ヶ島町892-6 賀茂郡松崎町松崎315-1  賀茂郡松崎町松崎315-1
竣工/明治23年(1890) 竣工/明治23年(1890) 竣工/明治20年(1883) 竣工/明治20年(1883)
井上靖少年は軍医として任地を転々とする父母とは別に医師である曽祖父・潔の妾・かのと5才頃から天城の土蔵で二人暮らしをしていた。井上靖旧居となっている母屋は、かのが貸家として林野局などに貸していた。 本人が母屋に住んだという記録はない。家は明治23年に天城湯ヶ島間町に曽祖父・潔が建てたもので、木造2階建、1階6畳3間、5畳、4畳半が各1間、2階が8畳2間、延床面積45.65坪の平均的造作の近代和風住宅。 明治の呉服商家。下田ならではのなまこ壁や蔵の凄い鏝絵など贅を尽くした商家建築。



松崎町の漆喰鏝絵は持ち送りやゑぶり、のし止め等に波の模様や雲の形、牡丹に唐獅子、うさぎに鶴と亀等の鏝絵が施され、腕を磨き、技を競い合い、損得や手間をも度外視した職人気質が各所に見え隠れしている。

 

伊豆文邸 伊豆文邸 開化亭(旧岩科商社) 安直楼
賀茂郡松崎町松崎250-1 賀茂郡松崎町松崎250-1 賀茂郡松崎町岩科北川  下田市下田3-5-21
竣工/明治43年(1910) 竣工/明治43年(1910) 竣工/明治8年(1875) 竣工/安政末期
★市指定文化財
こちらも中瀬と同じ呉服商。内部の帳場や土間などが当時の面影を残している。木造二階建、延床面積260㎡。中瀬邸よりすっきりして心地よく感じるのは展示物の量的問題と思える。裏にはなまこ壁の蔵2棟も残されている。
  岩科学校(国重文)の庭内にある。岩科商社として建設され後に岩科村役場として使われた。玄関天井や旧西座敷の天井の鏝絵は入江長八の弟子・佐藤甚造三の作品。棟梁は岩科学校と同じ菊池丑太郎。建物は現在は物販店。
ハリスの侍女となったお吉(唐人お吉)が晩年に小料理屋を開いた建物。明治元年に横浜で幼馴染の鶴松と夫婦になったが離婚、流転の日々を送り下田に帰って安直楼を開業したが酒におぼれて破産、明治23年に入水自殺した。

 

2020.03.12

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