2  観音寺本堂
所在地 茨城県牛久市久野1249
建立年代 伝 1226(嘉禄2年)
文化財指定    県指定
   指定年月日 H3.1.25
建立年代の判定及び推定の根拠   棟札
創立来歴
 山号は威徳山地福院。鎌倉時代、嘉禄2年(1226)に創建とされる。開基については行基、最仙の二説がある(寺院書上、棟札)。大永5年(1525)熊野から下向した十穀聖・教海が願主になり、江戸崎・竜ヶ崎の領主・土岐原源次郎治頼を大旦那にして観音堂を再興した(棟札)。再興とは修理の意味か。宝永4年大改修工事を行なった。
資料来歴
 室町後期の大永5年(1525)・永禄2年(1559)以来の棟札が多数残っており文献的資料として重要なものである。棟札の多いことは県内寺院の中でも類がない。鎌倉期のものを江戸時代中期以降大改修して残した例として重要である。
職人名 未詳
建築形式 方5間 組物  唐様三手先・詰組二重尾垂木入り
所見及び解説
 外回りの柱、組物は全て宝永4年時に新規となり、当初の組物は未詳である。本県内で鎌倉期建立の可能性があるのは、ここと潮来町の長勝寺の二例のみであり、大いに注目されるべき作例と言うべきである。嘉永2年建立、大永5年及び宝永4年大改修の流れが究明されることを望みたい。なお須弥壇(鎌倉期か)・宮殿(寛永の棟札あり)ともに価値が高い。
[参照]
19 観音寺宮殿 38 観音寺本堂(宝永修理) 39 観音寺仁王門

観音寺本堂全景

本堂組物の拳鼻

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