常陸七福神
筑波山神社・笠間稲荷神社・西光院・逢善寺・西連寺・長勝寺・月山寺
常陸七福神は霞ヶ浦を巡る茨城県南部の広域の七福神です。

どの神社・寺院も由緒のある歴史を持っています。

福禄寿

長勝寺     潮来町潮来428

 山号は海雲山。文治元年(1185)源頼朝の願で開山。その後、古鍾(元徳2年(1330))の頃までは隆盛であった。南北朝から戦国時代にかけて衰微し、江戸時代初期まで荒廃していたが徳川光圀の代、元禄年間に太嶽を中興開山として迎え、堂宇を復興した。徳川幕府より寺領十石の朱印が与えられている。                    石橋山の合戦に敗れた源頼朝公は、敗残の身で、このご本尊の前で一心不乱に戦勝祈願し、また心を奮い起こしてやがて政権を樹立しました。仏殿は、その頼朝公が文治元年(一一八五)に建てたもの、と寺伝にはあります。そのまま信じますと、本県内では飛び抜けた最古の建造物という事になります。その由緒を重んじて徳川光圀公がここに手厚い保護の手を差し延べたのであります。元禄六年(一六九三)、水戸光圀公はこの長勝寺を大寺として取り立てることにして、太嶽和尚という高僧を中興開山として招きました。荒れ果てて屋根も傾いていた仏殿の修理費として、家督を継いだ綱條公と共に五十両を寄進しました。書院には常陸七福神巡りの福禄寿がお祀りされています。頭を撫でてあげて下さい。きっとうれしげな笑顔を返してくれます。

長勝寺の文化財                     仏殿   室町時代     県指定  方3間裳階付  山門   1700(元禄13年) 県指定  三間一戸楼門

辨財天

逢善寺     新利根村小野318

寺伝によると最澄の弟子覚叡が諸国修行の途中、逢善道人の庵室に祝し宿し、道人の頼みにより寺を開き、千手観音を安置したのが始まりとされる。淳和天皇の時に勅願所として創立。享徳年中(1452-55)七世祐秀の代に檀所としての基礎が出来た。元亀元年に学頭になった定珍の代に織田信長によって比叡山が焼き討ちにされ、関東天台が法灯の継続に貢献した。文政七年(1824)堂宇焼失し、天保十三年(1843)に落成した。書院・庫裏は文久2年(1862)に。仁王門(1659(万治2年))は明治2年に東京の日枝神社より移された。

逢善寺の文化財                    本堂   1843(天保十三年)  県指定 方五間   山門   1659(万治2年) 県指定 三間一戸楼門  書院・庫裏1862(文久2年)   県指定 茅葺き

恵比寿

筑波山神社   つくば市筑波1

式内社、祭神は筑波男大神(伊弉諾尊)、筑波女大神(伊弉冉尊)の2柱。筑波山を神体として中腹に拝殿を設け、山を拝する。古来からの山岳信仰に始まる国内屈指の古社である。弘仁14年(823)、官社に列し、神階は治承4年(1180)正一位に。徳川家康は江戸城守護の霊山として、知足院を再興し、将軍家の祈願所とした。明治初期、神仏分離令により神社に復した。日枝、春日社は知足院の開山徳一大師の守護神として建立したもの

筑波山神社の文化財                 日枝神社本殿 1633(寛永10年)  県指定 三間社  春日神社本殿 1633(寛永10年)  県指定 三間社  春日日枝両神社拝殿 1633(寛永10年) 県指定    厳島神社本殿 1633(寛永10年)  県指定 三間社  神橋     1633(寛永10年) 県指定 木造反橋

毘沙門天

西光院     八郷町吉生2734

山号は峰寺山西光院。寺伝では、大同二年(807)徳一大師の開創。徳一が祈念した岩石を祀り、馬頭観音としたと伝えられる。鎌倉時代、一時真言宗に変わったが、その後天台宗に改められる。慶安年間(1648〜52)東叡山の支配となる。安永六年(1777)に焼失し、寛政三年(1791)に再建される。本堂は関東の清水寺といわれ、崖に臨んで柱を組み上げた舞台があり、八郷町を一望できる。

西光院の文化財                   本堂  1633(寛永10年) 県指定 方3間 懸崖造

布袋

月山寺     岩瀬町西小塙1677

山号は曜光山見明星悟道院という。寺伝では、延暦15年(796)徳一大師が法相宗として開基という。永享2年(1430)光栄阿闍梨が天台宗に改宗。その後、関東における談義所として天台宗の中心となった。元亀2年(1571)織田信長に焼き討ちされた比叡山西塔東覚院に住していた舜慶法印は転籍を抱え、月山寺に入り八世学頭についた。

月山寺の文化財                    書院   1661-73(寛文期)  県指定  茅葺き  本堂   1680(延宝8年)  町指定  11×6間  日枝神社 1715(正徳5年)   町指定  1間社  観音堂  1632(寛永9年)        方5間

大黒天

笠間稲荷神社  笠間市笠間39

祭神は宇迦之御魂神。社伝によると白雉年間(650-54)の創建、寛保3年(1743)笠間城主井上正賢が社地と社殿を寄進。その後、牧野貞通が笠間城主となり祈願所とされ、以後歴代城主の崇敬を集めた。神社の本殿の特色は彫刻にある、壁面のみならず支輪、桁、繋虹梁の部材まですべてまる彫りに近い彫刻で飾られ、いかにも爛熟した江戸末期の手法である。装飾性豊かで大工技術がきわめて優秀である。当地の彫物師後藤縫之助の作品は小川町の貴船神社にも残存する。大工の大曽根村柴山播磨守始治は大和村楽法寺の多宝塔の大工でもある。なお境内にある門、手水舎も同時期の建立である。

笠間稲荷神社の文化財                本殿   1860(万延元年)  国指定  三間社 

寿老人

西連寺     玉造町西蓮寺504

山号は尸羅度山曼珠院。天台宗に属し、寺伝では延暦元年(782)桓武天皇の勅願により、最澄の弟子最仙の開創という。本尊は薬師如来座像。行事では常行三昧会が有名である。以前は多くの露店が出て賑わった。境内には弘安十年(1287)元寇の役の戦没者を弔うため、比叡山の僧慶弁により建立された相輪棠(重要文化財)がある。

西蓮寺の文化財                   山門   1543(天文12年)   国指定  三間一戸 相輪棠  1287(弘安10年)   国指定  相輪

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