海道・かやぶき伝承会
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茅葺きの将来を憂う
海道・岩城かやぶき伝承会
            事務局 山名隆弘
1・萱手様  田村郡船引町に住む萱手様、秋元守さん(昭和十年生まれ)が、五〇ccのバイクに道具をくくりつけて、やってきてくれた。
   朝の5時半に発って、7時半ごろ着いた。
 実は1週間前、私ははがきを出して、「ぐし(棟)のまんなかあたりに、、茅が抜け落ちる処があって、大風のたんびにボロボロ落ちていて心配です。早く来てください」と頼んでおいたのである。
 「わしも七十になりやす。神経痛が出て困りやした。あっちこっちから頼まれてんだけど、みな断っていんです。ここだけは特別だと思って来てみたんです」
 朝飯を振舞いながら、私は手を合わせていた。
 しかし、気になる一言である。
 秋元さんたちがこれまで茅葺きに従事していた家はいわき市内に数軒ある。
 それらの屋根はどうなってしまうのであろうか。
 秋元さんは、今日も差し茅は一日で終わらせるから、足場を組んでいるひまはない、といって、アルミの梯子を二本つないで、20mもある高所に上っていった。
 「日当はもらわなくいいです。わしらの責任で、こんな茅が抜けたんだから・・・」という。
 それでも、半日当に地酒を一本添えて礼をした。帰りしなに、来年春2月には裏側全部の丸葺きをやるので、来てもらえるかと念を押したら、
 「やるしか、あんめぇ」という。
それには、蚊帳を大束で七十束を用意せよというのだ。
 大束の一束というのは、小束五十把一まるきの量である。小束とは、両手の親指と中指で輪をつくった太さで径15cmぐらいである。
 丸葺きというのは、今ある屋根茅をぜんぶ取り除いてしまって、新しい茅で葺きかえることである。
 ほかには差茅という工法がある。これは、先述のように、損傷のひどいところに新しい茅をぐいぐいと差し込む方法である。
 丸葺きすれば茅屋根は二十年〜二十五年は保つ。だが、風雨のかげんや日当たりの程度、あるいは茅の材質によって、次第に斑に侵食されるところができる。そのために、四〜五年に一度は差茅で修繕すれば、長持する。
 我が家のような入母屋造りの場合は、順ぐりに差茅をしながら、屋根の命脈を維持することになる。しかしながら、このような努力も、あるいは数年を経ずして水泡に帰すかもしれない。
 「いや、そんなことにはなりません。葺手職人は、会津田島の方にいくらでもいますし、トラックに茅束を山のように積んで来てくれますよ。予算はそれ相応に確保できますから」
 という話ではないのである。
 問題は財源もなく、換言すれば、職人も茅も確保できない社寺や民家(文化財未指定)はどうすればいいのか、ということなのだ。
2・出羽神社  我が家の茅葺きについて思案をくり返していると、きまって勇気づけられることがある。
 それは、いわき市平中神谷に鎮座する出羽神社本殿と摂社八坂神社の茅屋根のことである。この両殿の屋根について、何度も確かめたのだが、いつもかえってくる答えは、「かやぶきのまんま残しますよ。どうしたら残せるか、悩んでんですけど、何が何でも残します」というのだ。
 出羽神社のかやぶきも、秋元さんたちがやってきた。
3・三楽塾  ところで、昨年の暮れ、三楽塾に友人の志賀敏広さん夫婦を講師に頼んだことがある。志賀さんは川内村に陶芸の「土志攻防」を営んでいる。
   志賀さんは同村に茅葺きの民家を一軒買った。三楽塾で志賀さんは縄文土器と茅葺きのことを語った。
 若き日に志賀さんは岡本太郎の話す縄文土器のことを聞いて衝撃を受けたという。
 さまざまな陶芸がある。芸術品もあり、日用の器もある。しかし、縄文土器のような、「まっさら」な素朴さ、本質の良さは失われようとしている。私たちの生活の中から、茅葺きが失われるとき、日本人の魂の原郷としての縄文も共感不能となるのではないか。「残すべきものは、どこまでも残さなくては・・・」と志賀さんは語り続けた。そうして、不意に私に対して
「だから、なんとかして、茅屋根を残す方法を考えてみてくれませんかと」
と投げかけてきたのである。
4・方策  では、その方策はあるのか。あると思われる。それは4つのポイントからなる。
  1・職人(技術)が存続していること。
2・茅原が確保できること。
3・賃金が用意できること。
4・協力・勤労をいとわない奉仕集団がいること。
さしあたって、
1・石川郡平田村に金沢重一さんたちの職人さんたちがいる。毎冬のように仕事が関東地方にまであるという。
2・茅原のめぼしはついている。ただし、これは毎年刈り取らなければならない。ちなみにいわき平では十二月十日が苅り時である。そして、二、三年分の茅を貯蔵しておく長屋のようなものが必要である。
3・一回の差茅だけで百万円(十日分として)かかる。丸葺きとなれば、その数倍が必要であろう。そこで、互助・共助の組織を作って、順繰りに茅葺きを実施する計画を立て、皆資金のの援助をするのである(現代版ゆいの発想)。
4・奉仕集団は、少しずつ年に二千円ほど寄金し、毎年市内の何処かで、奉仕作業をするのである。作業というのは、茅を刈りそろえて小さな束にしたり、それをリレーして屋根に揚げたりすることである。
5・茅舎の会  茨城県には「茅舎の会」という団体があるという。
   ぜひ一度、詳細に研究したいと思うけれど、さしあたって、私は茅葺きの命を永らえるために、せっぱ詰った気持ちになっているのである。
 私たちは、あまたの文化財(ふるき良きもの)が眼前から失われていくことを経験している。それは、景観の破壊をも含めてのことではあるが、「破壊はたやすい。しかし、虚しい。創造は苦しい、だが、たのしい。継続はせつなくもうれしい」という思いひたる。
 秋天に傷口の手当を受けた屋根を、私はじっと見上げるのである。
   いわき民報(平成16年10月30日(土)夕刊   大国魂神社 宮司 山名隆弘 2004.10.30

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