021大小路町(おおこうじ)のこと


    昭和10年の大小路町付近の地図

日の丸の扇を、右手で高くかざした桃太郎、昔話の最も人気ある主人公をシンボルとする大小路町の山車は、平成3年に新調されています。

 さらに、この山車の彫刻には、桃太郎の鬼退治の物語が刻まれています。

 親しまれるイメージの大小路町ですが、町名の由来は古く中世にまでさかのぼります。

 元来、.大小路という地名は、国府のあった土地に多く見られます。国府の街を縦横に走る大路・小路にちなんだという一説もあります_

 石岡の大小路は小字名で、明治初期までは田畑が大半を占めていました。それが鉄道の開通によって街が広がり、駅を中心に街路が作られました。

 駅のやや北側から、西へ向かい商工会議所前を過ぎ香丸町通りに交差する道は、大小路新道とかつて呼ばれた通りです。この道は、明治28年に海岸線鉄道(常磐線) が開通し、石岡駅ができたときに新設されました。当時、駅周辺は田んぼでした。

 そのころの鉄道の運行は、客車一日6往復、定期貨物列車の停車28回と少ないものでした。それでも、大小路町は石岡の玄関口として次第に栄え、いくつもの運送店や繭市場などが活気を生み出していました。

 明治の中期まで、水戸街道沿いに帯状に形成されていた市街が、大小路新道と金丸新道の開通によって拡大を始めました。昭和410月には、駅前から真西に伸びる通称「八間道路」御幸通りが完成し、市街は駅を中心に発展しました。

 昭和30年を過ぎると、大小路町は駅前の中心商業地となり、明治期の面影はまるでなくなりました。地名に残る古代のイメージと昭和期の発展の横顔をあわせ持つ町、それが大小路町です。

 昭和5371日、住居表示法施行により府中一丁目となりました。


  新しくなった石岡駅                大小路通り


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