8 八幡宮本殿
所在地 茨城県常陸太田市馬場574
建立年代 1585(天正13年)
文化財指定 未指定 
建立年代の判定及び推定の根拠   小屋裏の墨書
創立来歴
 天喜6年(1058)源頼義が征奥州の途次、熊野社の境内に陣を張り、康平3年(1060)八幡宮を奉斎し、戦勝を祈願した。永保3年(1083)源義家、義光が奥州再征の時、戦勝を祈願。帰路、武器を納め、流鏑馬を奉納した。義光は承徳元年(1097)神殿を修造した。義光の孫、佐竹昌義が太田城主になり、応保元年(1161)社殿を造営し、佐竹氏の守護神となし、大田郷の総社とした。
資料来歴
 天正2年雷火で焼失、棟札ー1・享禄3年(1530)熊野社造立 2・永禄12年(1569)長床造立  3・天正8年(1598)社領一器物造立  4・慶長3年・・・・、文禄元年当社の分霊を水戸城の鎮守とし、水戸に八幡宮造立
職人名   石橋右馬之介、吉原修理允、同掃部、同清次郎等22名。
建築形式   三間社流造・極彩色
組物 出組
所見及び解説
 天正13年(1585)の建立後、宝永5年(1708)に修造があった事が小屋裏の墨書に有る。柱と海老虹梁向拝の柱と組物などは宝永の時に取替えか。頭貫木鼻台輪の端部を獅子頭の彫物にする点は極めて独創的で水戸八幡宮の祖形。拳鼻の形状は高萩の安良川八幡宮のとも酷似する。佐竹氏建立の八幡宮の祖形として極めて重要である。

八幡宮本殿全景

本殿組物の頭貫木鼻・拳鼻

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