福井県

 

丸岡城天守 坪川家住宅 料理旅館板甚 料理旅館板甚
坂井市丸岡町霞町1-59 坂井市丸岡町上竹田30-11 勝山市本町2-5-14 勝山市本町2-5-14
竣工/天正4年(1576/安土桃山) 竣工/江戸末期 竣工/明治29年(1896) 竣工/明治29年(1896)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国登録文化財 ★国登録文化財
小高い独立した丘陵に築かれた平山城。織田信長の家臣・柴田勝家の甥である勝豊により築城された。天守は高さ6mほどの石垣の上に建てられており、外観二重、内部3階、高さ12.5mも小規模なもので屋根には独特の石瓦を置く。初期天守としての様式を多く備えた現存最古の天守である。

平安後期に院の警護にあたった北面の武士・坪川但馬貞純の子孫といわれる家柄である。入母屋造、妻入背面は寄棟造、茅葺、外回りは杉皮張りである。主な柱は栗材で「チョウナ」「ヤリガンナ」で仕上げられている。隅の母屋と下屋の桁を支える柱には木の股を利用した股柱が使われるなど特徴のある構造を持つ県内最古の民家である。 主屋は切妻造、平入で奥に別棟の火薬室が並び、さらに奥には二階建の蔵座敷がある。板甚は江戸中期に「いたや」という屋号の旅籠が始まりとのことで初代・松村陣七以来、400年の歴史を持つ。蔵座敷の竣工は昭和8年(1933)。



 

 

旧瓜生家住宅 大滝神社本殿・拝殿 大塩八幡宮拝殿 大塩八幡宮拝殿
鯖江市水落町4-3-12 越前市大瀧町13 越前市国兼町 越前市国兼町
竣工/元禄12年(1699/江戸前期) 竣工/天保14年(1843/江戸後期) 竣工/室町後期 竣工/室町後期
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
神明社の宮司を長く務めた瓜生家の住宅。入母屋造茅葺。正面からニワ、イタノマ、その奥に4室を田の字型に配置している。神官の住まいらしく座敷回りが整備され、他は民家の構成である。柱根部分が太いが特徴で、中でも土間周りの柱が太く削りだされている。腐食防止と構造の安定を考慮したものと思われる。 大型の一間社流造の本殿と入母屋造の拝殿を連結させた複合社殿。複雑且つ豪壮な屋根構成は稀有なもので見応えがある。各所の丸彫彫刻も優れ、北陸地方における近世社殿建築として重要かつ貴重なものである。本殿は桁行正面一間、背面三間、梁間四間。拝殿は桁行二間、梁間一間、向拝一間である。 寛平3年(891)の鎮座と伝えられる古社で、代々の国主等によって社殿の修造が行われてきた。拝殿は正面7間、側面4間、入母屋造、こけら葺である。5間、2間の身舎の四周に1間の庇を設けた構成で、縁はない。柱は全て丸柱で建具を入れず吹放ちである。簡素で大型の長床式拝殿である。 平安初期、紀中納言友仲朝臣が当国国府の南泉島へ流罪になった。無実の罪を歎きながら石清水八幡宮の神を祀り、祈願を続けた。宇多天皇の時、勅許により京都に帰ることができた。社殿を造営し、清原元政を神主職に補せ、その末裔は姓を瓜生と改めたが連綿とし現在に続いている。

 

中村家住宅 河野の町並み 板取(いたどり)の集落 旧増尾家住宅主屋
南条郡南越前町河野 南条郡南越前町河野 南条郡南越前町板取 南条郡南越前町板取
竣工/明治20年(1887) 竣工/ 竣工/ 竣工/文政6年(1823)
★国指定重要文化財 ★国登録文化財
河野浦を代表する北前船船主の邸宅。山を背にした狭い村道に沿って山側は高さ60mほどの石積基壇上に間口44mの平地を構築し、海に向かって二階建の主屋と望楼付の三階建の離れがたつ。海側には土蔵を連ね、格式ある正門がある。切妻造、桟瓦葺。離れは大正2年(1913)竣工。 河野は、近世に北前船寄港で栄えた港町である。京都とは山で遮られ、陸路の往来は困難だったため、専ら人や物資の輸送は海路に委ねられ、敦賀からこの河野浦や今泉浦へ上陸してた。江戸時代、河野は海運業に活路を開いて、左近家、中村家といった大きな廻船問屋を生んだ。
急峻な山で遮られた京・近江と越前を結ぶ街道は、木ノ芽峠越えの近江西路と栃ノ木峠を越える北国街道の二本で、二街道はこの板取、今庄地域で合流してするため、江戸時代には板取に関所が置かれて厳しい取り締まりが行われた。民家は「兜造り」で妻入りの姿を街道に見せてる。 北国街道の板取宿に位置し、かつて旅籠を営んだ。内部は土間と板敷、畳敷の間があり、小屋裏にも部屋を設ける。正面の茅葺屋根を刈り込んだ「兜造」の屋根形式が特徴的である。旧増尾家住宅は北国街道に面した旅籠屋の意匠と間取りを伝える民家として貴重である。

 

旧京藤甚五郎家住宅 今庄宿の町並み 須波阿須疑神社楼門 須波阿須疑神社本殿
南条郡南越前阿町今庄 南条郡南越前阿町今庄 今立郡池田町稲荷3-13 今立郡池田町稲荷3-13
竣工/江戸後期 竣工/ 竣工/嘉永3年(1850/江戸末期) 竣工/延徳3年(1491/室町中期)
★県指定文化財 ★町指定文化財 ★国指定重要文化財
江戸時代には酒造業などを営む今庄有数の旧家であったといわれる。建物は間口20m余、標準的な住宅と比べると二倍の大きさがある。木造二階建、切妻造、赤瓦葺。両妻面の壁を屋根より高くした本格的な卯達を上げ、壁面を土壁で塗りこめるなどの防火対策も見られる。県内に現存する希少な大型町屋である。 柴田勝家が改修を行った北国街道にある宿場町。戦国期に北ノ庄城主・柴田勝家は織田信長の安土城参勤の為に最短ルートとなる栃ノ木峠から余呉に入る北国街道と東近江路を整備した。今庄はこの二街道が合流する場所であり現在も約1kmに渡って本陣、旅籠、商家などの面影が残る町並みがひっそりと佇んでいる。 須波阿須疑(すわあずき)神社の名前の由来は諏訪の神を勧請し、池田郷の地元神である大野手比賣命(あづき神:小豆の生産神)を合祀したことによる。楼門は三間一戸、朱塗りの八脚門で江戸末期の再建である。拝殿は元禄2年竣工だが屋根を茅葺から銅板葺にした。拝殿・楼門、共に町指定である。 本殿は正面3間(4.88m)、側面2間(3.15m)m向拝3間の三間社流造、檜皮葺。身舎は前後に分かれ後座を神座とし向かって左手側面にい板戸の出入口を設けている。画人主面は菱格子で正側三方に高欄付の縁を廻らし脇障子を付ける。本殿は覆い屋の中にある。

 

堀口家住宅 妙通寺本堂 妙通寺三重塔

羽賀寺本堂

今立郡池田町稲荷32-17 小浜市門前5-22 小浜市門前5-22 小浜市芳羽賀
竣工/江戸中期 竣工/正喜2年(1258) 竣工/文永7(1270) 竣工/文安4年(1447/室町中期)
★国指定重要文化財 ★国宝 ★国宝 ★国指定重要文化財
須波阿須神社に仕える12軒衆の中の1軒で、庄屋も務めた有力な家柄である。入母屋造、茅葺、土壁。破風口は小さく装飾は無い。西部分に土間、ニワ、その西南隅にウマヤを設ける。このような間取りは嶺北地方南部の今立、南条、丹生郡に分布し越前型と呼ばれるものである。 本堂は桁行5間、梁間6間(、入母屋造、檜皮葺。平入の正面には蔀戸が吊るされる。外観は純粋な和様建築である。正面の一間向拝や屋根の妻飾は江戸期の後補とされる。頭貫木鼻の繰形は、寺院本堂における初例であり、大仏様の様式が見られる。県内最古の木造建築である。 三重塔は高さ22.15m、屋根は檜皮葺で塔身が細く軒が深い。基本的には和様だが一部に大仏様も見受けられる。塔に挙鼻がつく例はこの塔が最古で、柱間の寸法を垂木の本数で決める方式を採用している塔としても最古である。

霊亀2年(716)の草創と言われる真言宗の古刹。延文4年に領主の細川氏清が再興した。本堂は正面5間、側面6間、入母屋造、檜皮葺。平面は3間×3間の内陣の前に3間×1間の礼堂を付し、四周に1間の庇を廻らせ、縁廻らせている。和様を基調とした御堂である。

 

妙楽寺本堂 神宮寺仁王門 神宮寺本堂 飯盛寺本堂
小浜市野代28-13 小浜市神宮寺30-4 小浜市神宮寺30-4 小浜市飯盛145
竣工/鎌倉末期 竣工/鎌倉後期 竣工/天文22(1553/室町末期) 竣工/延徳元年(1489/室町中期)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
本堂内に安置する厨子が永仁4年の銘があることからこの時期の竣工と推定される。桁行5間、梁間5間、寄棟造、檜皮葺。構造は、長押を用いず貫によって軸部を固める様式をとり、鎌倉時代の宋様式の影響を受けたこの種の本堂の中で最古のものである。 仁王門は神宮寺北の玄関口で間口6.37m、奥行3.64m、棟高5.5mの八脚門。両脇には金剛力士像を安置する。構造、規模共に簡素だが束や頭貫木鼻の繰形等の様式から、鎌倉時代の建立と考えられる。


若狭一宮の神願寺として和銅7年(714)に創建されたという古刹で、毎年3月2日には奈良東大寺二月堂に香水を送る「お水送り」の行事がある。。本堂は正面5間、側面6間で和様と唐様の折衷様式である。朝倉義景によって再興された。
正面五間、奥行五間、寄棟造、妻入りの仏堂で、小さな向拝が付く、組物は出三斗である。若狹地方に残る中世密教本堂として、この建物も室町後期のものとしては古様を伝え木割が太く、本格的な和様の建築である。

 

小浜西組の町並み 小浜西組の町並み 熊川の町並み 中山寺本堂
小浜市  小浜市 三方上中郡若狭町熊川 大飯郡高浜町中山
竣工/ 竣工/ 竣工/ 竣工/康永2年(1343/室町初期)
★伝統的建造物群保存地区 ★伝統的建造物群保存地区 ★伝統的建造物群保存地区 ★国指定重要文化財
現在小浜西組で構成される町並みは、現存する明治4年(1871)の地籍図とほぼ同じ形態で、茶屋町だけでなく丹後街道を基軸とした町割全体が評価されている。地区には町屋、土蔵、社寺、洋風建築などの様々な建物が混じる。 明治21年の大火後のものがほとんどで、町屋は京都のように間口が狭く奥行が長い「うなぎの寝床」状のものが多い。茶屋街では土蔵は少なく茶屋建築の意匠をあしらったものが奥に建っていることが多い。
江戸中期頃から京などへ若狭湾で獲れた鯖を運んだ通称・鯖街道(若狭街道)の宿場町。町並みは街道の両側に平入りと妻入りの町家が混じって1.1kmの長さで連なっている。小浜地方の観光ルートに入っており、観光客が多い。 正面5間、側面5間、入母屋造、檜皮葺、和様を基調としている。柱間は正面中央3間を蔀とし、両脇を連子窓にしている。奈良工匠系の影響が考えられる。小屋組みの墨書銘から康永2年、に建てられたことが判明している。

 

2020.03.08

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