4  観音寺仁王門
所在地 茨城県北浦町小幡1217-3
建立年代 1510-21(永正期)
文化財指定    町指定   指定年月日 S52.12.4
建立年代の判定及び推定の根拠   記録
創立来歴
 山号は如意輪山普門院という。寺伝では大同元年(806)、高棟王が東国を訪れた際、満海がここに如意輪観音像を移し、守護仏として祀つったと伝えられる。文応元年(1260)、忍性が来住の時、平相正が伽藍を建立し、仁王像、四天王像を造立した。観応2年(1351)、東範によって中興され、伽藍を再建。永正10年(1513)、仁王像が再興された。(茨城教区寺史)この境内地は小幡正辰が居城としていたが、天正19年(1591)に落城した。延宝6年(1678)、43世定慶が客殿建立。貞享3年(1686)、45世伝慶が本堂建立。現在の本堂は明治17年の建立という。
資料来歴
職人名   未詳
建築形式   単層八脚門
組物 平三斗に拳鼻入り
所見及び解説
 柱は全て角柱、規模も小振りの単層八脚門であるが、建築細部は大いに見応えのあるものである。柱上には台輪を回して、柱間には中央が蟇股、その他に蓑束を入れる。組物は拳鼻を入れる平三斗、頭貫端部の木鼻、
これらのいずれも、一見して中世末期の特色をもつ。特に中央通りの虹梁端部の唐草文様の美しさは比類がない。建立年代としては寺伝にいう、永正10年(1513)、仁王像再興の年が妥当であろう。この時代の当地方の建築細部様式を考える上で極めて貴重な作例である。

観音寺山門全景

山門組物の蟇股・虹梁

TOP へ戻る